42.矜持の価値
庄館から遠く離れた林の中で、多比人は女官達を休ませていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
遠く庄館からは煙が立ち上っている。
「花姫様……」
雪が庄館の方を見てつぶやく。
「じゃあ、雪と楓は女官達を頼む。僕は花姫様を助けてくる」
多比人の言葉に、雪が驚く。
「しかし、多比人様。花姫様は庄長の矜持としてあそこに残ると言われました。その矜持はおなじ庄長の家に生まれた者として共感出来ます。花姫様の決断は重いものです。尊いものです。尊重なさるべきでは……」
水筒の水を、頭からかぶりながら多比人が答える。
「矜持って何だよ。食えるのか? 命を懸けるほどの矜持? くだらないよ。僕は雪が助かるなら、雪を守れるなら自分の矜持なんて糞食らえだ。豚の糞だって食べてみせる」
多比人は雪の目を見て言った。
「死んでいい人間なんていない。ましてや花姫様はまだ十二歳だ。もっと生きて、泣いて、悲しんで、笑って、楽しんで、人生を謳歌しなくちゃいけないんだ!」
そう言うと、多比人は庄館に向かって走り出した。
「女官の人達を頼んだよ!」
庄館からは炎が立ち上りはじめていた。
「あった~! 祈祷札だ! 畜生! 三枚しかねえ!」
「祈祷札は俺のだ!」
「うるせえ、俺のものだ!」
「ミーアキャット!」
蜘蛛の糸に群がる餓鬼のように、民衆が赤い祈祷札を奪い合う。
三枚の祈祷札は皆に掴まれ、あっという間にびりびりに破れてしまった。
まるで赤い花が散ったようだ。
「畜生! まだ隠し持っているはずだ!」
「奥だ! きっと奥にあるぞ!」
「花姫の寝所だ!」
民衆が庄館の奥へ奥へと、祈祷札を求めて押し迫ってくる。
燃え上がる炎が民衆の勢いを鈍らせていたが、とうとう花姫の寝所まで到達した。
炎に包まれた花姫の寝所では、燃え上がる入口の戸を坂巻が必死に抑えていた。
「花姫様、どうやらもうそろそろのようですな」
「安房、すみません。あなたまで巻き込んでしまって」
「なんのなんの! 花姫様のようなお方と一緒に旅立てるとは、私は果報者です。あっはっはっは!」
「お母様、庄を守れず申し訳ありません。花は、最後までお役目を全うします」
花姫が覚悟を決めて、目を閉じたその時だった。
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
裏口の戸を全身でぶち当たって破り、叫びながら多比人が寝所に入って来た。
「多比人様! どうして!? 何故お戻りになったのです! 女官達は!?」
「女官は逃がした。あとは君だよ! 花姫様!」
「わたしはここに残ります。これが庄長の務めです。ここで逃げたら母上に顔向け出来ません」
火傷と煤だらけの顔で、多比人が笑いながら言った。
「庄長の務め? ふざけんな。さっきから聞いてりゃお前、何を分かった風な口きいてるんだ!」
花姫が目を見張る。
「お前、十二才だろう。俺は三十四だ。たった十二年しか生きて、経験していないで何を分かった風な口きいているんだ。もっと生きろ。生きてばあさんになった時、この時の決断がどうだったかなんて考えればいいんだ」
「でも、ここでおめおめと逃げていては母に顔向けできません!」
「うるせー! 死んでいい人間なんていないんだよ! 何が顔向けだ!」
多比人は燃え盛る炎の中で言った。
「俺は東ノ庄の防人、数馬多比人だ! 俺はいずれ、愛姫様に勝ち、神館に囚われた人達を開放する。花姫! お前の母ちゃんと父ちゃんもだ! その時お前がいなかったら、お前の母ちゃんどう思うか考えてみろよ!」
花姫の目から涙があふれ出す。
「おい坂巻! お前もお前だ! お供しますだと? 何馬鹿なこと言っているんだ! 主が間違っていたら、道を正すのが家臣の務めだろうが!!! うちの楓ならそうするぞ! 救え! 花姫を救え! お前の大切な主だろう!!!」
「……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
坂巻はそう叫ぶと、燃え盛る炎の中、花姫を抱え、自分の着物で包んだ。
多比人が飛び込んで来た裏口に、炎に包まれた巨大な梁が落ちてきた。
「どりゃああああああ!!!」
坂巻が燃え盛る梁に体当たりすると、梁が吹っ飛んで行った。
炎に包まれた裏口に、坂巻が花姫をかばいながら突っ込んでいく。
多比人が振り向くと、寝所の扉が開き、鍬や鎌を手にした民衆が入って来た。
「花姫が逃げるぞ!」
「花姫が祈祷札を独り占めにする気だ!」
口々に叫ぶ民衆の前に立ちはだかり、多比人が大声を張り上げる。
「待て!!! おいお前ら、俺は北ノ庄の金持ちだ! 見てみろ!」
多比人はゆっくりと懐から包みを出し、中から親指ほどもある金の粒を鷲掴みにし、民衆に見せる。
「おおおっ、金だ! 金だ! たくさんある!」
民衆の動きが止まった。
「ほれ! 欲しけりゃ拾え!」
多比人が金の粒を民衆の方に向かってぶちまけると、床に転がった金の粒を拾おうと、民衆が大騒ぎし始めた。
「てめえ、俺が拾ったやつだろ! 横取りするな!」
「これは俺のだ!」
「先に俺が拾ったんだろう!」
「ミーアキャット!」
大混乱の民衆を尻目に、多比人は炎に包まれた裏口に飛び込む。
直後に再び大きな燃え上がる梁が落ちて来て裏口を塞いだ。




