15.『北ノ庄』の防人様
いつもはインスタントコーヒー一杯か、トーストを齧って朝食を終わらせる多比人だった。しかし、雪と一緒に住むようになってから、毎日ご飯と味噌汁に、三品ほどのおかずがついた朝食を作ってもらえるようになった。
多比人が朝食を食べていると、テレビでは北山リゾートの社長が、また違うモデルと熱愛関係にあると報じていた。
机の端で楓がトーストを齧りながらテレビに見入っている。
どうやら楓は雪に恭順の意を示し、主と同じ机での食事を許してもらえたらしい。ほっぺたに絆創膏がついているのを見ると、雪が楓に実力を行使したようだが、多比人は敢えて詳しく聞かなかった。
楓がテレビから目を離さずに言った。
「あるじ~、この際、北山様に聖剣の出し方を聞いてみたらどうですか~」
「……『北山リゾート』の北山社長に?」
「だって、主以外の唯一の防人様じゃないですか~。いわば防人様の先輩ですよね~。聞いたらいろいろ教えてくれるんじゃないですか」
多比人は聖剣の出し方も良く分からない。確かに北山から話を聞くことが出来れば、参考になることは多いかもしれないと思った。
「それに、東ノ庄の神界への入り口は、神都軍がウヨウヨいそうじゃないですか。北山様なら下界にいるし、会いやすいんじゃないですか。ついでに北ノ庄の入り口を借りられれば、安全に神界に戻ることも出来るんじゃないですかね~」
多比人は楓の言うとおりだと思った。この前、洞穴に入るギリギリまで神都軍に追われて逃げてきた。そこから神界に入れば、待ち受けている敵の真っただ中に入り込むことになるだろう。
「そうだね。一度北山さんに会ってみたいね。でも、大会社の社長さんだからなあ、そんなに簡単に会ってくれるかなあ」
「……葵様なら、北山様のシノビのこと知ってないかな」
楓がトーストにいちごジャムを塗りながらそう言った。
「葵ばあちゃんに?」
「葵様はシノビ界では伝説級なお方ですから、北山様のシノビが知らないはずはないと思いますよ。今日ちょっと聞いてみますよ」
「なるほど。でも、北山さんのシノビは、若くて綺麗なキャリアウーマンの美人秘書って感じだったけど、いかにも田舎のおばあちゃんって感じの、葵ばあちゃんが知っているのかなあ」
「あ~、あるじ~。葵様に主が田舎のおばあちゃんだって言っていたって言いつけますよ~」
「これ、楓。多比人様に言葉が過ぎます」
「す、すいません!」
雪の一言に楓が急に背筋を伸ばす。
楓をここまで躾けるとは。雪は怒らせてはいけない人かもしれない。
多比人は朝食を終えると、仕事に出かけた。
「行ってらっしゃいませ」
玄関では、雪が三つ指をついて頭を下げて多比人を送り出した。
こんな綺麗な婚約者が三つ指ついて仕事に送り出してくれる幸せを、多比人はかみしめていた。
職場では、周囲に冷たい対応を取られ続けているのに、何故か上機嫌な多比人に逆に感心の声が上がるようになった。
「社長に睨まれるというのは、それほどの大人物だったからかもしれない」
「社長と女を奪い合って敗れたという噂を聞いた」
「社長と互角に渡り合っていた男らしい」
少しずつ、多比人への職場の人達の対応もとげとげしいものではなくなっていった。
多比人が仕事から帰ると、雪が玄関で三つ指ついて出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。お仕事お疲れさまでした」
仕事から帰ると美しい妻が出迎えてくれる幸せ。多比人は結婚というのは本当に素晴らしいものだと思った。実際にはまだ婚約の身ではあるが。
多比人がお風呂から上がると、食卓には夕食の準備が出来ていた。
多比人の横に雪が座り、晩酌のお酌をしてくれる。
こんな美人の婚約者がお酌をしてくれるなんて、酔ってしまうのはお酒だけではなさそうだ。
多比人が少し離れたおかずを取ろうとすると、雪が箸でとって、多比人の口に入れてくれる。多比人はあ~んと口を開けて食べる。
幸せだ。
こんな幸せがあってよいのだろうかと多比人は思う。
「あの~、ラブラブのところ、誠に申し訳ないのですが、ご報告してもよろしいでしょうか」
机の端に座っていた楓が仏頂面をして言う。
楓の存在をすっかり忘れていた多比人は慌てて聞いた。
「な、何? どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよ。葵様が連絡してくださって、今週土曜日に北山様がお会いくださるそうです」
「本当に!? 葵ばあちゃん凄いね。北山さんって、仕事にプライベートにかなり忙しいと思うんだけど」
「葵様と北山様のシノビはやっぱり知り合いで、連絡先知っていたそうです」
「防人のシノビ同士って、つながりがあるんだね」
「わたくしのような弱い役立たずなダメで最低なシノビには、そんなつながり有りませんが」
「そ、そうなんだ。大丈夫だよ、楓。楓は役立たずなんかじゃないよ」
「あ、あるじ~。主に一生ついて行きます」
楓が目に涙を浮かべている。
「雪、どうしちゃったの楓?」
雪がため息交じりに答える。
「今朝から葵様の特訓が始まったのです」
「ああ、鍛えなおすって言っていたっけ」
「それで、ダメダメだったようで、防人のシノビとしてのプライドが木っ端微塵に砕かれたそうです」
「……あのクソババア、強すぎるのです。まさかあんな老いぼれに全く敵わないとは」
そう言って楓は雪の作った料理をバクバク食べはじめた。これだけ食べることが出来れば大丈夫だろう。
「それで、北山さんとはどこで会うことになったの?」
「東京都の港区六本木というところにある、『北山リゾート』の本社だそうです。多比人様、お分かりになりますか」
楓の代わりに雪がそう答えた。
「六本木本社!?」
多比人はテレビで『北山リゾート』が六本木に自社ビルを建てたことを知っていた。ものすごく豪華なビルだった映像を思い出した。
「六本木? びびるこたあないれすよ。 あるじ、ミニスカスーツわらしにも買ってくらさい。どちらが上か思い知らせてやります。そしてあのクソババアにも、わらしのゆうしゅうさをおもいしらせてやるのれす!」
「ちょっと、楓! 何で多比人様のお酒を勝手に飲んでいるの!」
「こまかいおんなれすね~、そんなだと、あるじにあいそをつかされまふよ」
「楓! そこに直りなさい! まだ自分の立場が分かっていないようですね!」
よろよろと逃げ回る楓の首根っこを捕まえようとする雪を見ながら、多比人は夕食を食べる。愛すべき二人だ。この二人を守るためにも、多比人は自分と同じ防人に会って、せめて聖剣の出し方でも分かることが出来ればと思った。




