第七十七話 好きだから、君の隣にいたい
朝、目を覚ます。
カーテンの向こうから、柔らかな光が差し込んでいた。
いつもと変わらない朝。
机の上には、小さな鈴と星のヘアピンが並んでいる。
私はベッドから起き上がり、その二つをしばらく眺めた。
鈴を手に取ってみる。
もう、あの不思議な音が聞こえることはない。
神社へ行く理由も、扉の向こうに答えを求める必要もない。
それでも、この鈴を手放そうとは思わなかった。
ここまでの出来事も、出会った人たちも、私が選んできた道の一部だから。
「……よし」
鈴を元の場所に戻し、星のヘアピンを手に取る。
鏡の前で髪を整え、それをそっとつけた。
鏡の中には、見慣れた女の子の姿があった。
かつての自分とは違う。
話し方も、仕草も、好きなものも、少しずつ変わった。
だけど、変わらずに残っているものもある。
誰かを大切にしたい気持ち。
自分で選んだ道を歩きたいという願い。
そして、今の私には、もうひとつ。
「……今日こそ、ちゃんと伝えよう」
私は小さく息を吸って、家を出た。
◇
「湊、おはよう!」
教室に入ると、莉奈がいつもの笑顔で迎えてくれた。
「おはよう、莉奈」
「そのヘアピン、今日もつけてくれたんだね」
「うん。気に入ってるから」
「えへへ、よかった」
莉奈がうれしそうに笑う。
その顔を見ただけで、胸の奥が温かくなった。
土曜日に二人で出かけたときも、こうして笑ってくれた。
一緒にお店を見て、ご飯を食べて、公園で話して。
特別なことをしたわけじゃない。
それなのに、帰ってからも、莉奈と過ごした時間がずっと心に残っていた。
そして、あの日からずっと考えている。
莉奈が笑うと、私もうれしい。
莉奈が隣にいると、安心する。
もっと一緒にいたいし、これからのことも話したい。
ただ仲がいいから、という言葉だけでは足りない気がしていた。
「ねえ、湊?」
「えっ、なに?」
「どうしたの? なんか考えごと?」
「う、ううん! なんでもないよ」
「ふふっ、そっか」
莉奈はそれ以上聞かず、自分の席へ向かった。
私はその背中を見送りながら、そっと胸に手を当てた。
もう、自分でも分かり始めている。
あとは、それを言葉にするだけだった。
◇
昼休み。
いつものように、みんなで机を囲んでいた。
「ねえねえ、今度のカラオケ、いつにする?」
彩花が勢いよく話を切り出す。
「この前も行ったばかりじゃない?」
美咲が呆れたように言った。
「何回行っても楽しいじゃん!」
「私はいいと思う」
結衣が静かに賛成し、凛も「私も行きたい」と笑った。
「湊は?」
彩花に聞かれ、私は顔を上げた。
「私も行きたい!」
「よーし、決まり!」
彩花がうれしそうに手を叩く。
その様子を見て、みんなで笑った。
こういう何でもない時間が好きだ。
誰かに何かを決めてもらわなくても、自分の気持ちを伝えて、一緒に予定を立てられる。
神社での出来事を通して、私はそんな日常の大切さを知った。
「湊、最近ほんとに楽しそうだね」
ふと、凛が言った。
「そうかな?」
「うん。前より、自分の気持ちに素直になった感じがする」
私は少し考えてから、うなずいた。
「……そうかもしれない」
まだ迷うことはある。
分からないことだって、きっとこれからもたくさんある。
でも、迷うことを怖がらなくてもいい。
自分で考えて、自分で選んでいけばいいのだから。
私は隣にいる莉奈を見た。
莉奈もちょうどこちらを見ていて、目が合うと柔らかく笑ってくれた。
その笑顔を見た瞬間、心の中でひとつの決意が固まった。
今日、伝えよう。
私の本当の気持ちを。
◇
放課後。
みんなと別れたあと、私は莉奈と二人で学校から少し離れた公園へ向かった。
並んで歩きながら、私たちはいつものように話をした。
彩花がまたカラオケの計画を張り切っていること。
美咲が文句を言いながらも、結局参加するつもりらしいこと。
結衣が新しいお菓子のお店を見つけたこと。
凛も、今度はみんなと一緒に行きたいと言っていたこと。
何気ない話ばかりだった。
だけど、こうして莉奈と並んで歩く時間が、私は好きだった。
公園に着くと、私たちはベンチに腰を下ろした。
少しの間、風に揺れる木々を眺める。
やがて、莉奈がこちらを向いた。
「ねえ、湊」
「……なに?」
「この前、話したいことがあるって言ってたよね」
「あ……うん」
忘れていたわけじゃない。
むしろ、ずっと考えていた。
私は膝の上で手を握り、ゆっくりと口を開いた。
「私ね、最近ずっと考えてたことがあるんだ」
「うん」
「神社のことが終わってから、これからどうしたいのか、自分で考えるようになったの」
莉奈は静かにうなずいた。
「前は、何かを選ぶのが少し怖かった。間違えたらどうしようとか、今の自分を好きになれるのかなとか……いろいろ考えてた」
私は自分の手を見つめた。
「でも、今はね。全部が分からなくても、自分で決めていいんだって思えるようになったんだ」
「うん。湊、変わったよね」
「……変わったかな?」
「うん。でも、私は今の湊も好きだよ」
その言葉に、胸が大きく跳ねた。
「……っ」
「あれ? どうしたの?」
「な、なんでもない……!」
莉奈は不思議そうに首を傾げたあと、くすっと笑った。
「ふふっ。湊って、たまに分かりやすいよね」
「そ、そんなことないよ!」
「ほんとかなー?」
いつものやり取り。
なのに、今日はそれだけで胸がいっぱいになった。
私はもう、気づいていた。
莉奈に「好き」と言ってもらえたら、うれしい。
莉奈に特別だと思ってもらえたら、もっと、うれしい。
そして私も、莉奈にとって特別な存在になりたい。
友達として大切なだけじゃない。
もっと近くで、莉奈の笑顔を見ていたい。
「……莉奈」
「うん?」
「私、莉奈と一緒にいる時間が、すごく大切なんだ」
莉奈の表情が、少しだけ真剣になる。
「一緒に笑ったり、悩みを聞いてもらったり。何でもない話をしたり……そういう時間が、これからもずっと続いたらいいなって思う」
「……うん」
「莉奈と、もっといろんなことをしたい。これから変わっていく私のことも、隣で一緒に見ていてほしい」
そこまで話して、私は一度息を吸った。
でも、莉奈はすぐには答えなかった。
私の顔をじっと見つめてから、少しだけ困ったように笑った。
「……湊」
「な、なに?」
「それって、私のことが好きってこと?」
「えっ……」
真正面から聞かれて、言葉が止まった。
莉奈は頬を赤くしながらも、視線をそらさなかった。
「一緒にいたいって言ってくれるのも、隣にいてほしいって思ってくれるのもうれしいよ。私も、湊と一緒にいたいから」
莉奈は、つないでいた私の手をそっと握り直した。
「でもね。湊が私のことを好きだって思ってくれてるのなら……ちゃんと言葉にして、私に伝えてほしい」
心臓が、大きく鳴った。
「……莉奈」
「一緒にいたいって言ってくれるのも、すごくうれしい。でも、それが友達としてなのか、それとも……私が思っているのと同じ気持ちなのか、ちゃんと知りたいんだ」
莉奈の頬は、さっきよりも赤くなっていた。
「私だって、こういうことを聞くのは恥ずかしいんだからね……?」
そう言って、莉奈は小さく笑った。
「だから、急がなくてもいいよ。無理に答えを出してほしいわけじゃないの。ただ、湊自身の気持ちを、湊の言葉で聞きたいの」
私は、すぐには返事ができなかった。
だけど、不思議と怖くはなかった。
莉奈は、私の答えを急かしているわけじゃない。
ただ、私自身の気持ちを知りたいと言ってくれている。
だったら、私も自分の気持ちから逃げたくない。
莉奈と一緒にいると楽しい。
笑っている顔を見るとうれしい。
別れるときには、もう少し一緒にいたいと思う。
そして、莉奈が私以外の誰かと楽しそうにしていると、ほんの少しだけ寂しくなることもあった。
それらの気持ちを、ひとつずつ心の中で確かめていく。
私は、莉奈のことが――。
「……好き」
小さくこぼれた声に、自分でも驚いた。
莉奈が目を見開く。
「……え?」
私は、もう一度莉奈を見た。
今度は、ちゃんと伝えるために。
「私、莉奈のことが好き」
頬が熱い。
声も少し震えていた。
それでも、言葉を止めなかった。
「一緒にいると楽しいし、莉奈が笑ってくれると、私もうれしい。もっと話したいし、もっと一緒に出かけたい。これからも、莉奈の隣にいたい」
握った手に、そっと力を込める。
「友達として大切っていうだけじゃなくて……私は、莉奈のことが好きなんだと思う」
言い終えた瞬間、胸の奥にあったものが、ゆっくりとほどけていく気がした。
ずっと曖昧だった気持ち。
自分でも、どう言葉にすればいいのか分からなかった気持ち。
それが今、ちゃんと私の言葉になった。
「……莉奈。好きだよ」
◇
莉奈は、しばらく何も言わなかった。
その沈黙が少しだけ不安になって、私は慌てて口を開きかけた。
でも、その前に。
「……もう、湊ったら」
莉奈が、ふっと笑った。
「そんなにまっすぐ言われたら、私まで恥ずかしくなるじゃん……」
「だ、だって、ちゃんと言ってほしいって言ったの、莉奈でしょ……!」
「うん。そうだけど……」
莉奈は頬を赤くしたまま、私の手を両手で包んだ。
「……すごく、うれしい」
その言葉を聞いて、私はようやく息を吐いた。
「……ほんと?」
「ほんとだよ」
莉奈はまっすぐに私を見つめた。
「私も、湊のことが好き」
「……えっ」
「湊と一緒にいると楽しいし、もっといろんなことを知りたいって思う。湊がうれしそうにしていると、私もうれしい。これからも、ずっと隣で笑っていたいなって思ってる」
莉奈は、少し照れながら続けた。
「だから……これからも、私の隣にいてね」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……うん!」
私は大きくうなずいた。
莉奈が笑う。
私も笑う。
それから、二人でつないだ手を見つめた。
もう、何かの力に導かれたわけじゃない。
鈴が鳴ったからでも、誰かに選ばれたからでもない。
私が莉奈を好きで、莉奈も私を好きだと言ってくれた。
ただ、それだけのこと。
でも、それは私にとって、何よりもうれしい答えだった。
◇
帰り道、私たちは手をつないだまま歩いていた。
夕方の空は淡い橙色に染まり、道の向こうから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
いつもと変わらない景色。
でも、今日は少しだけ違って見えた。
「ねえ、湊」
「なに?」
「今度の映画、二人で行こうね」
「うん。行こう!」
「その次は、どこに行こうかなあ」
「ふふっ、もう次の予定?」
「だって、楽しみなことがいっぱいあるんだもん」
莉奈は楽しそうに笑った。
私は、その横顔を見つめた。
これから先、私たちがどんなふうに変わっていくのかは分からない。
新しく好きになるものもあるだろうし、考え方が変わることもあるだろう。
ときには、気持ちがうまく伝わらなくて悩む日だってあるかもしれない。
それでも、今日みたいに話せばいい。
自分の気持ちを言葉にして、相手の気持ちにも耳を傾けて。
そうやって、一緒に考えていけばいいのだと思う。
「莉奈」
「ん?」
「これからも、よろしくね」
莉奈は一瞬きょとんとして、それから、いつもの優しい笑顔を見せた。
「うん。こちらこそ、よろしくね。湊」
つないだ手が、少しだけ強く握られる。
私も、その手を握り返した。
◇
家に帰ると、私は机の前に座った。
小さな鈴を手に取る。
あの神社で出会った不思議な出来事。
扉の向こうに閉じ込められていた願い。
自分の望みを、相手を思うあまりに伝えられなかった人たち。
あの人たちは、最後に自分の気持ちを伝え合うことができた。
そして私も、自分の気持ちを自分の言葉で伝えた。
鈴は何も答えない。
もう、答えをくれなくてもいい。
「……私、ちゃんと言えたよ」
小さくつぶやいて、私は笑った。
鈴をそっと置き、星のヘアピンを明日のために鞄へしまう。
明日も学校がある。
莉奈に会える。
みんなと笑える。
きっと、また何かに悩む日もあるだろう。
それでも私は、そのたびに自分で考えて、自分で選んでいく。
今の自分を好きでいられるように。
大切な人たちを、大切にし続けられるように。
そして、いつかもっと先の未来で、今の自分を振り返ったときにも。
――あのとき、自分の気持ちを伝えてよかった。
そう言えるように。
私は窓の外を見た。
明日も、その先も、日々は続いていく。
特別な奇跡がなくても、未来はちゃんと続いていく。
机の上の鈴は、静かなままだった。
もう、私をどこかへ導く必要はない。
だって、これから歩いていく道は、私自身が選んでいくのだから。
そして、その道の隣には。
莉奈がいて、みんながいて。
まだ知らない、たくさんの明日が待っている。
――だから私は、これからも私らしく歩いていく。
自分の気持ちを、自分の言葉で伝えながら。
大好きな君の隣で。
私自身の足で。
**おわり。**
最終回でした。ここまで読んでくれる読者に今は感謝を。次回の私に期待はしないでください。でも待っててくれると嬉しい。コメントください




