44.野犬
「ウォォォォォォオ~ン」
遠くから野犬の鳴き声が聞こえる。
「主、野犬です! 野犬の鳴き声です! この辺りは野犬が出るそうです!」
楓が怯えたように周りを見回す。
見回したところで周囲は夜の闇に包まれ、何も見えない。
多比人達は野宿をして焚火を囲んでいた。
「やっぱり出発は明日にした方が良かったんじゃないですか!」
「楓が寝坊したのが悪いんだろ。もっと早く出発していれば城郷ノ庄までたどり着けたよ」
「主、かよわい楓のせいにするんですか!」
「鍋が出来ましたよ、多比人様、楓」
雪の一声で多比人と楓が黙る。
「さすが雪! こんな時でも雪は料理が上手で助かるよ」
「多比人様、正直ですこと。うふふ」
「ちょっと、ラブラブしている場合じゃないですよ。野犬ですよ野犬!」
楓は野犬が苦手らしい。
「大丈夫だよ。うちには優秀なシノビがいるから野犬なんてお茶の子さいさいだろ」
「お茶の子さいさいって……シノビだからって何でも出来るわけではないんです。特に野犬は鼻が利いて集団で襲ってくるから厄介なんです。旅人は結構襲われる人が多いらしいですよ」
楓が辺りを見回しながら鍋を食べる。
「この辺の野犬って狂犬病とか持っているのかな?」
「狂犬病!? 何ですかその名前からして恐ろしげな名前の病気は!?」
「神界には狂犬病ってないの? 下界の外国のネパールとかでは、野犬は結構な割合で狂犬病だって聞くけど」
「それで狂犬病って何なんですか?」
「狂犬病って言うのは、犬に噛まれた人間が感染して、他の人間に噛付くようになってしまう病気のことだよ」
「人間に噛付く!?」
「そう、そして嚙まれた人間は狂犬病になってしまって、また他の人間に噛付く」
「他の人間に!?」
「そう。それでどんどん感染が広がっていくんだって」
「あ、主。主が狂犬病になっても楓のことを嚙まないでくださいね」
「どうだろうね~。まあ、雪になら噛まれてもいいけど」
「多比人様、もし噛まれるならどこを噛まれたいですか?」
「どこだろう? ほっぺたとか?」
『かぷ』
雪が多比人のほっぺたに甘噛みする。焚火の炎に赤く照らされていても、多比人の顔が真っ赤になっているのが分かる。
「うふふ、多比人様を噛んじゃいました」
最近雪の機嫌がいい。多比人は内心嬉しく思っていたが、ここまで積極的とは驚いた。それよりも、キスより先に嚙まれたことに多比人は動揺していた。
「ちょっと。楓の前でイチャイチャするのやめてもらえますか」
「ごめん、楓。じゃあちょっとどっか行って来て」
「主! 周りには野犬がいるんですよ! 酷い! 酷すぎます!!! わたしさっきからトイレ我慢しているのに!!!」
楓が涙目で怒っていた!!!
「きゃあああああああああ!!!」
その時、遠くで女性の悲鳴が聞こえた。
すぐさま三人は立ち上がる。
「あちらの方から聞こえました」
雪が暗闇を指さす。よく見るとかすかに焚火の明かりが見える。
多比人と雪が走り出していた。
「はわわわっ、置いていかないでください!!!」
楓が後を追う。
多比人が走っていくと、若い男女が野犬に襲われていた。
男が火のついた棒を振り回して防いでいる。
野犬は三十匹ほどもいて、男女を取り囲んでいた。
「たのむ、『神祓』!」
多比人がそう言うと、右手から闇夜でも白く光り輝く聖剣が出現し、一振りすると野犬達は吹っ飛んで行った。残りの野犬もキャインキャインと鳴きながら霧散した。
「大丈夫ですか?」
多比人が聖剣を引っ込めながら若い男に聞く。
「大丈夫です。ありがとうございます」
焚火に照らされた若い男の顔は、かなりのイケメンだった。
イケメンは、左腕に抱いていた若い女性に言った。
「怪我はないかい? 咲姫?」
「はい。大丈夫です。貴頼様」
若い女性はもの凄く綺麗だった。
焚火に照らされた美男美女に見とれながら、イケメンっていいなあと多比人は思った。
多比人達が焚火をしていたところに避難してきたイケメンと美女は、ここで野宿していた理由を話し出した。
「親が、僕達の交際を認めてくれないのです。それで時々、ここで焚火を囲んで逢っているのです」
「ここは野犬が出るし、危険ではないのですか」
雪が聞く。
「はい。でも、城郷ノ庄では監視の目が厳しく、ここでしか逢えないのです」
「監視の目って……」
「はい、僕の母親は、城郷ノ庄の庄長です。そして咲姫の親の仇でもあるのです」
貴頼というイケメンは、多比人達に事情を話してくれた。
それによると、もともと城郷ノ庄は咲姫の母親が庄長を務めていた豊かな庄だった。その豊かさが神都に目を付けられ、咲姫の母親は税金を横領して私腹を肥やしたとして、神都に捕らえられた。その母親に成り代わり、城郷ノ庄長となったのが、貴頼の母だったのだ。
「僕の母は、第一神官である菊姫様の直参の家臣。豊かな城郷ノ庄を神都が手に入れるために、咲姫の母親に無実の罪を着せたのでしょう。咲姫とその父上は、今では城下の長屋で貧乏暮らしを強いられています」
咲姫が言う。
「父は、母を捕えた神都を許せず、貴頼様とわたしとの交際を絶対に認めてくれません」
「僕の母親も同様です。以前の庄長の娘と僕が結婚すれば、自分の非を認めたことになると考えているのです」
雪がため息交じりに言った。
「それで命の危険を冒して、誰も近づかない野犬の出る荒野で逢瀬を重ねているという訳ですね」
多比人は、ロミオとジュリエットのようだと思った。そうだとしたら、待ち受けている結果は悲劇だ。
「いずれにしても、ここで逢瀬を重ねるのは危険だよ。今回、僕らがいなかったらかなりヤバかった。そのうち野犬に二人とも噛み殺されることになるよ」
多比人は貴頼と咲姫を見ながら言った。
「最近、それでも良いかと二人で話していたのです。結ばれることが叶わないなら、あの世で一緒になろうって」
貴頼がそう言うと、咲姫が頷いた。
「それは僕が許さない。絶対だめだ。安易に死ぬことを考えるな」
多比人は厳しい口調でそう言った。
「ちょっと僕も何か良い手立てはないか考えてみるよ。それまではもう、ここで野宿するのはやめてくれないかな」
「ありがとうございます、多比人様。助けていただいた上、何から何までお世話になりっぱなしで。明日、庄館に来てください。僕を助けてくれた恩人だと言えば、母も歓待してくれることでしょう」
多比人は貴頼の申し出を受けることにした。
その夜、焚火の近くで貴頼と咲姫のことを考えながら寝ていた多比人に、雪がくっついてきた。
(最近の多比人様って、ますます素敵です)
そう小声で言うと、ほっぺたにキスしてくれた。
多比人はもう考え事なんて出来なくなった。




