第七十六話 伝えたい気持ち、まだ知らない私
月曜日の朝。
鏡の前で髪を整えながら、私は星のヘアピンを手に取った。
土曜日に莉奈と出かけたとき、選んでもらったもの。
指先でそっとなぞってから、髪につけてみる。
「……うん」
鏡の中の私は、少しだけうれしそうな顔をしていた。
あの日は、本当に楽しかった。
一緒にお店を見て、ご飯を食べて、公園で話して。
特別なことをしたわけじゃない。
でも、莉奈と過ごした時間は、帰ってからもずっと心の中に残っていた。
そして、ひとつだけ。
あの日から、ずっと考えていることがある。
莉奈が笑うと、私もうれしくなる。
莉奈が隣にいると、安心する。
もっと一緒にいたいし、これからのことも話したい。
それって、ただ仲がいいからなのかな。
「……うーん」
考えても、すぐには答えが出ない。
私はヘアピンをつけ直すと、鞄を持って部屋を出た。
答えが分からないなら、焦らなくてもいい。
でも、自分の気持ちから目をそらしたくはなかった。
◇
「湊、おはよー!」
教室に入ると、彩花の元気な声が飛んできた。
「おはよう、彩花」
「おっ、今日もそのヘアピンつけてる!」
「えっ? う、うん」
彩花は私の顔とヘアピンを交互に見て、にやっと笑った。
「お気に入りなんだ?」
「……そうだけど」
「へえー? 誰が選んでくれたんだっけ?」
「彩花……!」
「はいはい、そこまで。朝から湊を困らせないの」
美咲が呆れたように言いながら、私の隣の席に鞄を置いた。
「でも、似合ってるよ。莉奈が選んだんでしょ?」
「美咲まで……」
「ふふ。図星みたいね」
結衣も小さく笑っている。
みんな、こういう話になると本当に容赦がない。
「……もう、みんなして」
頬が熱くなるのを感じながら席に着くと、ちょうど莉奈が教室に入ってきた。
「おはよう、湊!」
「お、おはよう!」
目が合う。
莉奈は私の髪を見ると、ぱっと笑顔になった。
「わあ、ヘアピンつけてくれたんだ!」
「うん。……せっかくだから」
「うれしい! やっぱり似合ってるね」
何気ない言葉。
たったそれだけなのに、胸の奥がぽかぽかと温かくなった。
私はきっと、こういう瞬間が好きなんだ。
莉奈が喜んでくれること。
莉奈が私を見て笑ってくれること。
その笑顔を、もっと近くで見ていたいと思うこと。
……やっぱり、少し特別なのかもしれない。
◇
昼休み。
いつものように五人で机を囲んでいると、凛が私を見て口を開いた。
「湊、最近よく笑うようになったね」
「えっ、そうかな?」
「うん。前から笑わなかったわけじゃないけど、今はなんていうか……自分で楽しんでる感じがする」
凛らしい、まっすぐな言葉だった。
私は少し考えてから、うなずいた。
「……そうかもしれない」
以前の私は、何かを決めるたびに、これでいいのかと考えていた。
自分の姿も、周りとの関係も、これからどうなっていくのかも。
正しい答えがどこかにあるような気がして、ずっと探していた。
でも、今は違う。
迷うことがあっても、自分で選んでいい。
選んだあとに、また考えたっていい。
「神社のことも、もう大丈夫そうだね」
凛の言葉に、私は鞄の中の鈴を思い浮かべた。
「うん。もう、何かを確かめるために行く必要はないんだと思う」
「そっか」
凛はほっとしたように笑った。
「なら、これからは普通に遊ぼうよ。神社のことを気にせずにさ」
「賛成! 次はみんなでカラオケ行こうよ!」
彩花が勢いよく手を挙げる。
「この前も行ったばかりじゃない?」
美咲がすぐに突っ込む。
「何回行っても楽しいじゃん!」
「私はいいと思う」
結衣が静かに賛成し、凛も「私も」と続けた。
みんなの視線が、最後に私へ向く。
「湊は?」
「……うん、行きたい!」
答えながら、私は笑った。
こういう何でもない予定が、これからも増えていく。
そのことが、今はとても楽しみだった。
◇
放課後。
みんなと別れたあと、私は莉奈と二人で駅まで歩いていた。
「土曜日、楽しかったね」
莉奈が言った。
「うん。すごく楽しかった」
「また行こうね。今度は映画とかどう?」
「いいね。私、気になってるのがあるんだ」
「ほんと? じゃあ、それ見に行こうよ!」
次の約束が、あっという間に決まっていく。
それがうれしくて、でも、今日はそれだけで終わらせたくなかった。
「あのさ、莉奈」
「ん? どうしたの?」
「……ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
口にした途端、緊張が押し寄せた。
莉奈は歩く速度を緩め、私の顔をのぞき込んだ。
「うん。なあに?」
その優しさに、余計に言葉が詰まってしまう。
何を伝えたいのか、自分でもまだ全部は分かっていない。
だけど、ひとつだけ確かなことがあった。
私は、莉奈とこれからも一緒にいたい。
楽しい日も、悩む日も。
何かが変わるときも、変わらない日々の中でも。
「……今度、また二人で出かけたい」
結局、最初に出てきたのはそんな言葉だった。
莉奈は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「ふふっ。それ、さっきも話してたよ?」
「そ、そうなんだけど……!」
「うん。行こうね。何回でも」
莉奈がそっと手を差し出した。
私はその手を見つめ、少しだけためらってから握った。
「……ありがとう」
「どういたしまして?」
莉奈は不思議そうに首を傾げたけれど、何も聞かずに隣を歩いてくれた。
今はまだ、全部を言葉にすることはできない。
でも、伝えたい気持ちは、少しずつ形になっている。
いつかちゃんと伝えられるだろうか。
自分の気持ちを、自分の言葉で。
◇
家に帰ってから、私は机の上に鈴を置いた。
静かな部屋の中で、小さな鈴は何も告げない。
もう、答えを求める必要はない。
私が何を大切にして、誰と一緒にいたいのか。
それを決めるのは、私自身だから。
星のヘアピンを外し、机の上にそっと置く。
鈴とヘアピン。
片方は、私が自分で選んできた道の証。
もう片方は、これからも大切にしたい人との思い出。
その二つを眺めて、私は小さく笑った。
「……明日も、楽しみだな」
明日は、いつもの学校。
みんなと話して、莉奈と笑って、また新しい一日を過ごす。
特別な奇跡がなくても、未来はちゃんと続いていく。
そして私は、その未来を自分で選んでいく。
そう思えたことが、何よりもうれしかった。




