59.土石流
西ノ庄の庄長、吉姫が囲炉裏を囲みながら話してくれたのは、西ノ庄のこれまでの辿った歴史だった。
百年ほど前、神界の中でも特に西ノ庄は栄えていた。山から流れ出る水は枯れることがなく、土地は豊かで商人も多く訪れ、活気に満ち溢れていた。何より、神界に四人しかいない防人様の住む庄として、庄の民達は誇りを持って生きていた。
防人様のいる庄は、慣例として神都に税を納める必要はなく、裁判や警察権なども独自に持つことを許され、いわば神界内での独立国家と言っても良かった。
当時の防人様は、大井兵馬様と言い、人望も厚く立派な人だった。
だが、西ノ庄の民にとって、最早防人様がいることは当たり前のことになっていた。
兵馬様は、度々下界に出かけては、めずらしいお菓子や便利な道具や衣服を持ち帰り、世話になった者達に渡していた。そのことを羨んだ人々は、兵馬様のことを非難した。
「自分だけ下界に出かけてずるい。私達も連れて行け」
防人様が下界に連れて行けるのは、手をつないだ少人数だけ。しかもむやみやたらに大勢の人を、下界と行き来させることは好ましくないとされていた。
結果として、兵馬様は下界から物を持ち込んだり、下界での出来事をあまり話さなくなった。そして、いつしか兵馬様は、神界より下界にいることの方が多くなった。
「下界は神界よりも良い所なのだろう。自分ばかりいい思いをしてずるい」
そう言って庄の民は兵馬様を非難した。
後でわかったことだが、この時兵馬様は、西ノ庄への入り口が存在する下界の土地を、どうにかして購入しようと奔走していたらしい。西ノ庄への入り口の山々では珪石が採掘出来るため、鉱山開発の危機にさらされていたのだ。
兵馬様は庄の民にそのことを説明したが、当時の人々は、下界で起きたことが自分達のいる神界に何か影響を及ぼすわけがないと信じていた。
兵馬様は、下界には行かなくなり、神界で過ごすようになった。
それからしばらくして、西ノ庄の山々で土砂崩れや山抜けが起こるようになってきた。それは西ノ庄の中心部には被害は及ばなかったため、誰も気にも留めなかった。ただ、兵馬様だけが心配し、聖剣『霜斬』で土石流を跳ね返したり、山崩れの土砂を切り崩したりと孤軍奮闘していた。
しかし、徐々に山々の崩れは広がり、土砂が河の流れを堰き止めた。
水の流れが止まったことで、一気に西ノ庄は作物が実らなくなり、困窮した。兵馬様の聖剣で、川の流れを一時的に戻しても、すぐに土石流が埋めた。
庄の民は、兵馬様が土石流を防人様の力で防ぐことに失敗したのだと非難した。
兵馬様は、丘の上に住居を建てて山を見張り、土石流が起こると昼夜を問わず、防ぎ止めることに奔走した。その防人様の建てた住居が、いま多比人達がいるこの家だ。
そんな時、神都は西ノ庄から税をとることを決定した。
それは他の庄に比べれば僅かなものではあったが、いままで税を払ってこなかった西ノ庄の庄民は激怒した。何故防人様のいる庄の我々が、そんなものを払わなくてはいけないのかと。
それで兵馬様に庄長の娘を娶らせ、『婿見せ』をして愛姫様を討てと迫ったのだ。
兵馬様は庄民の願いを聞き入れ、『婿見せ』で神都へと旅立った。
しかしもうその時には、西ノ庄のかなりの部分が土石流に埋められ、聖剣の力は弱まっていた。それを分かっていて、兵馬様は『婿見せ』に挑んだ。
そこまで話すと、吉姫は多比人を見て言った。
「その後はご存じの通り、兵馬様は愛姫様に負け、その一生を神館で終えられました。兵馬様の死後、聖剣は西ノ庄のどこかに戻ってきたはずですが、荒れ果てた西ノ庄のどこに戻ってきたのかは分からずじまい。それで西ノ庄から防人様はいなくなり、その後荒れ果てた西ノ庄は誰からも見捨てられ、庄民もいなくなったというわけです」
家の外を、風が唸りながら吹きつける音が聞こえる。
まるで、西ノ庄を見捨てた庄民に抗議しているようだ。
「では、何故吉姫様はここから出て行こうとされないのですか」
多比人がまっすぐに吉姫を見てそう言った。
吉姫は、やわらかな笑みを浮かべて多比人に言った。
「わたしのような者がいないといけないのです。兵馬様は、きっと西ノ庄のことが好きで、民のことが好きで、民のわがままに振り回されても民のことを大切に思われたのでしょう。なのにすべての民がここから去ったなんて、あまりに悲し過ぎます」
遠くで静かに低く、山鳴りの音がする。
「だからわたしはこの西ノ庄と運命を共にするつもりです。ここが土砂に埋め尽くされるその日まで。それで兵馬様が少しでも、民を信じて良かったと思われるなら本望です」
そう言って静かに笑う吉姫を見て、多比人はもうこの人は覚悟を決めているのだと思った。
吉姫からは、この丘の上に建つ家にも土石流はいつ襲ってくるか分からないから、明日の早朝には帰るようにと言われた。
多比人は床に就いた。
風の唸る音に紛れて、先程から断続的に山鳴りの音がする。
多比人はそっと、布団から出た。
「……多比人様」
雪が多比人に声を掛ける。
「大丈夫。ちょっと見てくる」
そう言って多比人は家の外に出た。それを追って雪も外に出る。
半月が、荒廃した西ノ庄を白々と照らしている。
山の端にかかる雲が一瞬赤くなったような気がした。凄まじい山鳴りの音の後、土石流が地響きを上げて多比人達がいる丘を飲み込もうと押し寄せてきた。
雪はあまりの恐怖に家の壁に縋りつくが、家自体が震えている。
多比人が右手を横に出すと、聖剣『神祓』が半月の光を吸って、一層白く輝いていた。
土石流に向かって多比人が聖剣をふるう。
聖剣の放った斬撃に、土石流がすさまじい音とともにはじき返され、土砂が上方へと舞い上がり、半月を覆い隠す。さらに多比人が聖剣をもうひと薙ぎすると、完全に土石流を押しとどめ、行き場を失った土砂は、土手のように盛り上がって止まった。
再び半月が静かになった荒野を照らしていた。
「……多比人様」
多比人の後ろから雪が声を掛ける。
「あんな土石流が襲ってくるようでは、この家もいつ飲み込まれてもおかしくはありません。吉姫様は、もうお覚悟を決められているようですね……」
雪の言ったことには答えず、多比人は家の中に戻った。
「これで今夜はとりあえず大丈夫でしょう。さあ、もう寝ようか」
そう言うと多比人は、雪に背を向けて寝てしまった。




