80.鈴姫の夜這い
鈴姫は多比人の部屋へと続く、真っ暗な廊下を蠟燭の明かりを頼りに歩いていた。
(わたしが狙って堕とせなかった獲物はいない)
鈴姫は、男にとって自分がどれほど魅力的であるかを熟知していた。
(それっぽい素振りをして、素肌をギリギリまで見せつけて誘うと、大概の男は目の色が変わる。そして耳元でささやいてやるのだ、男が望む言葉を)
鈴姫の口角が上がる。
(かっこいい、逞しい、家柄が良い、剣術が優れている、知略がある、わたしだけは理解してますよと優しく言えば、男なんて誰だって簡単に堕ちる。恋人がいようが妻がいようが関係ない。わたしの意のままだ)
(そしてわたしを抱かせてやれば、男は必ずこの躰の虜になる。そしてさらに求めてきたところでお預けをくれてやるのだ。そうすれば男はわたしの奴隷になる)
鈴姫は義兄のことを思い出していた。
(あのお堅い義兄だって例外ではなかった。まあ、あの男はわたしの奴隷になる前に、神都に行ってしまったけど。二度と帰ってこないように呪いをかけておいたから、もう会うこともないだろう。別れる際、『偉くなって帰って来てね』と言った。そう言えば偉くなるまで帰ってくることは出来ない)
(本当に馬鹿な男。南ノ庄の庄長の息子が神都で偉くなれる訳が無い。そんなことも分からないとは所詮庄長が務まる器ではなかったのだ。わたしの庄長の座を唯一脅かす可能性のあるのは義兄だけだったけれど、今頃はどこかで野垂れ死んでいることでしょう)
馬鹿な男が不幸な死に方をしていると思うと、鈴姫はたまらなく可笑しかった。
鈴姫は、次の獲物のことを考えた。
(いい年をして女に免疫のない防人様は、わたしのテクニックで骨抜きにしてあげる。そしてわたしの奴隷にしてあげる。あんな雪姫とか言う生意気な未通女がわたしに敵うわけがない。次の大神官はわたしだわ)
思わずこぼれ出る笑いを、押し殺しながら鈴姫は多比人の寝所へと向かう。
ふと、磨き抜かれた廊下の木の板に、何かが反射したような気がした。
反射的に腰に差した刀に左手を添えたが、周りの気配に異変はない。
右手に持つ蝋燭の炎も乱れてはいなかった。
(……気のせいか)
そう思って再び歩き出そうとした鈴姫は、足を止めた。
それ以上歩くことは出来なかった。
首筋には白く光る刀身が当てられていた。
全身の毛穴が泡立つ。殺される。鈴姫はそう直感した。
「鈴姫……あまり舐めた真似をすると殺します」
(雪姫か! わたしがあの女に不覚をとるとは!)
後ろを振り向こうとした鈴姫の動きは、強くあてられた刀身によって止められた。
「雪姫様、わたしはただ館内の見廻りを……」
刀身がゆっくりと引かれ、自分の首から生暖かい血が垂れるのを鈴姫は感じた。
「も、申し訳ありません……二度と多比人様に近づかないと誓います」
「次はないと思え」
雪がそう言って、鈴姫の首から刀を離した。
その場に倒れ込んだ鈴姫が首筋を抑えると、ねっとりとした血が流れていた。
(わたしも剣術には自信があるが、あの女の強さは別次元だ)
鈴姫は雪を見上げながら、引きつった笑顔を向けた。
「雪姫様、大変失礼いたしました。二度とこのようなことは致しません」
そう言うと、鈴姫は足早に去っていった。
(あの気狂い女め! 本気でわたしを殺そうとしていた。獲物の近くで、たまにこういうブチ切れた女に遭遇することがある。この手の気狂い女は相手にしないことだ)
鈴姫の処世術は、勝てる相手には圧勝し、勝てないと思った敵とは戦わないことだった。
その頃、南ノ庄の男達は道に迷っていた。
「エディ! ここどこだよ!」
「よくわかんなくなっちゃった」
「おい、エディ! あそこの部屋じゃないのか!」
「さすが三洲穂! きっとそこだよ!」
三洲穂が部屋の襖を開けようと手を伸ばすと、勝手に襖が開き、中には抜刀した女性達が何人も立っていた。蝋燭に照らされた顔が殺気にあふれている。その中心にはあの人物がいた。思わず三洲穂が声を上げる。
「は、は、は、は……初姫様!」
「南ノ庄の男どもか。この初姫に夜這いとは、その心意気だけは誉めてあげましょう」
初姫が周りの女武者達に号令をかける。
「この者達の余計なものを、すべてちょん切ってしまいなさい!」
「ち、ち、違うんです! やめて~!」
男達は悲鳴を上げ、股間を抑えながら一目散に逃げて行った。
必死に逃げながら三洲穂は思った。
(これもすべて防人が悪いのだ! 許さんぞ防人!)




