81.神都軍
「塩屋関が……落ちただと……」
大神官、冬芽橘樹が報告を聞いて絶句していた。
「はい。戦うこともせず、おめおめと逃げ帰って来た塩屋関の指揮官は、先ほど処刑して宵待川の河原に晒させました」
菊姫はこともなげにそう言った。
「指揮官を処刑しただと! これは初姫の初動の速さを見誤った我らが失策。関所の指揮官の咎ではない」
「だってお母様。せめて戦って負けたならまだしも、何もせずに逃げ帰ったのですよ。万死に値します」
そう言って、自分の何が悪いのだと言わんばかりに菊姫が口をとがらせる。
(ダメだ。我が娘の成長のためにと思って判断を任せてみたが、これでは将兵はついては来ぬ。いや、落ち着け。冷静に考えればまだまだ我々の優位に変わりはない)
橘樹は努めて冷静になろうと心を落ち着けた。
「敵は今どのくらいになる?」
「ニ千程かと」
「菊姫、月見ノ庄だけで一千の兵がいると聞く。僅か二千ということはあるまい」
「報告では二千と聞いているのです。違っていたら、報告した者の責任です」
菊姫はそう言って、ぷいっとそっぽを向いた。
(我が娘ではダメか……何と言うことだ)
橘樹は悄然とした気持ちになった。
「そうか。では会議はここまで。私の執務室に頼光と柳木に来るように伝えてくれ」
そう女官に告げると、橘樹は政庁から出て行った。
後には三姉妹が残されていた。
「ちょっと、何よあれ。実の娘よりあんな男と腰ぎんちゃくの方が頼りになるってこと!」
菊姫は憤懣やるかたないとばかりにそう言った。
「こんな疫病が流行る危機なんて、お母さん経験したことないから対処できないんじゃないの?」
「そうよ毬乃姉さん。もうお母さんって引退したほうがいいんじゃない」
波姫がやれやれと言った口調で毬姫に同意する。
「いずれにしても、この国難はお母さんじゃ乗り切れないわ。お母さんには早く引退してゆっくり休んでもらうことが必要ね。あとはわたし達が尻拭いしてあげないとね」
そう言って菊姫は、大神官が座る席を見つめていた。
大神官の執務室には、神都軍の最高責任者、兵部官長の廻目頼光と、橘樹の草創期からの腹心、第四神官の大町柳木が来ていた。
机の上には神界の地図が広げられていた。
「頼光、敵は今どのくらいだ」
橘樹が地図を見ながら廻目頼光に聞く。
「恐らく一万くらいかと。ほかっとくともう少し多くなりますかね」
頼光が頭をかきながら答える。
「どうだ頼光、勝てるか」
「そうっすね~。防人様の戦力は考えないって前提なら勝てます」
「そうか」
「それよりもですね~、勝手に塩屋関の指揮官を処刑するとかやめてもらえます? いつも部下達には勝ち目がないなら逃げて来いって話しているんで。無駄に戦力消耗したくないんすよね~」
「悪かった。兵への命令権は、菊姫から取り上げておこう」
「あと、神館内に内通者がいますね。情報が駄々洩れしてる感じがします。普通我々の動きを警戒してもっと慎重に動くはずなのに、塩屋関まですぐに進軍して来た。これって俺達が動かないのを知っていたってことっすよね~」
「まあ、これだけ所帯が大きくなると、どこからでも情報は洩れるものだ。以後はこの三人ですべて決めるようにしよう」
橘樹は一息置くと、頼光を見て言った。
「それで、どのように勝つ?」
「ああいう急激に膨れ上がった軍は、まとまりがないものなんですよ。特に南ノ庄の鈴姫は自信家で野心家、上昇志向がやたら強い。手堅い初姫と合う訳がない。そこを突いて、まずは初姫と鈴姫を分断し、各個撃破します」
「敵は一万もいるぞ」
「橘樹様、こちとら金もらって一年中人殺しの訓練してるんすよ。庄兵どもみたいに普段は農作業やっている集団とは違うんすよ。うちらはプロ。殺しのプロなんですよ」
「よし、面白い。それではプロに任せるぞ」
「どうもです。それよりも他の地域での蜂起が厄介です。そこんところよろしくお願いします」
「そうだな、常姫を警戒に当たらせよう。あ奴なら武名だけで皆震え上がるだろう。柳木、祈祷札はどうだ」
「はい。既に三万枚を困窮している地域を中心に配布中です。来週中にはさらに五万枚配布出来ます」
「よし。愛姫様はさらに祈祷札を無料で配布してくれると触れ回るのだ」
「かしこまりました」
「じゃあ、大神官様。俺はそろそろ出撃するよ。それで出撃中のことなんだけど、俺にすべての権限をくれないかなあ。いちいち神都にお伺い立てると遅くなるんで」
「初姫のスピードに対抗するためには、判断を神都に仰ぐ暇はないということか。よかろう、頼光に全権を託す。大神官令を書いてやるから持っていけ。頼光の判断は私の判断であるとな」
「さっすが大神官様! 気前が良くて最高だわ」
翌日、兵部官長廻目頼光率いる神都軍四千が、反乱軍討伐に向けて出発した。




