75.あにといもうと
新しい救民処は、神館の塀の中に作られた、倉庫のようなスペースを使って設けられていた。
救民処の責任者である時姫や、作業に従事する時姫の配下の者達は『婿見せ』で敗れたり、罪人として収容された者達ばかりだ。そのため、愛姫様の結界である神館の外には出られないからだ。
食糧を求めて地方から神都に流入する流民は、日に日に増加していった。
今日も朝からずっと粥の炊き出しを行っているが、粥を求める流民の列がいつまでたってもなくならない。それもそのはずで、一度粥をもらった人が、すぐに最後尾に並んでしまうので、永遠に終わらないのだ。
「お疲れ様でございます! さあ、粥はいくらでもございますのでご安心ください! ゆっくり、順序良くお並びください!」
笑顔で時姫が民衆に呼びかける。
時姫の真っ白な巫女服を見て、彼女がこの神界で五人しかいない神官の一人であることが、民衆にはすぐ分かる。自分の命も顧みずに炊き出しを行う神官は、民衆にとって神のような存在だ。跪いて拝んでいる人もいる。
そんな時姫のもとに、ぼろを着た瘡蓋だらけの貧相な男が現れた。
「ウイッスウイッス~!」
「どうもこんにちは。大変申し訳ありませんが、炊き出しはお並びいただけますか。ちょっと列が大変長くて恐縮ですけれども」
「正門に行ったらこっちに行けって言われたっす」
そう言って笑う笑顔が貧相だ。
「はあ、炊き出しはこちらで行っておりますが、何か御用でしょうか」
そう尋ねる時姫の背後から、ふわっと甘い香りがする。
甘い香りにつられて時姫が振り向くと、深紅の瞳に流れるような銀髪の、絶世の美女が立っていた。
「愛姫様!!」
驚きのあまり時姫が叫ぶ。
その声を聞いた民衆が愛姫様に気づく。
「愛姫様だ!」
「愛姫様がお出ましになられた!」
「愛姫様が我らをお救いに来てくださった!」
あたり一面の民衆がことごとく跪いて平伏する。
民衆は愛姫様を見たことなどないはずだが、時姫の言葉と、その常軌を逸した美しさで愛姫様だと確信していた。
涙を流して拝んでいる者も多くいる。
時姫をはじめ平伏する民衆の中で、唯一へらへらと貧相な笑いを浮かべて立っている男がいた。先ほどやって来た瘡蓋だらけの男だ。
「愛~、久しぶり~」
その貧相な男はこともあろうか愛姫様に向かって『愛』などと呼び捨てだ。
さすがの時姫も度肝を抜かれて、思わず男の顔をまじまじと見つめてしまった。
「お兄様!」
そう言って愛姫様が貧相な男に抱き着いた。
(お兄様!!!!!?????)
時姫は目玉が飛び出さんばかりに驚いた。この貧相な男がよりによって絶世の美女の兄だとは! 親は一体何をしているだと時姫は思った。
「会いたかったのじゃ~!」
息を飲むような愛らしい笑顔で、愛姫様は貧相な男を抱きしめる。
女性である時姫ですら、自分もあんな風に愛姫様に抱きしめられたいと、うっとりしてしまう。
愛姫様に抱き着かれた男は、光の粒子に包まれたかと思うと、白く光り輝いた。
あまりの眩しさに目をつむっていた時姫が、ゆっくりと瞼を開けると、そこには愛姫様とともに、サラサラの黒髪に切れ長の瞳を持った、激烈なイケメンが立っていた。
時姫は頬を赤くして見とれてしまった。夫と初めて会った時ですら、こんなことはなかった。
イケメンが自分を見る時姫に気づいて話しかける。
「やあ、綺麗なお嬢さん。君は時姫だね」
「……は……はい」
神界一の武勇と知略の持ち主と言われた時姫が、うぶな少女のように答える。
「僕は草安命。君の妹、雪姫には世話になったよ。礼を言うよ」
その言葉に、愛姫様が反応する。
「お~! お前は時姫か! 『婿見せ』で妾の一撃を、真正面から受けたのはお前が初めてじゃ。お前は雪の姉であったか。姉妹そろって楽しい奴じゃ!」
「あ、愛姫様……雪を……ご存じなのですか」
「そんなことより時姫! また『婿見せ』をやろう! お前のような強い奴と妾は戦いたいのじゃ!」
そう言って、愛姫様はにっこりと時姫を見て笑う。
まるで『婿見せ』を遊びか何かだと思っているようだ。
「愛姫様。私は愛姫様に『婿見せ』で敗れたため、夫とも会えず、この神館に囚われたままです。愛姫様の結界で、こうして神館の外にも出られず、不自由しています」
「そ、そうなのか!?」
びっくりしたように愛姫様が時姫の顔を見る。
「皆、それを恐れて『婿見せ』を避けるのです」
「……そうか、それで最近めっきり『婿見せ』が減っておったのじゃな」
そう言って愛姫様が考え込む。考え込む様も愛らしい。
「愛、人というものは夫婦になると、一緒に暮らしたいものなんだ。おまえが戦いたいからと言って、夫婦の中を割くのは良くないことだよ」
兄と呼ばれた男が愛姫様に優しく諭す。
「多比人だって、雪姫と結婚したいのに、お前の『婿見せ』を恐れていまだに結婚出来ないでいるのだよ」
「多比人と雪が!?」
かなりの衝撃の事実だったらしく、愛姫様はその愛らしい口をぽかんと開けて絶句している。
「多比人に……悪いことをしてしまったのじゃ。雪にもじゃ」
愛姫様はそう言ってしょんぼりしてしまった。
その姿を見て何とかしてあげたいと思いながら、時姫は言った。
「『婿見せ』はもうしないと誓ってくださいますか」
「……もうしないのじゃ」
「ありがとうございます、愛姫様。皆とても喜ぶと思いますよ」
「……そうなのか」
「はい、もちろんでございます。そして時がここにいるうちは、いつでも何回でもお手合わせにおつき合いしますよ」
「本当か!?」
愛姫様がぱあっと笑顔になる。
その笑顔を見て、本来敵である愛姫様のために何でもしてあげたいと思ってしまうのは、愛の女神を前にした人間にとって、仕方のないことなのだと時姫は思った。
ふと、時姫が自分の足元を見ると、神館の敷地から外に出ていることに気づいた。




