56.金魚すくい
樽彦が黒山の人だかりをかき分け、金魚すくいの屋台で見たのは凄まじい光景だった。
本来色とりどりの金魚が悠々と泳いでいるはずの水槽には、一匹たりとも金魚はいなかった。そしてその水槽の前には、いくつものお椀に大量の金魚を掬い終えた男が、悠々と金魚すくいの網、通称ポイを口にくわえていた。
「俺様は金魚すくいの政。正明様の子分さ。俺は山に籠ること十年、海に潜ること十年、併せて二十年の修行で金魚すくいの奥義を極めし者。俺の前に金魚なく、俺の後にも金魚なし」
その政の周りでは、楽しみにしていた金魚すくいを奪われた子供達が泣き叫ぶ声と、屋台のおじさんの嗚咽が渦巻いていた。
「な、なんじゃこりゃ~!」
この世の地獄のような光景を見て、樽彦は驚愕した。
「何たる人非人! 何たる極悪非道! 金魚がいないではないか~!」
そう叫ぶ樽彦を、金魚すくいの政はちらりと見て言った。
「金魚すくいとはそういうものだ。金魚すくい……それは修羅の道」
樽彦はビビった。自分に金魚すくいへのここまでの覚悟があっただろうか。自分はこの男に覚悟という点で負けている。樽彦は桶を抱えながらうなだれた。
その時、樽彦は思い出した。雪に殴られて道を転がった時の快感を。勝姫に裸で縄で縛られたときの快楽を。自分にだって、譲れない覚悟がある。
「……では……政とやら……貴様にこれがすくえるか!」
樽彦はそう言うと、金魚のいなくなった水槽に、桶から雷魚をそうっと入れた。
雷魚は無人の荒野を行く名馬のように、ゆうゆうと水槽を泳ぎだした。
「ぐぬうううううう!」
金魚すくいの政が、雷魚を見てうめき声を上げた。
「こ、これは雷魚。金魚を食べるという雷魚。金魚すくいを極める者が、最終的に到達するのはここなのか! 雷魚すくいなのか!」
そう言うと政は、口にくわえていたポイをその手に握り直し、静かに息を吐いた。
「金魚すくい北振一ポイ流奥義、水流流転!」
政はそう叫ぶと、一秒間に千回の速さでポイを雷魚に向かって突き出した。
「あたたたたたたたたたたたたたたた!!!」
ポイの生み出す風圧で、水槽の水が跳ね上がり、徐々に雷魚の魚体が浮き上がり始めた。
「な、なんだと!」
樽彦の誇る雷魚が徐々に空中に上がっていく。樽彦は桶を抱えながら驚愕した。
「ボ、ボキの雷魚が……楽しい時も、苦しい時もいつも一緒だった雷魚が……」
幼い時からの雷魚と過ごした日々を、走馬灯のように樽彦が思い出そうとしていたその時、政のポイを持つ右手が、何者かの手によってむんずと掴まれた。
「このポイの紙~、布で出来ていますよ~。インチキです~」
政の手からポイを奪い取った杏が、まわりに指でいくらついても破れないポイを見せていた。
「き、貴様! 我が究極奥義を見破るとは!」
「何が奥義だコノヤロ~! ただのインチキだろ~!」
金魚すくいのおじさんが政に殴りかかる。
「雷魚なんてすくえるか~!」
政が樽彦に殴りかかる。
「ボキの雷魚をバカにするな~!」
樽彦と政が乱闘になる。
それを見ていた正明の手下どもが乱闘に加わる。
さらにそれを見ていた樽彦の手下どもが乱闘に加わる。
その拍子にお椀がひっくり返り、下に落ちた金魚を拾おうと、子供たちが殺到する。
あたり一帯は大混乱になった。
「ミーの手下に酷いことをしたのはお前か!」
正明が樽彦を睨む。
「ボキの雷魚をバカにしたこいつらの親玉はお前か!」
樽彦が正明を睨む。
「「ぶっ殺す!!」」
何十名もの男達による大乱闘が繰り広げられ、騒ぎは祭り会場全体へと広がって行った。
「せっかく主達に合流してお祭りを楽しもうとやって来たのに、騒がしいですね」
正明と樽彦達の争いを見て、牛串を片手に楓が酒を飲みながら歩いていた。
「ごっつあんです! あいつ、この前の居酒屋の娘だ!」
「目つぶし娘だ! 捕まえてちゃんこ鍋に入れてしまえ!」
楓を見つけた力士達が、そう叫びながら楓をめがけてがぶり寄って来た。
「誰がデブどもに捕まるか!」
「またデブって言った! どすこ~い!」
二十名の力士達が総出で楓に襲い掛かる。
楓はひらひらと、踊りを踊る集団を隠れ蓑に力士達を躱す。
正明と樽彦達の乱闘と、楓と力士達の追いかけっこの混乱で、祭りはしっちゃかめっちゃかのカオスの様相を呈してきた。
大会本部テントにいた雪と広重は、何が起きたか分からず、尊姫を守護していた。
と、その時、大会本部にいた多比人と、逃げ回っていた楓の目が合った。
「やばい!」
楓は多比人が本部テントにいたことから、きっと祭りの主催者と懇意にしており、祭りで騒ぎを起こした自分が怒られると瞬時に判断した。
その足の止まった楓を、力士の凶暴な張り手が襲う。
楓は多比人の方に逃げることを躊躇した結果、背後にある拝月塔によじ登った。
「櫓だ! 櫓の上にいるぞ!」
二十人の力士達は、拝月塔の頂上の舞台にいる楓を指さして口々に叫ぶ。
「どすこ~い!」
一人の力士が拝月塔の基部に張り手をかました。
その振動で、楓は舞台から落ちそうになるのを必死にこらえる。
「どすこ~い!」
それを見た他の力士達も一斉に、拝月塔に張り手をかましだした。
「どすこい! どすこい! どすこい! どすこい!」
グラグラと揺れる拝月塔の上で、楓が泣きそうになりながら必死に落ちないようにしがみついている。
「やめてください! 拝月塔が壊れてしまいます!」
尊姫の悲痛な叫び声にもかかわらず、興奮した力士達は楓を振り落とそうと、拝月塔への張り手をやめない。
正明と樽彦達の乱闘は踊りを踊っている人達にも広がり、何故か庄の民同士も殴り合いを始めていた。もう、祭りどころではなく、会場は乱闘現場と化していた。
山の上から見ていた勝姫は、祭り会場が異様な状態になっているのを見て、近くまで行ってみることにした。
勝姫がそこで目にしたものは、暴れ、叫びまわる民衆と、左右に大きく揺れる拝月塔だった。もう、豊穣祭どころではなかった。
祭り会場は、修羅場と化していた。




