72.救民処
「小娘が! ふざけおって!」
神館の政庁では、大神官冬芽橘樹の怒鳴り声が鳴り響いていた。
「防人は月見ノ庄にいたのか! 防人がいるからと強気に出おって! 小娘が!」
初姫からの神都への書状には、神都に備蓄されている御囲米の放出とともに、飢饉の際の神都の役割である、お粥などの食料を配布する救民処の開設も要求されていた。神都は役割を放棄していると断罪していた。
救民処の開設は、神都内でも請願されていたが、神官達はすべて突っぱねていた。何故なら慣例として、救民処は昔から神官自ら先頭に立って活動することとされていたからだ。
五人いる神官の誰もやりたがらなかった。
しかし、何故か初姫と防人の連名の請願書が神都に出されたことは、その内容とともに神界全土に知れ渡っていた。
「でもお母様、ここで何もしなければ、民の不満はさらに高まりましょう。初姫に民衆を煽る口実を与えかねません」
第一神官であり、橘樹の長女である菊姫が平伏しながらそう言った。
政庁内に沈黙が流れる。
橘樹が、第五神官の棚野黒羽を見る。
娘達と違い、低い身分から橘樹が取り立てた腹心中の腹心だ。
「大変な仕事だ。黒羽、やってくれるか」
「大神官様の仰せとあらば」
黒羽は即答した。
「恩に着る」
橘樹が女官に告げる。
「黒羽に準備手当として壱千萬神銭を支給せよ。そして黒羽の娘に『春奈ノ庄』を与えよ」
「『春奈ノ庄』は大神官様直轄地の中でもとりわけ豊かな庄。我が娘はまだ八歳。よろしいのですか!?」
「しばらくは代理の者にでも統治させよ。お前の心意気に報いさせておくれ」
「大神官様! この黒羽、必ずやご期待に応えまする!」
そう言って、平伏する黒羽のところまで行って、橘樹はその背中をさすってやった。
結局、神都は救民処を神都に一か所だけ開設することにしたが、御囲米の各庄への放出は行わなかった。実際は、斑病流行の感知が遅れ、御囲米の十分な確保が出来ていなかったのだ。
そして、神都ではさらに追い打ちをかける出来事が起こった。
救民処で自ら先頭に立って粥を民に配っていた黒羽が、斑病に罹患して死亡したのだ。
第五神官の死亡は神界全体にすぐに広まった。愛姫様の住む神都ですら斑病を制御できないのに防人様は祓うことが出来る。十分に流通しない祈祷札への不満も加わり、民衆の神都への信頼は大きく揺らいだ。
そんな非常事態にもかかわらず、大神官の三人の娘は、空席になった第五神官の席を誰が自分のものにするかで争っていた。
大神官は神官五人の投票によって決定する。第五神官を自分の息のかかった者にすることが出来れば、二票を自分のものと出来、一気に大神官へと近づけるのだ。
しかし、当然第五神官になった者は救民処を担当しなければならない。
第五神官の地位は欲しいが死んでしまっては元も子もない。三人の娘の部下達も、誰も怖がって名乗り出もしなければ、娘達も自分の子飼いの部下を推薦もしなかった。
三人の娘は互いに相手の出方を窺ったまま、状況は膠着していた。
「私を第五神官に御推薦くださいませ」
そんな状況で、時姫は波姫にそう申し出た。
波姫は驚いた。
「あんた、死ぬわよ!」
「私が第五神官になれば、波姫様の大神官様への道が一気に近づきます。日頃の波姫様への御恩に報いるのはこの時かと存じます」
そう言って時姫は平伏した。
波姫は思った。確かに裁判のほとんどを実質的に裁断している時姫は、能力としてはケチのつけようがない。しかも、もともと東ノ庄という名門の庄長だ。家柄的にも自分達より上なくらいだ。
そして何より、死んだところで痛くもかゆくもない。
死ななければ自分の大神官への駒として使える。
死んだら便利な下女がひとりいなくなるだけだ。
「あんたの心意気、気に入ったわ」
波姫はそう言うと、自然と笑みがこぼれ出た。
時姫は『訴訟前裁き処』の所長室に戻ると、滝姫に言った。
「波姫様は、私を第五神官に推薦してくれるそうです」
滝姫は、少し間を置いて言った。
「ご指示通り、神界全土に初姫様からの書状の件や、神都の不甲斐なさを流布させました」
「さすがの大神官様も、追い詰められているようです」
そう言って平然としている時姫に、耐えきれずに滝姫が言った。
「しかし時姫様、今の時期の第五神官就任は危険過ぎませんか。お命が危のうございます!」
笑いながら時姫が答える。
「あなた達の報告によると、斑病に罹患する人は全体の約三割。そして死亡する人はその半分。つまり、何もしなくても七割は罹ることもなく、罹っても半分は助かるということです。ここで死ぬようでは、私もここまでということです」
滝姫が食い下がる。
「しかし、そうは言ってもあまりにも危険でございます。時姫様に何かあれば、成せることも成せなくなります」
時姫は滝姫の頬にやさしく手を当てる。
「多比人様は命を懸けています。初姫もそうです。私は命を懸けてこの神界を正したいと思っています。命も懸けずにこのことを成し遂げられるとは思っていません。私に万が一何かあれば、滝姫、あなたが立つのです。私は一人ではない、そうですよね」
「……時姫様」
そう言って涙を流す滝姫を、時姫は優しく抱きしめた。
「時姫様、こんな時に何ですが……シノビからの報告がございます」
涙に濡れる顔を上げて、滝姫が時姫を見る。
「……多比人様のことですか……折角いい話をしている時に……分かりました。聞きましょう」
「はい。多比人様は、なんとあの有名な『エロおやじの館』に行かれたそうです」
「……冬芽鹿野様の悪名高い、幼児を集めた変態の館のことですね……」
「そうです。和名倉ノ庄の斑病を祓う代わりに俺を楽しませろと、多比人様は『エロおやじの館』を堪能されたそうです。恐らく趣味が合ったのでしょう、多比人様は『冬芽鹿野はあっぱれな人物である。変態に悪い人はいない』と称賛してやまなかったそうです」
「……類は友を呼ぶとはこのことですね。雪は大丈夫でしたか?」
「はい。多比人様は高価なアクセサリーを雪姫様に買い与え、これが欲しかったら黙っていろと脅迫したようです」
「……」
(多比人様は大神官様の息子という敵であっても、変態なら誰でも友としてしまう変態の中の変態、ゴッドオブ変態のようです。しかも妹を高価なアクセサリーで言いなりにしてしまう人の風上にも置けない方。初姫に多比人様と兵を挙げろと書状を送りましたが、初姫の身は大丈夫でしょうか。まあ、初姫には想い人がいるから大丈夫だとは思いますが……)




