105.皆朱の槍
翌朝、風もなく穏やかな日和の中、多比人達の軍が神都最大の城門、南の宮門の攻撃に向け、順調に布陣を進めた。
宮門の矢倉には、本来弓兵がこちらに矢を向けているはずだが、その姿はない。シノビからの情報通り、神都軍の兵はほぼ逃亡してしまったのだろう。
兵達には、もはや楽勝ムードが漂っていた。
勝利した後、家族にどんな土産を持って帰るか話している兵もいる。
そうは言うものの、月見ノ庄軍を中心とした五千の兵が、整然と規律正しい布陣を完成させたその時だった。
『ドーン! ドーン! ドーン!』
突如宮門から開門を知らせる大太鼓が打ち鳴らされた。
固く閉ざされていた両開きの門が開く。
すると中から徒歩の従者をたった一人だけ連れた、白い鎧の騎馬武者が現れた。手には長槍を携えている。
従者の持つ大旗には、『天下無双』と記されているのがはっきり見える。
兵達がそれを見てどよめく。
騎馬武者が進み出ると、宮門はまた静かに閉まった。
五千の大軍の前に、たった一人の従者を連れた一騎の騎馬武者が、堂々と立ちはだかった。
「遠き者は音にも聞き、近き者は目にも見よ! ミーこそは国崩しの常姫が長男、都野重正明である! 義によって推参した!!!」
その騎馬武者が大音声で名乗りを上げると、明らかに兵達が動揺し隊列が乱れる。後ずさる兵もいる。五千の兵がたった一騎の騎馬武者に気圧されていた。
(結良乃! 結良乃! 今のセリフ決まった? 尊姫たん、褒めてくれるかなあ?)
正明が後ろにいる結良乃に小声で聞く。
(正明様、ちゃんと前を向いてください!)
『天下無双』の大旗を掲げている結良乃が、正明を叱りつける。
「初姫様、あの人は誰です」
「第三神官家臣団、常姫様の息子のようです」
多比人の問いに答えながら、初姫は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
常姫と言えば武神ともいわれる女性で、かつて神都に反乱を起こした庄(国)を、たった一人で制圧したことから、『国崩し』の二つ名を持っていた。
(武神と言われる常姫が、息子を鍛えていないと考えるほうが不自然だ。しかもあのゆったりとした構え。相当な自信と胆力が無ければ、たった一騎で五千を相手に出来るものではない)
初姫の周囲の兵が少しずつ後ずさりをする。
(あの白塗りの鎧は死に装束。奴は死を覚悟している死兵だ。こちらは数は多いが楽勝ムードに浮かれている兵。戦で最も相手にしてはいけないと言われているのは死兵だ)
初姫の手綱を握る手は、びっしょりと汗をかいていた。
「あれを見ろ! 皆朱の槍だ!」
兵達がそう言って騒ぐ。
初姫が見ると、騎馬武者の持つ槍は、深紅に染め上げられていた。
(あれは大神官冬芽橘樹様が常姫様に褒美として取らせた最強の証、皆朱の槍。それを息子に譲ったということは、今の最強はあの息子という訳か!)
明らかに兵達に動揺が広がっている。先ほどまでの整然とした隊列は、いまや雑然と乱れ、押し下がっていた。初姫はこのような兵の動揺が、負けに直結することを知っていた。
「多比人様。あの男の相手は私にさせてください」
「ああ、相当の手練れのようだね。たった一人で凄い人だ。あのような凄い人を殺してしまうなんて惜しい。初姫様、出来れば命を奪わないで勝つことは出来ますか」
「わかりました」
(皆朱の槍の男を生け捕りか……この命、懸けねばなりませんね)
初姫はゆっくりと騎馬を前に進めた。
相変わらず、正明は騎馬の上で動かなかった。
というより動けなかった。
(ちょうど神都の外に出かけているお母様の押し入れから、内緒で一番カッコ良さそうな鎧を持って来ちゃったけど、この白い鎧、むちゃくちゃ重くて動けないよ)
正明は、刀は自分の指を切ってしまいそうで怖くて、これまた母の武具庫から一番カッコ良さそうな赤い槍を拝借してきたのだが、これも正明には重すぎた。
正明は後ろにいる結良乃に向かって小声で言った。
(結良乃! 鎧と槍が重すぎて無理! どうすればいいの?)
(正明様、向こうから一人やって来ました。もうちょっと頑張ってください)
(兜がずり落ちて来て前が良く見えないんだけど……うわああ!)
正明が騎馬を制御できず、二三歩騎馬が前進した。
正明が騎馬を前進させたのを見て、五千の兵が一気に後ずさる。
思わず初姫も馬を引いてしまった。
(くっ、この私がビビっているだと!)
初姫は、かつて神館で見かけた常姫を思い出していた。遠目で見ただけだったが、廊下を歩いているだけなのに隙が一切なく、目が合った時は死を覚悟した。
「我は月見ノ庄の庄長、初姫。常姫様の息子、正明殿! 相手にとって不足はない! いざ、尋常に勝負!」
初姫は自分の不安を打ち消すように大音声を張り上げ、正明の前に騎馬を走らせた。
(何? 誰か何か言った? 兜がでかくてよく聞こえないよ! 前も良く見えないし、結良乃! 何が起こっているか教えて!)
(敵です! 正明様、敵が一騎来ました! 気を付けてください!)
大きな兜に頭がすっぽり覆われ何も見えない正明は、恐怖のあまり槍を大きく振った。しかしその槍は、正明の手からすっぽ抜け、飛んで行ってしまった。
その槍が、ちょうど初姫が騎馬を走らせた正面に突き刺さった。
馬が驚いて跳ね上がり、初姫が馬から落とされた。
(クソッ! この私が落馬させられただと! こんな屈辱初めてだ!)
地面に落された初姫は、全身を叩きつけられながらもかろうじて起き上がった。
(この男! やっぱりただ者ではない! わたしは勝てるのだろうか)
初姫はかつて母から譲り受けた刀を握りしめた。尊敬する母に、この名刀に似合う庄長になれと言われたことを思い出した。
(母上、わたしに力をお貸しください!)
初姫は刀を抜き、正明に向けて突進した。
「うおおおおおおお!」
(何? 何? 誰か叫んでない? 怖いよ! 結良乃!)
(御意!)
結良乃が正明の前に出て、『天下無双』の大旗を初姫に振りかざす。
「私が相手だ! 初姫!」
「下郎! 邪魔だ!」
初姫は刀で大旗を薙ぎ払った。その勢いで、結良乃が吹っ飛んで行く。
「いざ、勝負!」
裂帛の気合とともに、初姫が馬上の正明に斬りかかった。
○或る日の待姫様
あの刀かい? そうだよ、あれはボクが基久様から譲り受けた刀だよ。基久様にボクが助けてもらったこともあって、『友救』って名付けたんだ。初姫が成人したお祝いに、ボクから贈ったのさ。その刀を持って、基久様の娘と一緒に神都に攻め上るなんて、運命って面白いよね、あははは。




