86.もっちゃんの回想 2
何日もかけてたどり着いた五峰神社は、想像を絶する大きさと荘厳さだった。おまけに参拝者でごった返していた。大人気だった。
山の中を縫って続いていく石段を登り切った社務所で、私は病を治すという神札のことを尋ねた。
「五百万神銭で~す!」
社務所の若い巫女がニコニコして答える。
私が持って来たお金は、妹がくれたお金と併せても五十万神銭ほどしかなかった。
よく考えれば死にそうな病人を治したいのだ。値が張るのは当たり前だ。
「……割り引きとかありませんか……」
「お生憎様で~す! この神札は最近めったに出ないので、早い者勝ちで~す。残り一枚で~す!」
「……残り一枚……」
「そうで~す! お求めはお急ぎくださ~い!」
異常なまでの明るい巫女の言葉に私は打ちひしがれ、言葉を失った。
だが華姫を助けるため、ここで諦めるわけにはいかない。
私は山を降りると、近隣では最も栄えている月見ノ庄へと向かった。
ここの武道具店で、私の刀を売るためだ。
私の持っている金になりそうなものといったらこの刀しかない。何百年か前に我が家の御先祖様が、その武勇を称えられて当時の防人様から直々に頂いた由緒ある名剣らしい。母が肌身離さず大切にしていたものを、十六歳の元服の時に私にくれたのだ。
母には申し訳ないが、刀なんかより華姫の命の方が大切なのだ。
「う~ん、これはな~」
武道具店のおやじが刀を見て唸っている。
「防人様から頂いた由緒正しい刀だと母が申しておりました。おいくら位になりましょうか」
私は必死だった。
「いや~、正直、値が付けられねえ。こんなもの扱ったことねえよ。真贋の区別が俺にはつかねえ」
おやじは心底困ったような顔をしていた。
「五百万神銭ではいかがだろうか」
私は必死に食い下がる。
「どうしても五峰神社の神札を買って帰らねばならないのだ。頼む、五百万神銭ではどうだろうか。四百五十万神銭でもいい」
「いや~、悪いね旦那。そう言うことじゃなくて、本当に値が付けられねえんだ」
「頼む。里では病に伏せっている女子がいるのだ。どうしても救いたいのだ」
私は頭を下げて武道具屋のおやじに頼み込んだ。
「へえ~。その女子っていうのは君が好いている娘のことなのかな?」
背後から聞こえる声に私が頭を上げると、私と同じような年頃の、凛々しい女性が立っていた。腰に大小の刀を差し、仕立ての良い着物を着て立ち姿にも品がある。名のある家のお嬢様といった感じだった。
「はい。そうです。好いています。その娘を助けたいのです」
「ふうん。もう告白はしたの?」
「……まだです」
「あはっ。まだ告白もしていない娘を助けるために、その刀を手放すなんて馬鹿げているね」
そのお嬢様は武道具屋のおやじから刀を受け取ると、鞘から抜いて確かめていた。
「これは名刀だよ。見れば分かる。ここで値が付けられないのは当然だよ。こんな名刀、ボクも手にするのは初めてだ。神界全体を見渡しても、これほどのものは滅多にないだろう」
そう言うお嬢様に、武道具屋のおやじが頭を下げている。よほど名の知れたお嬢様なのだろう。
「よし! 五百万神銭だっけ。ボクが買わせてもらうよ」
お嬢様はそう言うと、店の外から侍女を呼び寄せ、即金でお金を払ってくれた。
「面白そうだからボクもその神札を買いに行くの、一緒に行ってもいいかな」
「あなたは私の恩人です。こんなことで良ければご一緒ください」
そうして、このお嬢様と一緒に、私は再びこれでもかというほどの石段を登って五峰神社の社務所へと向かった。
その途中、息も絶え絶えになった私におじさんがぶつかった。
「気をつけろ! ガキ!」
「……す、すいません」
危うく石段を転がり落ちそうになった私は、這いつくばってそう謝った。
「痛ててててて!」
通り過ぎようとしたおじさんの右手を、お嬢様がひねり上げている。
よく見ると、おじさんの手には先ほど私が手に入れたばかりの五百万神銭を入れた袋が握られていた。いつの間にか私はスリにあっていたのだ。
「お兄さん、大切なお金だよ。ボクがいて助かったね、あはは」
そう言ってお嬢様はおじさんの手からお金の入った袋を取り上げて、私に渡してくれた。
「チクショウ! 暗い夜道は気を付けるんだな!」
スリのおじさんは、典型的な小悪人の捨て台詞を吐くと、一目散に石段を下って行った。
「あら! 待姫様ではないですか! どうされたんですか!」
社務所に着くと、先ほどの巫女がお嬢様を見て声を上げた。
お嬢様は待姫様という名前らしい。
「いや~、五百万神銭もの神札を、まだ告白もしていない娘のために買いたいという、もの好きな男につき合ってやって来たんだよ」
「きゃ~! さっき来た時ももの凄く思いつめたお顔をされていましたけど、好きな娘のために神札が欲しかったのですね~。素敵です~! まだちゃんとありますよ、神札!」
巫女に案内されて、神殿に上がると、神主がいた。
「これはこれは、待姫様。いつも当神社へのお力添え、本当にありがとうございます。月見ノ庄の皆様には本当にお世話になっています」
「ああ、こちらこそ。今日はこのお兄さんが神札をお求めだそうだ」
「左様ですか。よい時に来られた。最近は命様もお疲れの御様子で、このような力のある神札はしばらく造れそうもないとのことでした」
神主は私にお祓いをしてくれた後、桐箱に入った神札を渡してくれた。
「あなたに命様の御加護がありますように」
私は一刻も早く華姫のもとへと神札を届けたかった。
石段を降りきると、待姫は私に笑顔で言った。
「よかったな。お前の想い人の病気が治るといいな」
その時だった。
背後から、先ほどのスリのおじさんが待姫にぶつかった。
びっくりしたような顔をした待姫の口から血があふれる。
着物の腹のところから、スリが刺した刀が貫いていた。
倒れた待姫の周りにどんどん血が広がっていく。
スリが走り去る。
侍女が半狂乱で待姫に向かって叫んでいる。
私は何が起きているのか、全く理解できなかった。
侍女や、周りの人達が叫び声をあげているのが、どこか遠くのことのように感じられた。




