95. 祝言
それは簡素な祝言だった。
出陣前夜という慌ただしい中、初姫の立ち合いのもと、白無垢姿の花嫁衣装に身を包んだ雪と、紋付き袴を着た多比人は三々九度の盃を交わした。
多比人は大広間を埋め尽くした月見ノ庄の幹部、旧神都軍の幹部を前に、誓いを述べた。
「僕は今、雪と結婚しました。みなさんの前で、雪を幸せにすると誓います」
大広間からは歓声が上がった。
「僕は雪と出会った時、雪の姉、時姫様を救い出すために結婚し、『婿見せ』に臨んでほしいと言われました。でも或る時、雪から、『婿見せ』なんてしなくてもいいと言われました。僕に危険な目に遭ってほしくないと言うのです」
雪がうつむきながら聞いている。
「僕はここに来るまでに、神界でいろいろな人と出会いました。貧しい人、富める人、愛し合う人、子を思う親、親を想う子、姉を想う妹、妹を想う姉、滅びゆくものを守る人、自分の役割に命を懸ける人、そしてその人を命を懸けて支える人……みんな素敵な人達でした。尊敬できる人達でした」
多比人の胸には、この旅で出会った様々な人の顔が目に浮かんだ。
「僕はそんな人達が大好きです。絶対に幸せになってもらいたい」
大広間を埋め尽くす人達の顔を、多比人は見回す。
「僕はこれから皆さんと一緒に神都に向けて進軍し、『婿見せ』で愛姫様を必ず討ち取ります。最初は時姫様を救い出すための『婿見せ』だったかもしれませんが、僕は先ほど、雪を幸せにすると皆さんの前に誓いました」
多比人の顔を、雪が見る。
「雪を幸せにするためには、僕と雪が笑っていられる神界でなくてはなりません。そのためには、神界のみんなが幸せでなくてはなりません。僕は『婿見せ』で愛姫様に勝って、雪を、神界のみんなを幸せにします!」
大広間に大歓声が上がる。
雪が多比人の頬を両手で包む。
「多比人様、愛しています。今までもこれからも」
そう言って二人は口づけを交わした。
武者達が刀の鞘を床に打ち付けて祝福する。
楓が、おいおいと大声を上げて泣いていた。
ささやかな形ばかりの祝宴の後、再び庄館は出陣準備へと騒がしくなった。
『新婚の夜はとても大切なものです』と主張する初姫により、多比人と雪は準備には加わらず、二人きりで部屋にいることになった。楓は今日は月見ノ庄のシノビ達のところで寝ると言う。
初姫が気を利かしたのだろう。部屋には巨大なピンクのハートマークが描かれた、大きな布団がひとつ、敷かれていた。
わかりやすい、余計な心遣いだ。
「うふふふ。わたしが夜伽に来て、多比人様に断られたのを思い出します」
そう言いながら、雪が多比人にくっついた。
「あの時は、まだお互いよく知り合っていないからダメと言われました」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
「はい。もの凄くショックでした」
「本当? ごめんね」
「あの時は、早く既成事実を作りたくて焦っていました」
「そうなの!?」
「はい。多比人様の妻になるのが、わたしで本当にいいのか不安だったのです」
「いいに決まってるじゃん。というか雪さんしかいないよ」
「今でもちょっぴり不安です」
「どうして!? 僕は君のことこんなに好きなのに!」
「うふふふふ。多比人様と一緒に旅をしているうちに、多比人様のこと、もっともっと好きになっちゃいました」
「嫌われちゃうようなこと、たくさんしちゃったけど……」
「本当です! まったく! でも、それも含めて大好きです。わたしの不安なんて、どうでもよくなるくらい、好きになっちゃいました」
「よ、よかったよ」
「わたし今、とっても幸せです」
「僕もだよ。君に出会えてよかったよ。最初は殺されかけたけど」
「うふふ、浮気したら殺しますよ」
「絶対しないよ! 神様に誓って!」
「その神様を討ちに行くのに?」
「……そう言えばそうだね」
「多比人様、忘れないでくださいね。『婿見せ』は夫婦二人で戦うものだということを」
「……」
「多比人様は、結構ご自分で抱え込むタイプだと思います」
「そ、そうかな?」
「はい。今日からわたし達は正式な夫婦です。何でもわたしに相談してくださいね」
「うん。よろしくね」
「愛姫様がわたしの多比人様に何かしたら、わたしがぶっ殺します」
「あ、ありがとう」
「わたしが多比人様をお守りしますね」
「今日も守ってもらったよ」
「……あれって、わたしを信じて多比人様は何もしなかったんでしょ」
「そんなことないよ。廻目さんの刀の動きも、雪さんのも全くわかんなかった」
「……そうなんだ。わたし、役に立ちましたね」
「雪さんがいなかったら今頃死んでたよ」
「じゃあ、ご褒美にキスしてください」
(ちゅっ)
「もっとしてください」
(ちゅっ)
「ろうそく……消しますね」
明日からは戦の日々だ。せめてこの日だけは、この夜だけは二人で幸せをかみしめたいと、多比人は思った。
遠くからは、慌ただしく物資を運び込む出陣に向けた準備の音が、一晩中絶えることはなかった。
あと十話ちょっとです。




