02【最初の光:女装の双子】
神殿の広大な回廊は、ひんやりとした白い大理石で満たされていた。
歩を進めるたび、私の小さな足音がカツ、カツと虚しく反響する。元の世界では着たこともない、豪奢で引きずるほど長い白の式服は重く、おでこに生えた二つの小さな角の違和感も拭えない。
私の前を歩くのは、この神殿を統括しているという神官長の「スギ=ノキ」さん。五十代ほどの落ち着いた男性で、頭には見事な鹿の角を生やしている。
「虹歳様、お体の具合はいかがですか? 女神の贈り物である貴女をお迎えできたこと、このハルノ王国にとって最大の誉れにございます」
「あ……はい。大丈夫、です……」
お決まりの、営業用の愛想笑いを浮かべて頭を下げる。
前世の風俗店で嫌というほど叩き込まれた、お客様を不快にさせないための「偽りの微笑み」。まさか異世界に来てまで、このスキルに頼ることになるとは思わなかった。
本当の私は、今すぐにでも逃げ出したいほど暗く、怯えている。
(私なんか、ただの人生のドロップアウト組なのに。そんな大層な人間じゃないのに……)
胸の奥をキリキリと刺すような罪悪感から逃れるように下を向くと、視界の隅に、さっきからずっと浮かんでいる「ぼんやりとした光」が揺れた。
その光は、回廊の先にある、中庭に面した大きな部屋に向かってまっすぐに伸びている。
近づくにつれて、光の輪がじわじわと大きく、強く輝きだす。
(……あそこになにか、いる?)
神官長の後ろに隠れるようにしながら、私はその部屋の開け放たれた扉を、そっと中を覗き込むようにして盗み見た。
そこにいたのは、一人の「女の子」だった。
黄金色のくせ毛をハーフアップにして、ひらひらとした可愛らしい侍女服を着ている。小柄で細身だけれど、出るところは出ているような、完璧に可憐な美少女だ。
その瞬間だった。
――シャラシャラシャラ……。
耳元で、冷たい砂が指の隙間からこぼれ落ちるような、あるいは夜空を流れる星がかすれ合うような、繊細で美しい音が響いた。
同時に、私の視界を埋め尽くすほどの光の粒子がその「女の子」に向かって収束していく。光は彼女の胸元、心臓の位置へと吸い込まれ、そこに眩い目印を刻みつけた。
(えっ、女の子……!? ちょーかわいい……。え、じゃなくて、私が縁を結ぶ相手って『男性三人』じゃなかったっけ!?)
私が混乱して硬直していると、部屋の中にいた彼女がこちらに気づき、ハッと肩を揺らした。
「……チッ、見つかったか」
少女の口から漏れ出たのは、低く、低音の響く、紛れもない「男の人の声」だった。
「ひっ……!?」
男の声。その事実に、私の心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。前世で植え付けられた男性恐怖症のスイッチが入り、全身の毛穴がキュッと縮むような恐怖が走った。思わず一歩後ろに下がってしまう。
「これ、チョウチョウ!何をしているのですか?」
神官長が鋭い声を上げ、部屋へと踏み込む。女装の「彼女」――いや、「彼」は、観念したように両手を上げ、肩をすくめて歩み出てきた。
「いやー、すんません神官長。ちょっと好奇心が抑えきれなくてさ」
彼の後ろから、もう一人、全く同じ顔をした少年(男装をした女の子)が気まずそうに姿を現した。
「オレが『チョウチョウ』。で、こっちで小さくなってるのが双子の妹の『ヤコ』」
二人はファーブ族という小柄な妖精の種族らしく、背丈は私とあまり変わらない。
チョウチョウと名乗った女装の彼は、形の良い唇をきゅっと上げて不敵に笑った。
「アンタが女神のお気に入りさん? ふーん、案外平凡っていうか……オレと縁結びの光が繋がったってことは、アンタがオレの未来の奥さんになるわけだ」
その目は、私を値踏みしていた。からかうような、面白がるような、どこか舐め腐った視線。
(あ、この人、オレ様系だ。おもてなしするフリをして、私をテキトーに転がして利用しようとしてる……)
風俗で何人もの男を見てきた私には、彼の隠しきれない下心が手に取るように分かった。男性への恐怖の後に、スン……と頭の芯が冷えていくような、圧倒的な「無」が訪れる。
「チョウチョウ! 虹歳様に対してなんという不敬を! しかも妹のヤコと入れ替わってその姿で花嫁を惑わそうなどと……!」
神官長が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。その大声に私はびくりと身体を震わせたが、チョウチョウは「はいはい、悪かったって」と大して反省もしていない様子で、スカートの裾をつまんで綺麗にお辞儀をした。
「ニジトセ様、不実な真似をして本当に申し訳ありません。この通り、オレも妹も猛省してます。これからは心を入れ替えて、ヤコが貴女の専属侍女として誠心誠意お仕えしますので、どうかお許しを」
口先だけの、滑らかな謝罪。
けれど私は、彼の心臓の奥に刻まれた光の目印を見つめながら、小さく息を吐き出した。
(……まあ、いいか。私を騙そうが、舐めていようが、どうでもいい。どうせ私は、ミッションをこなすためだけに連れてこられた、中身の空っぽな人形なんだから)
「……別に、いいですよ」
私は感情の消えた、静かで言葉少なみな声でそう言った。
「え……?」
チョウチョウが、初めて計算が狂ったように瞬きをする。
「謝ってくれなくて、大丈夫です。これから、よろしくお願いします、ヤコさん」
私は彼を無視して、彼の後ろで本当に申し訳なさそうに縮こまっていた妹のヤコさんに、営業用の笑みを向けた。
チョウチョウは、呆然とした顔で私の朱色の龍目を見つめている。
彼との間に繋がった見えない絆のせいか、私の胸の白い彼岸花の模様が、ほんの、わずかだけ、赤く色づいたような気がした。




