14.下界の暮らし
多比人がゆっくりと目を開けると、坂元診療所の天井が見えた。
がばっと診療所のベッドから飛び起きると、隣のベッドに雪が寝ていた。多比人が雪に駆け寄る。
「雪! 雪! 大丈夫か!」
「心配するな、多比人。酷い刀傷じゃったが、命に別状はない。寝かしておいてやれ」
坂元医師の言葉にほっとするも、多比人は雪の頬に手を当てた。あったかい、やわらかい、生きている、よかった。
「先生、ありがとうございます」
「ああ。この娘さんは神界の人じゃろ。昔春さんが時々、怪我をした神界の人をうちに連れて来ていたよ。懐かしいな」
坂元医師はそう言って、壁際に立っていた葵の方を向いて笑った。
坂元医師が雪を見て言う。
「この娘が多比人のお嫁さんかい? 綺麗な娘じゃないか、大切にしてやれよ」
「そうです。幸せにするって決めたのに、怪我をさせてしまいました。ごめんね、雪」
多比人がやさしく雪の頭をなでる。
「あ、あの~、ラブラブのところ悪いんですけど……わたしもここで負傷して寝ています」
雪と多比人を挟んで反対側のベッドに寝ていた楓が、恨めしそうに多比人を見ていた。
「楓!」
多比人が楓のベッドに駆け寄る。
「楓、大丈夫か! 結構殴られていたみたいだったけど」
「もう死にます。死にそうです。わたしにもやさしくしてください。頭をなでてください。『かっぱかにせん』もください」
「幸い打撲だけで骨折はなかったよ。ただ、打撲が酷い」
坂元医師がそう言った。
「全く、この娘は! シノビが諜報に出て捕まるなんて、だらしがないよ!」
葵はそう言ったが、言葉には優しさがにじみ出ていた。
「も、申し訳ありません……」
布団で顔を隠す楓に、多比人が優しく言う。
「楓、ありがとう。お前のことだから、雪がどこにいるのか聞き出そうとして、無理して捕まっちゃったんだろう? ありがとう。おかげで雪を助け出せたよ、さすが僕のシノビだよ」
「……あ、主様。楓は一生主様について行きます……」
そう言って楓は泣き出してしまった。その楓の頭を葵が優しくなでる。
「良かったねえ、楓。良い防人様にお仕えすることが出来て。精進しなよ」
葵は口では厳しくても、自分の後輩のシノビである楓のことを可愛いいと思っているのだろう。
「多比人、鷹姫様は大切な人質だ。神都側もぞんざいな扱いはしないだろう。まずは二人の体調が回復するのを待って、ゆっくり次の策を考えなさい」
葵はそう言って、多比人の頭をなでた。いつまでたっても、葵の中で多比人は小さい子供のままなのだろう。
雪と楓は普段から鍛錬しているからなのだろうか。一晩入院しただけで退院し、多比人の家で暮らすことになった。
「多比人様はそこでお座りになっていてください」
雪は病み上がりにもかかわらず、掃除に洗濯と家事をこなし、豪華な夕食を作った。
「このヤマメは、裏の川で釣ってまいりました」
そう言って食卓には大きな魚の塩焼きがあがった。雪は釣りもできるのかと多比人は驚いた。葵の家から融通してもらったという地酒を、雪が多比人のお猪口に注いでくれる。天然ヤマメに地酒が合う。
「あるじ~、わたしもヤマメ食べたいです」
多比人と雪の食事が並んでいる大きな食卓とは別に、かなり離れた場所に小さな折り畳み式のちゃぶ台が置かれ、その上にはご飯とふりかけが置いてあった。楓用の食卓らしい。
「おだまりなさい楓! ご飯があるだけマシだと思いなさい」
「雪姫様~、わたしが悪かったです~、ゆるしてください~。雪姫様より早く、主と一緒のお布団に寝る仲になってしまって申し訳ありません~。クケケケケ!」
「楓! 許しません!」
楓に雪が飛びかかるが、楓がひらりと躱して天井に張り付いた。よく見ると、楓の口にはヤマメが咥えられていた。
「わ、わ、わたしのヤマメ……」
「ゆ、雪、僕の半分あげるから落ち着いて」
「なりませぬ。こういうのはどちらが上か、きっちり分からせてやらねばなりませぬ。この泥棒猫め!」
この家にひとりでいると寂しかったが、三人になるとこうも騒がしくなるのかと多比人は思った。でも、何だか楽しい。
食卓の前のテレビでは、『北山リゾート』の北山社長が、モデルとの密会をスクープされていた。多比人はテレビを見ながら思った。
(相変わらず凄い人だな。本当にこの人、僕と同じ防人なのかな)
「この方、『北ノ庄』の防人様、北山様ですね」
ヤマメをくわえた楓の首根っこをつかんで、引きずりながらやってきた雪がそう言った。
「雪も知っているの?」
「はい。神界で防人様と言えば知らぬ者はおりません」
「下界でこんなにモテモテなのも知ってた?」
「……知りませんでした。北山様は夫婦仲睦まじいことで有名です。下界でこんなことをなさっているなんて……た、多比人様はそんなことは……ありませんよね……」
「何言っているんですか雪姫様。多比人様は防人様ですよ! 下界でだってモテモテに決まっているじゃないですか!」
「……や、やっぱりそうなんですね……」
「ちが~う! 楓! 適当なこと言うな!」
「まだ婚約者の身分で出過ぎたことを申しました。殿方には殿方の事情があると聞きます。雪は十分わきまえております」
「雪! 誤解しないで! 僕は雪以外につき合っている人なんていないよ」
「ほう。つき合っている女はいないが、一晩をともにする女は数多いると」
すかさず楓が横から口を挟む。
「楓! 葵ばあちゃんに言いつけるぞ!」
「ひいいいいい!!! それだけはご勘弁を! 雪姫様! からかってごめんなさい!」
そう言うと、楓は食卓の上のおかずを何品か手に取ると、どこかに逃げてしまった。
食卓には多比人と、うつむいている雪が残された。
「本当だよ、雪。僕は浮気なんてしないよ」
「……楓に、一緒の布団で寝たって自慢されました。本当のことなんですか?」
「え、あ、ああ。勝手に楓が布団に入ってきたんだ」
「……本当だったんですね」
「い、いや、あれはいつも勝手に楓が入って来るんだって」
「いつも? 一回だけではないと?」
「え、あの、楓が勝手に入ってきちゃって」
「来るもの拒まずと?」
「……すいません。僕が悪かったです」
「では、わたしが責任を持って多比人様をお守りします。いいですね?」
「はい」
そうして、この夜から同じ寝室で、布団を並べて雪と多比人は寝ることになった。




