89.もっちゃんの回想 5
華姫がいなくなってからの東ノ庄の庄館の雰囲気に、私は耐えられなかった。
庄長に復帰した鷹姫様は、雪姫を自分の補佐につけると何事もなかったかのように政務に勤しんでいた。きっと内心では思うところがあるとは思うのだが、表面上とは言え、冷静にふるまえるのが信じられなかった。
雪姫は、姉の代わりにならなくてはという重圧を感じているようで、剣術の稽古など鬼気迫るものがあった。どう見ても無理をし過ぎている。私が休むように言っても全く聞く耳を持たなかった。
「今こうしている間にも、時姉様は神館で奴隷のような扱いを受けているのです」
もう娘にかける言葉もない。私は雪を見守ってやることしか出来ない。
東ノ庄の庄館にいれば、嫌でも鷹姫様と顔を合わすことになる。食事の場も一緒だ。私は実家の小桑ノ庄に帰ることが多くなった。
いつまでこんなつらい日々が続くのかと、天国に行った華姫に問いかける。
そんなことをしても何も答えは出てこない。
せめて夢でいいから華姫に逢いたいと願うのだが、華姫は出て来てくれない。
私にはまだ、何かすべきことがあるとでもいうのだろうか。
そんな或る日、東ノ庄から早馬がやって来た。
「基久殿! 雪姫様がなんと、防人様とご結婚されたそうです!」
驚いた。
本当に驚いた。
きっと華姫はこのために駆けずり回っていて、私に逢いに来るヒマがなかったのだろうと思った。
私は翌日夜明けとともに東ノ庄へと向かった。
庄館に行くと、既に楓と一緒に下界の境に向けて出発したらしい。
私は馬を必死で走らせた。
遠くから楓の後ろ姿が見えた。きっと隣の男が雪姫の結婚相手という多比人様なのだろう。
「お待ちください! 多比人様!」
私が後ろから叫ぶと、楓が振り向き、多比人様に私のことを話しているようだ。
そこで初めて会った多比人様は、少し頼りない感じがしたが、信頼できる男だと思った。とても優しい男だった。これなら安心して雪姫を任せられる。そう思った。
「あら、お兄様。お兄様のそんなに嬉しそうなお顔、久しぶりに見ましたわ」
小桑ノ庄の庄長を務める妹が、そう言って笑った。
そう言われてみればそうかもしれない。
心底嬉しいと思ったことなど久しぶりだ。
私は妹に、多比人様がどれだけ素晴らしい男なのかを話して聞かせた。
「ちょっと会っただけで大絶賛ね。よっぽど嬉しかったのね」
そう言って妹も嬉しそうに笑った。
ああ、これからすべてが良いほうに行く。ここからみんなで幸せになるのだ。防人様に時姫を開放してもらい、また笑って一緒に暮らせるのだ。そうすれば華姫もきっと天国で安心することだろう。そう思った。
「神都軍の急襲を受け、東ノ庄が制圧されました。東ノ庄軍は壊滅。庄館は焼け落ち、鷹姫様、雪姫様ともに行方不明です。恐らくは神都軍との戦闘で討ち死にされたものと思われます」
私の幸せは、早馬の知らせで一瞬にして消え去った。
雪姫は必死に庄館を守って抗戦していたらしいが、燃え盛る庄館から出たところを誰も見たものがいないという。
多比人様が下界に帰った隙を突かれたらしい。
希望を持った後の絶望ほど酷いものは無い。
私は絶望のあまり死を選ぼうとした。
雪姫の『行方不明』が『死亡』へと変わる前に死んでしまいたい。私は雪姫の死という事実に耐えられそうもない。
もとから余計な余生だった。
華姫がいなくなった時点で私の人生など、とうに終わっていたのだ。
自分の血で館を汚して妹に迷惑をかけないようにと、私は庭の隅を死に場所に選んだ。
こんな時にでも、気を遣ってしまう自分が滑稽だ。
土の上に座り、私は脇差を静かに抜いた。
ふと前を見ると、あの時の花が庭の片隅に咲いていた。
『わあ、綺麗なお花ね。すごいねもっちゃん、こんな綺麗なお花を見つけて!』
かつて幼い頃、華姫に言われた言葉が、あの時の光景がありありと蘇ってくる。
揺れる花を見ながら、華姫が死んだらだめだと言っている気がした。
そうだ。華姫はもっと生きたかったのに生きられなかった。自分はこうして今生きている。病弱だった華姫と違って、歩き、馬にだって乗れる。
私には剣術の腕も、知略も、鷹姫様のような冷静さもない。
出来ることは限られている。
あの時の神様に会ってみたい。
あの時のあの人が神様だというのなら、願いを聞いて欲しい。
華姫が願っていた、神界全体の幸せを。
私は手にしていた脇差をしまうと、旅の準備を始めた。
神都側に見つからないように、かなり遠回りをして五峰神社に私は向かった。
ひさびさに見る五峰神社はところどころ壁が壊れ、あたりには雑草が生えていた。以前と違って人が全くいない。
石段の厳しさだけは相変わらずで、私はその辛さに自分が年を取ったことを思い知らされた。
「いつぞやのお兄さん、いや、元お兄さ~ん、お久しぶりで~す!」
社務所に行くと、おばさんになった巫女が相変わらずの明るさで私に話しかけてくれた。どうやら私のことを覚えていてくれたようだ。
「忘れないわよ~! 五百万神銭もする神札を、待姫様と買いに来る男性なんて、忘れるわけないじゃない! いやらしい~!」
言っていることが少しよく分からなかったが、このおばさん巫女が言うことには、最近この神社の霊験が全くなくなってしまったらしく、参拝者がほとんどいなくなってしまったそうだ。
「収入源のお札もなくなっちゃったしね~」
神札は、病気治癒どころか、かつてあった指のささくれ防止の神札すら造られなくなったらしい。何でも祀っている命様という神様の力が、全くなくなってしまったというのだ。
「何十年かに一度、こういうことがあるんですって」
期待はずれな気もしたが、この永遠ともいえる石段を登ってきた私は、せっかくだし命様という神様に祈ってみることにした。
「命様。どうかお願いです。時姫夫妻、雪姫夫妻をお救いください。そして、神界すべての人が幸せになりますように」
私はそう声に出してお願いすると、いつまでも頭を下げ続けた。
「かつて五百万神銭で神札を買ってくれた優良顧客で~す! 命様、よろしくお願いいたしま~す!」
おばさん巫女もそう言って、私の後ろでお願いしてくれた。
☆ ☆ ☆
ところどころ壁が剥がれ、瓦の上に草が生えている五峰神社の最奥の神殿の中、ひとりの瘡蓋だらけの貧相な男が寝っ転がりながらつぶやいていた。
「あの男には借りがあるっす。ちょうど愛にも会いに行かないといけないと思っていたっす。防人と会うの楽しみっす」




