第七十一話 扉を開くための答え
翌日の放課後。
私は、莉奈たちと一緒に神社へ向かっていた。
昨日、扉の向こうにいる人が話してくれた願い。
――大切な人と、同じ明日を生きたかった。
その言葉が、ずっと心に残っていた。
誰かを守りたいと思うこと。
その人の幸せを願うこと。
どれも、間違いなんかじゃない。
でも、そのために自分の願いを閉じ込めてしまったら。
いつか、本当に伝えたかった気持ちさえ、届かなくなってしまうのかもしれない。
「湊、考えごと?」
隣を歩いていた莉奈が、私の顔を覗き込んだ。
「うん。昨日のことを、ちょっとね」
「そっか」
莉奈は、それ以上聞かなかった。
代わりに、私の手をそっと握ってくれる。
「話したくなったら、いつでも聞くからね」
「……ありがとう」
私は握り返した。
こうして隣にいてくれることが、今の私にはとても心強かった。
◇
「お待ちしておりました」
神社の奥では、巫女さんが静かに待っていた。
その後ろには、昨日と同じように閉ざされた扉がある。
「今日は、あの方とお話ししたいと思っています」
私がそう伝えると、巫女さんは穏やかに頷いた。
「ええ。あの方も、あなたを待っておられます」
私は扉の前に立った。
莉奈たちは少し離れた場所で見守ってくれている。凛も、今日は何も言わずに私を見ていた。
「聞こえますか?」
扉の向こうへ声をかける。
『……聞こえている』
「昨日、あなたの願いを聞きました」
『そうか』
「大切な人と、同じ明日を生きたかったんですよね」
返事はなかった。
けれど、私は続けた。
「だったら、まだ諦めないでほしいです」
『……何?』
「あなたは、自分の願いを封じることで、その人を守ろうとした。でも、その人が本当に望んでいたことは、あなたがひとりで全部を背負うことじゃなかったんじゃないですか?」
扉の表面に刻まれた紋様が、かすかに光った。
「もちろん、今までの選択が間違いだったって言いたいわけじゃありません。あなたが誰かを大切に思っていたことも、そのために必死だったことも、私は否定したくないです」
言葉を選びながら、私は続けた。
「でも、これから先まで、ずっと同じ選択をし続けなきゃいけないわけじゃないと思うんです」
『……私は、もう長い間ここにいる』
「はい」
『今さら願いを口にしたところで、何かが変わるとは限らない』
「それでも、言わないままよりはいいと思います」
自分でも驚くくらい、はっきりと言えた。
「願いを口にしたからって、必ず叶うわけじゃない。誰かと同じ明日を生きたいって願っても、思いどおりになるとは限らない。でも、願わなかったことにしてしまったら、叶う可能性まで自分で閉じてしまうから」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
私は、かつて別の自分になってみたいと願った。
その願いが、どんな未来につながるのかなんて分からなかった。
それでも、今の私はここにいる。
莉奈と出会い、みんなと笑い、今の自分を好きだと思えるようになった。
最初から答えが分かっていたわけじゃない。
自分で選んだからこそ、ここまで来られたのだ。
『……お前は、怖くなかったのか』
「怖かったですよ」
私は正直に答えた。
「自分が変わったら、今までの自分を失ってしまうんじゃないかって。今の自分を好きになれなかったら、どうしようって」
私は自分の胸元に手を当てた。
「でも、今はこの姿の自分が好きです。だから、選んでよかったって思っています」
『そうか……』
「あなたも、自分の願いを選んでいいんです。誰かを大切にする気持ちと、自分が幸せになりたい気持ちは、両方あっていいんですから」
長い沈黙が流れた。
やがて、扉の向こうから、かすかな声が聞こえた。
『……私は、もう一度、あの者と話がしたい』
巫女さんが目を伏せた。
その表情には、驚きと、安堵と、長く待ち続けた人だけが知る喜びが浮かんでいた。
「……はい」
巫女さんは扉に向かって答えた。
「今度こそ、あなたのお言葉を聞かせてください」
◇
私の手の中で、鈴が一度だけ鳴った。
チリン。
けれど、以前のように何かを知らせる音とは違っていた。
その音に合わせるように、扉の紋様が淡く輝く。
向かい合う二つの曲線。
それぞれが、少しずつ明るさを増していく。
「この光は……」
沙耶が息を呑んだ。
「二つの意思が、向き合っているんだと思う」
凛が静かに答えた。
「どちらかが、もう片方の代わりに決めるんじゃない。お互いが、自分の気持ちを伝えようとしてるんだよ」
その言葉に、私は頷いた。
この鈴は、誰かの願いを勝手に叶えるものじゃない。
誰かの人生を決めるものでもない。
ただ、選ぶことを恐れずにいられるよう、そっと背中を押してくれるものなのかもしれない。
扉の向こうから、声がした。
『……ありがとう』
私は小さく笑った。
「どういたしまして」
そして、最後にひとつだけ伝えた。
「明日も、ここに来ます。だから、あなたの願いを、もう少し聞かせてください」
『……ああ』
今度の返事には、昨日までとは違う響きがあった。
閉ざされた扉は、まだ開かない。
けれど、確かに何かが動き始めていた。
◇
神社を出ると、莉奈が私の隣に並んだ。
「ちゃんと伝えられたね」
「うん。……私、あの人に幸せになってほしいんだと思う」
「そっか」
「でも、私が代わりに答えを決めるのは違うから。あの人自身が、自分の願いを選べるようになってほしい」
莉奈は、優しく微笑んだ。
「湊なら、きっとそうすると思った」
「どうして?」
「だって、湊はいつも、自分の気持ちも相手の気持ちも、ちゃんと考えようとするから」
少し照れくさくなって、私は視線を逸らした。
「……莉奈、そういうことさらっと言うよね」
「本当のことだもん」
「もう……」
私が頬を膨らませると、莉奈は楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、自然と私まで笑ってしまう。
いつか、扉の向こうの人も、こんなふうに誰かと笑える日が来るのだろうか。
その答えは、まだ分からない。
でも、昨日までと違うことがひとつだけある。
あの人は、自分の願いを口にした。
そして私は、その願いを聞いた。
次は、その願いをどうすれば未来につなげられるのか、一緒に考えたい。
もちろん、私自身の気持ちも忘れずに。
だって、これから先の未来を選ぶのは、誰かに与えられた役目じゃない。
私たち自身なのだから。




