99.楓の疾走
『闇夜の神都の街並みを、黒い稲妻のように疾走する影が一つ。
東ノ庄の防人様の懐刀と言われるシノビ、楓の姿であった』
と、自分でナレーションしながら楓は屋根の上を走っていた。
「楓にしか頼めないことがある。頼んでいいか」
「我が主、おまかせください!」
すっかり楓の扱い方が分かってきた多比人に、時姫と鷹姫、それに時姫の夫、作磨の救出を頼まれた楓は、神館へとまっしぐらに進んでいた。
しかし、おかしい。あまりにも変だ。
自分の実力を過大評価している楓でさえも、この非常時に、いとも簡単に神都の城壁を乗り越えられたこと、神都内部で何の攻撃もないことに、違和感を覚えずにはいられなかった。
楓は死を覚悟してこの任務に臨んでいる。
死して屍拾う者なし。
修業中に、シノビの覚悟の在り方としてよく言われた言葉だ。
しかも、神都を取り仕切るシノビは、大神官直属の服部半分蔵というシノビ界の大物だ。
その服部の軍団を、自分一人で相手にしなければならない。まさに命がけの任務である。防人様のシノビである自分に相応しい任務である。
しかし、楓に襲い掛かってくる服部軍団は誰もいない。
そうは言っても、神館への進入はこうはいかないだろう。楓の視野に神館の大きな城壁が見えてきた。
楓が城壁の脇に潜み、息を整えながら辺りを探る。
ふと見ると、神館の大門と呼ばれる門の脇の通用口から出てくる人影が見える。遠目でよく確認できないが、どうやらシノビのようだ。
音もなく、闇夜と同化したように楓が忍び寄ると、何やら話声がする。
「いや~、嫌になっちゃうよなあ。先月分のお給料、貰えないままだよ」
「お頭たちは貰っていたらしいぜ」
「ひどくない? 自分達だけずるいよなあ」
聞き覚えのある声に、楓は目を凝らしてみると、同郷の伝兵衛だった。
伝兵衛は神都で大物になると言って、東ノ庄から出て行ったのだ。
そっと近寄り、周囲に気取られないように小声で話しかける。
(伝兵衛、何をしている)
「だって俺達、ボーナスだってもらってないのにさあ」
(おい、伝兵衛、伝兵衛)
「そういえばあいつの母ちゃんさあ、この前ウンコ踏んだらしいぜ」
(伝兵衛、私だ、楓だ。伝兵衛、おい)
「それであいつ、運がついたからいいんだって、馬鹿だよなあ」
「てめえ! 伝兵衛! 何回言えばいいんだ!」
「あ、楓じゃないか。どうしたの?」
つい大声を出してしまった楓に、伝兵衛と周りのシノビが気づく。
楓は慌てて背中の刀を抜いて身構える。
「何やってるの楓? そんなもの出して危ないだろ。むやみやたらに人前で刃物を振り回しちゃいけないって、楓の母ちゃんが昔言っていたよ。知らないの?」
「え~伝兵衛、この娘、楓ちゃんて言うの? かわいいじゃん」
「伝兵衛の知り合い? 俺、孫助って言うんだ。よろしくね、楓ちゃん」
「はわわわ」
楓は動揺していた。シノビの世界で服部軍団と言えば、鉄の規律で知られた最強軍団のはず。それにしてはあまりにもフレンドリー過ぎだ。
「そう言えば、楓って防人様のシノビやってんだよな?」
「マジ! 楓ちゃんスゴくない? 」
「ヤバいね。楓ちゃん。連絡先教えてよ」
どいつもこいつも全体的に軽い。神都のシノビはこんな感じなのか。死して屍拾う者なしではなかったのか。楓は動揺しつつも聞いてみた。
「伝兵衛、何をやっているのだ。神館の警護はどうした」
「え~、もうやめた」
「給料払ってくれないんだもん」
「服部様もとっくに出て行っちゃったしなあ」
このシノビ達によると、最近神都から給料不払いが続き、親玉の服部半分蔵は労働基準監督署に訴えてやると言って、神都から出て行ってしまったらしい。
それ以来、神都のシノビは逃げ出して、最後までのんびりしていた伝兵衛達が今出てきたところだそうだ。
「あとは数名、雅姫様か利姫様のシノビが残っているくらいかなあ」
伝兵衛がのんきそうに言う。
シノビはドライであるべきだと楓は教わってきたが、これはあまりにもドライ過ぎだ。
「お前達、主への忠誠はどうしたのだ!」
思わず楓は伝兵衛達を問いただした。
「だって、金も払わない奴のために命かけるなんて、おかしいだろ」
「雇用契約はちゃんと守らないとね」
「俺は高給貰えるから神都で働いていたんだし」
価値観の違いに楓はクラクラとした。今どきのシノビはみんなこうなのだろうか。働き方改革は、シノビの世界にまで及んでいるのか。しかし、こいつらとシノビの価値観について話し合っている暇はない。
「わたしは鷹姫様のところに行かねばならない。ここを通してくれ!」
「いいよ~!」
「頑張ってね~!」
「今度一緒に飲もうね~!」
楓は神館内部に入る際、相当の戦闘が行われることを覚悟していたが、まさか通用口から普通に入れたことに驚いてしまった。
しかし楓は、この後死を覚悟することになる。




