76.初姫の計略
「……これは……惨い……」
庄館の入り口に置かれた四つの首のない遺体を見て、人々は騒然となっていた。
初姫は隣の多比人を見る。
多比人は足が震えていた。自分が戦を嫌がったせいで、神都に使者を送るようになったのだ。使者の四人が殺されたのは、自分のせいだ。
腐りかけ、悪臭を放っている首無し遺体は、多比人を呪っているかのように感じられた。
「多比人様、我々は神都に対して誠意を尽くしました。これではもう、仕方ございませんね」
初姫が多比人にそう語りかける。
多比人は死体から目を離せない。
目を多比人から離し、遺体の前に集まった家臣に対して初姫が言い放った。
「使者を斬るとは、古来から最も非礼な行い。我々が礼を尽くしたにもかかわらず、神都のこの態度は許しがたい。この死んでいった者達は、いずれも月見ノ庄を長く支えた重臣である」
初姫が家臣達を見回す。
泣きながら家臣達は初姫を見る。
「時は来た! 我々は防人様を総大将とし、神都を討つ!」
初姫の言葉を受けて一斉に鬨の声が上がり、刀が、槍が打ち鳴らされる。
「直ちに準備を始めよ! 神都軍はすでに南国街道の刈坂関に兵を集めつつある。先手を取るのだ!」
「応!!!」
すさまじい気合いの入った声を上げて、家臣達が自分の刀や槍を高く上げる。
多比人はその光景を茫然と見ていた。
「よろしくお願いしますよ、防人様」
そう言う初姫に、多比人は蒼白な顔で頷くしかなかった。
立ち去ろうとする初姫を雪が呼び止める。
「初姫様。あまりわたしの夫を誑かさないでください」
初姫はさも心外だとばかり、笑みを浮かべて答える。
「雪姫様、わたしはあなたの夫に手を出したりしていませんよ。そもそもタイプが全く違います」
そう言ってとぼける初姫の耳元に、雪が声を潜めて言った。
(使者を神都に殺させたのはあなたでしょう)
雪は初姫をひと睨みすると去って行った。
去っていく雪を見ながら初姫は思った。
(多比人様にくっついているだけの娘かと思ったら、さすがはあの時姫の妹ですね。少し用心することとしましょう。)
まだ蒼白な顔をして立ち尽くしている多比人に、雪が声を掛けている。
(それにしても多比人様はお優しいこと。死体を見て自分のせいだと震えていらっしゃる。まあ、頭に戴くにはちょうど良さそうですね)
他から気づかれないように、うつむきながら笑みをこぼし、初姫は庄館へと戻って行った。
翌日から、月見ノ庄の庄館は慌ただしくなった。
月見ノ庄の兵だけでなく、事前工作して味方に引き入れていた庄からの兵が集まるとともに、様々な物資や兵糧が運び込まれていた。
初姫は、時姫から届いた神都に不満を持つ庄のリスト宛に、檄文をひたすら書いて送っていた。
刈坂関には既に近隣の神都側の庄から五百程の兵が集まっているらしい。シノビによる偵察によれば、まだ刈坂関の兵達は戦になるとは思っておらず、のんびりしたものだという。
時姫からの知らせでも、まだ神都から兵は動いていないらしい。
刈坂関はここから北へ一日の距離にある関所で、ちょうど月見ノ庄に蓋をされているような場所だ。ここを固められたらやっかいだ。
(やるなら、今だ)
その日の夜中、甲冑を着た初姫が、多比人達にあてがわれている部屋にやって来た。
「ただいまより刈坂関に奇襲を仕掛けます。多比人様は明日、我らが占領した刈坂関にごゆるりと参られよ」
そう言って多比人に一礼すると、初姫は甲冑を鳴らしながら出て行った。
多比人が慌てて庄館の建物から出てみると、中庭には完全武装した五百ほどの騎馬武者が、篝火に照らされて整列していた。
「出陣!」
初姫の号令の下、騎馬武者達が地響きを立てて正門から出ていく。
騎馬隊とはこれほど凄まじいものなのかと、多比人は地響きを感じながら慄いていた。時代劇や映画などとは全然違う。殺気がほとばしっている。
彼らはこれから人を殺しに行くのだ。
多比人の隣にいた雪が言う。
「多比人様、よろしいのですか」
暗い中で雪の白い肌が浮かび上がる。
「愛姫様を討って欲しいと言ったわたしが言うのも何ですが、多比人様はお辛そうです。いっそ、このまま楓と三人で逃げ出してしまいましょうか。下界で静かに暮らしても雪はいいです」
雪の言葉を聞いて、多比人は本当にそうしたくなる。
「ありがとう、雪。でも、お姉さんや鷹姫様は、神都に囚われたままだよね。それでいいの?」
「かまいません。わたし、姉よりも鷹姫おばあ様よりも多比人様の方が大切なのです。多比人様が生きていればわたしは何もいりません……わたしは、薄情な女でしょうか」
にっこり笑って多比人が答える。
「そんなことないよ。雪ほど優しい女性なんていないよ。ありがとう。僕もこのまま下界に逃げちゃった方がいいかなって、散々思ったよ」
雪が多比人を見つめる。
「でも、それじゃあ下界にいても、僕も雪も心の底でお姉さんや鷹姫様のことをずっと気になったままになると思うんだ。それにね……」
「……それに?」
「そう、それにね、最近僕は考えるようになったんだ。雪や楓達と一緒に旅をして、神界のいろいろな人に出会ってから、考えるようになったんだ」
雪はいつの間に、多比人はこんな顔をするようになったのだろうと思った。
「僕が防人である理由は何だろうって。神界、そりゃ嫌な人もいるけど、素敵な人がたくさんいる。頑張って生きている人がたくさんいる。その人達を、僕は守りたい」
ああ、この人を選んでよかったと雪は思った。
「この防人の力、聖剣『神祓』の力は凄まじいものだよ。あんな土石流をはじき返しちゃうんだからね。多分戦争になったら、一振りで大勢の敵を粉砕することだって出来ると思う」
少しためらいながら、多比人は言った。
「本当のことを言うと、聖剣を使いたくてウズウズしている自分がいる。神都軍なんかバッサバッサと薙ぎ払って、力を見せつけたい自分がいるんだ。斑病を治すのだって、人のためとは言いながら、どんどん治して無双している自分が面白くて仕方がなかったよ」
多比人が自分の右手を見つめる。
「人は多分、強い力を持つと、使ってみたいという衝動が抑えられなくなると思うんだ」
右手を握りながら、多比人は言った。
「でも、それで人を殺したりしちゃダメなんだよ。衝動を押さえなくちゃダメなんだ。僕が防人になった理由はそれだと思う」
雪がうっすらと、目に涙を浮かべている。
「僕は聖剣で人を傷つけない。それで、神界のみんなを幸せにしてみせる。それが僕という防人の役割だ」
多比人を雪が抱きしめる。
「わたしの防人様、素敵です」
雪を抱きしめながら多比人が言う。
「そうは言っても、雪や楓を守るためなら聖剣を振るっちゃうかもしれないけどね。でも、ぎりぎりまで頑張ってみたいと思うんだ」
「わたしは多比人様に害をなすものは、すぐにぶっ殺します」
そう言って、二人は笑いあった後、口づけをした。
二人にとって、初めての口づけだった。
遠くから、甲冑の鳴る音や兵達の声が響いていた。




