9.はじめてボコボコに殴られる
「基久様ってお優しいですよね~」
歩きながら、楓が多比人に言う。
「そうだね。雪の優しいところはお父さん似なのかなあ」
「でも基久様って、ちょっと頼りないかな~。神界は女性上位社会ですからね。男は総じてナヨナヨしています。女性の方が頼もしいです」
「そ、そうなの?」
「鷹姫様見ていれば分かるじゃないですか。きっと春姫様もそうだったでしょ」
「確かに!」
多比人は生前の祖母のことを思い出した。家で決定権を持っているのは祖母で、祖父はいつも従っていた。会社を運営したり、村長や村議会議員をやっていた祖母を、甲斐甲斐しく祖父が支えていた。
「春さんが、まだ帰って来ない」
仕事でいつも遅い祖母を、そう言って祖父は料理を作って待っていた。
そう言えば、祖父は日記をつけていたが、あれはどうなったのだろうと、多比人は昔のことを思い出していた。
多比人と楓が下界との境に近い、祠のある場所に着くと、背後から騎馬の蹄の音が響いてきた。楓が振り返って言う。
「あ~、もう一人ナヨナヨした男が来ましたよ」
武者を乗せた十騎ほどの騎馬が、多比人と楓の前に現れた。先頭にいるムキムキの筋肉男は、昨日会った朽木とかいう男だ。
「おい! ニセ防人! 雪や鷹姫様を騙せても、侍大将であるこの俺の目はごまかせないぞ!」
朽木が『侍大将』のところを強調して大きな声で言う。
「昨日は防人様の証、聖剣『神祓』も出せなかったというではないか。何か申し開きがあるならして見せよ」
申し開きと言われても、多比人は祖母の遺品を持って雪から自衛しただけで、勝手に防人認定されて、勝手にそれを証明しろと言われても難しい。
「何も言えないのか! やはりお前はニセ防人だな! わははははは!」
周りの武者も一緒に笑う。
(ここはお任せください)
楓が多比人に目配せする。
楓は朽木の前に立つと、手を腰に当てて堂々と言った。
「朽木殿! 鷹姫様は多比人様を幼少時からご存じである。その鷹姫様が多比人様を防人と認め、雪姫様との御婚約をお認めになったのだ。今の朽木殿の言葉は、鷹姫様への批判、侮辱、謀反ととってよろしいのですか!」
「え、ちょっと……そんな……鷹姫様に謀反なんて、とんでもない!」
「ではこれはなんですか! 鷹姫様が認めた防人様にこのような無礼! まずは下馬しなさい! この無礼者ども! 鷹姫様に逆らうのか!」
慌てて武者達が下馬する。
「ちがうんだ、雪がニセ防人に騙されては大変だと……」
「はは~ん、さては朽木殿。雪姫様に勝てないからって多比人様を襲おうという算段ですか」
「いや……そ、そんな……つもりは……ありま……せん……です」
「雪姫様は自分に勝った男の嫁に行くと、公言してはばからないのは周知の事実。朽木殿はいままで雪姫様に勝負を挑むこと三十八回。そしてその結果はすべて惨敗。正々堂々と雪姫様に勝負を挑めばよいものの、勝てないと見るや御婚約された多比人様に集団で襲い掛かる。これでは雪姫様も呆れられること必定!」
「や……や……やっぱり……そうかなあ」
「自分でもそう思っていながら我々に襲い掛かり、正論を突き付けられて逡巡する。そんな優柔不断で決断も出来ない男など、雪姫様はおろか、どんな女とも一生結婚出来るわけないだろう!」
「ひ、ひ、ひ~ん」
「クケケケケッ、主! あいつ泣いてやがりますよ! 愉快痛快って……うわっ! 何で我が主まで泣いているんですか!」
この時、一人だけ馬から下りなかった武者が、朽木に言った。
「あのシノビの小娘など、切り捨ててしまいなさい」
「えっ節枝、そんなこと言っても楓の母ちゃんの、藤おばちゃんには小さい頃世話になったし、そんなことしたら藤おばちゃんが悲しむ」
うろたえる朽木を尻目に、節枝と呼ばれた男はすっと騎馬を前に進めると、楓を刀で薙ぎ払った。不意を突かれた楓は、小刀で防御したものの吹っ飛ばされて大木にぶち当たった。
「か、楓ちゃん! 大丈夫!?」
うろたえる朽木にかまわず節枝が叫ぶ。
「やつはニセ防人だ! 者ども、奴を成敗して庄の皆を守るのだ!」
節枝の号令に応じて武者達が多比人を取り囲んだ。
「丸腰の奴に斬りかかったら武名に傷がつく。貸してやるから刀をとれ、偽物!」
武者の一人が多比人の前に刀を放り投げた。
「嫌だ! 何で僕が庄の人達と斬り合わなくてはならないんだ! 僕達の敵は愛姫だろう!」
「生意気言うな!」
武者が多比人に殴りかかると、多比人が吹っ飛んだ。他の者達は多比人が防人かどうか半信半疑だったので、最初は様子を見ていた。しかし、多比人が反撃してこないのに安心してか、一緒に殴りかかってきた。
多比人がボコボコに殴られていると、突然もくもくと煙が上がり、視界が閉ざされた。
「主、こちらです!」
楓に手を引かれて多比人が脱出する。
「下界はどちらですか!」
「こっちだ!」
二人は走りに走り、手をつないで洞穴の中に転がり込んだ。
真っ暗な視界が急に明るくなる。ふと見れば経文の書かれた大岩が見えた。
「帰ってきた……」
多比人は元の世界に帰って来て安心したのか、そのまま気を失ってしまった。
「主! 主! 大丈夫ですか!」
楓が心配して多比人を揺り動かしていると、背後から声がした。
「未熟者! 主に怪我を負わせて、それでも防人のシノビか!」
楓が振り返ると、老婆が仁王立ちで立っていた。




