05【三番目の光:図書館の幽鬼】
### 第2章:図鑑が開く巣窟と、近づく三つ目の光
この異世界には、動画配信サイトもなければ、SNSも、オンラインゲームもない。
元々引きこもりがちで静かな空間を好む私にとって、王城での退屈な日々を埋めてくれる唯一の救いは、神殿に併設された広大な図書館だった。
「こちらが神殿大図書館にございます。虹歳様、どうぞご自由にお使いください」
案内してくれた神官長のスギさんが、重厚な木製の両開き扉を押し開ける。
一歩足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気と共に、古い羊皮紙と微かなインクの匂いが鼻腔をくすぐった。
天井は気の遠くなるほど高く、見上げるほどの巨大な本棚が幾重にも並んでいる。ステンドグラスから差し込む色彩豊かな光が、静謐な空間に幻想的な影を落としていた。
(すごい……。ここなら、静かに一人で過ごせそう……)
接客用の明るい仮面を外し、本来の言葉少なめで暗い自分に戻れる場所を見つけた気がして、私は小さく息を吐き出した。
しかし、そんな安堵も束の間だった。
私の視界の奥――どこまでも続く本棚の迷宮の、さらに暗い最奥から、ぼんやりとした暖色の『三つ目の光』がゆらりと灯ったのだ。
光は、引き寄せられるようにこちらへと近づいてくる。
(嘘……。ここにも、いるの……?)
「……おや。先客がいたようですな」
神官長が眉をひそめ、視線を暗がりの方へと向けた。
本棚の影から、音もなく這い出るようにして現れたその姿を見た瞬間、私は思わずヒッと息を呑み、神官長の後ろへと飛び退いた。
(デ、ディ◯ンター……っ!?)
そこにいたのは、頭からすっぽりと濃紺のローブを被り、顔を完全に隠した不気味な人物だった。鼻から下は厚手のマスクで覆われ、辛うじて見える目元には奇妙な眼鏡が光っている。
完全に気配を消し、ゆったりとしたローブを揺らしながら佇むその姿は、元の世界で見た映画の、魂を吸い尽くす吸魂鬼そのものだった。
そのとき、私の耳の奥で、またあの音が鳴り響いた。
――シャラシャラシャラ……。
砂時計の砂がこぼれ落ちるような、冷ややかで、けれどどこか切ない星の流れる音。
眩い光の粒子が、その不気味なローブの人物の胸元――心臓の位置へと吸い込まれ、純白の彼岸花の目印を鮮烈に刻みつけた。
(この、顔も見えない怪しい人が……三人目の、結婚相手……?)
私が恐怖と困惑で硬直していると、ローブの人物は、眼鏡の奥の薄いピンクの瞳を鋭く細めた。
「……神官長、何の用かね。僕の報せなく他人を立ち入らせないでくれたまえ、と言ったはずだが」
低く、どこか冷徹で、けれど驚くほどに鈴の鳴るような美しい男の声だった。
「これ、コール!虹歳様に対してなんという無礼を……!貴方が『インサクメア族』の生き残りとしてここに引きこもるのを許可したのは誰だと思っているのですか!」
神官長が絶句し、すぐに顔を真っ赤にして叱責する。
しかし、コールと呼ばれた男は、フンと鼻で笑ってそっぽを向いた。
「にじとせ……? ああ、あの噂の『女神の贈り物』か。信仰の研究の邪魔だ。さっさと帰ってくれたまえ」
あからさまな拒絶と、突き放すような冷たい態度。
『インサクメア族』という特殊な種族で、男女問わずあらゆる人間から迫られ、人間嫌い、恋愛嫌悪の極地に達しているらしい。彼からしたら、私はただの「迷惑な侵入者」でしかないようだった。
普通なら怒るか、傷つく場面かもしれない。
けれど、彼の胸に刻まれた光の目印を見つめながら、私の心はまた、スン……と静かに冷めていった。
(……うん。人嫌いなんだね。触られたくないし、関わりたくないんだ。……ちょうどいいや)
「……すみません。邪魔するつもりは、なかったんです」
私は営業用の愛想笑いすら浮かべず、本当に静かで、感情の起伏の薄い声で言った。
「え……?」
コールの肩が、ローブの向こうでピクリと揺れる。
「本を、読みに来ただけなので……。気配を消しますから、気にしないでください。お邪魔しました」
私は彼から視線を外し、近くの本棚へと歩き出した。コールは呆然とした様子で立ち尽くし、神官長は私たちのあまりにも淡白な初対面に、ただただ絶句していた。
コミュニケーションを取るつもりなんて、今の私にはない。ただ、自分のミッションの相手がどんな人か分かった、それだけで十分だった。
適当な本を手に取り、ページをめくる。
服の隙間から自分の左胸をそっと覗くと、純白だった彼岸花の模様の、また別の花びらが、ほんの、わずかだけ朱色に色づいていた。




