第六十一話 凛が守りたかったもの
翌日の放課後。
私は、神社へ向かう道を歩きながら、隣にいる凛をちらりと見た。
昨日、扉の向こうから聞こえた声。
そして、あのときの選択を後悔しているのかと尋ねた凛。
気になることは山ほどある。
でも、今日は凛自身が話してくれると言ってくれた。
だから、急かしたくはなかった。
「……湊」
「ん?」
「そんなにこっちを見られると、話しにくいんだけど」
「えっ!? ご、ごめん!」
「ふふっ。冗談だよ」
凛は小さく笑った。
「ちゃんと話すから。逃げないって約束したしね」
「……うん」
その言葉を聞いて、私は少しだけ安心した。
◇
神社に着くと、巫女が境内で私たちを待っていた。
「お待ちしておりました」
「こんにちは」
私が頭を下げると、巫女は穏やかに微笑んだ。
「本日は、凛が知ることと、私がお伝えできることを分けてお話しいたしましょう」
「……分かった」
凛は少し緊張した様子でうなずいた。
私たちは境内の端にある休憩所へ案内された。
昨日のような不思議な光も、扉から響く声もない。
木々の葉が風に揺れる、静かな午後だった。
こうして座っていると、ここが特別な場所だということを忘れそうになる。
けれど、これから聞く話は、きっと普通ではない。
「……どこから話せばいいかな」
凛は膝の上で手を組んだ。
「私がこの神社を知ったのは、湊と同じくらいの年齢の頃だったんだ」
「小学生の頃?」
「うん。ある人に連れられて、ここに来たの」
「ある人って……?」
「それは、まだ名前を言えない。でも、その人は、あの扉の向こうにいる存在と深い関わりがあった」
私は息をのんだ。
「その人も、鈴を持っていたの?」
「持っていたよ」
凛は迷いなく答えた。
「ただし、湊の鈴とは少し違った。形は似ていたけれど、紋様が違ったんだ」
向かい合う二つの曲線。
扉に刻まれた紋様。
そして、もう一つの鈴。
ばらばらだった手がかりが、少しずつつながっていく。
「その人はね、ある選択をしたんだ」
凛の声が、わずかに低くなった。
「誰かを守るための選択だった。でも、その結果、守れたものばかりじゃなかった」
「……何かを失ったの?」
「うん」
凛は、そっと目を伏せた。
「その人は、自分で決めたことを後悔していた。だから、同じような選択をする人が現れたら、今度こそ別の道を選んでほしいって……そう願っていたんだと思う」
私は、昨日の扉の向こうの声を思い出した。
――大切なものを守ろうとした。その気持ちまで、否定することはできない。
あの声には、後悔だけではなく、確かな思いもあった。
「……それって、湊にも関係があるの?」
凛は、すぐには答えなかった。
やがて、まっすぐ私を見た。
「あると思う。でも、湊が同じ選択をするって決まったわけじゃない」
「そっか……」
「だから、お願い。誰かが選んだ道を、最初から正しいとか間違いだとか決めないでほしい」
凛の目は真剣だった。
「その人にも、その人なりの理由があったんだと思うから」
私は静かにうなずいた。
まだ分からないことは多い。
けれど、扉の向こうの存在を、ただ怖いものだとは思えなくなっていた。
◇
「では、私からも一つ、お話しいたしましょう」
巫女が静かに口を開いた。
「鈴に刻まれた紋様は、もともと一つのものではございません」
「……一つじゃない?」
「はい。二つの異なる紋様が、ある時を境に結びついたものなのです」
私は鞄から鈴を取り出した。
「じゃあ、この二つの曲線は……」
「二つの意思が向かい合っていることを示す印。少なくとも、今の鈴においては、そのように現れております」
「向かい合う二つの意思……」
それは、誰と誰なのだろう。
私と、扉の向こうの存在?
それとも、かつて鈴を持っていた人と、別の誰か?
考えていると、巫女が続けた。
「ですが、ここで誤解なさらないでくださいませ。その印は、どちらかがどちらかに従うことを意味してはおりません」
「従う……」
「はい。二つの意思が存在するからといって、片方がもう片方の望みをかなえなければならない、ということではないのです」
巫女は、私の鈴を静かに見つめた。
「鈴は命令を下すものではありません。ましてや、あなたの未来を決めるものでもございません」
私は鈴を握りしめた。
その言葉を聞いて、胸の奥にあった不安が少しだけ薄れていく。
私は何かのために選ばれたのかもしれない。
でも、それは私が自分自身を捨てなければならないという意味ではない。
「……じゃあ、守り手っていうのは?」
以前、鈴に浮かんだ言葉。
『次の守り手へ』。
ずっと気になっていたことを、私はようやく尋ねた。
巫女は静かにうなずいた。
「守り手とは、何かを必ず成し遂げる者のことではございません」
「え?」
「守るべきものを知り、それをどう扱うか、自ら考える者のこと。少なくとも、あなたに託されようとしている役目は、命令に従うことではないのです」
私は、すぐには返事ができなかった。
守り手。
その言葉から、もっと大きくて、逃げられない役目を想像していた。
でも、巫女の説明は違った。
何を守るのか。
どう守るのか。
そして、本当に守ると決めるのか。
それすら、私自身が考えていいのだ。
「……少し、安心しました」
私がそう言うと、巫女は優しく微笑んだ。
「それならば、何よりにございます」
◇
帰り道。
神社を出たところで、凛が足を止めた。
「湊」
「どうしたの?」
「一つ、訂正しておきたいことがあるんだ」
「訂正?」
凛は、少しだけ困ったように笑った。
「昨日、私が言ったでしょ。湊に同じことを繰り返してほしくなかったって」
「うん」
「あれは、私が勝手に怖がっていただけなのかもしれない」
私は凛を見つめた。
「……どういうこと?」
「私は、昔聞いた話をずっと覚えてた。誰かを守ろうとして、たくさんのものを失った人の話をね」
凛は空を見上げた。
「だから、湊が鈴に関わり始めたとき、また同じことが起きるんじゃないかって思ったんだ」
「……うん」
「でも、今日話を聞いて、少し考えが変わった」
凛は私に向き直った。
「湊は、その人じゃない。湊が選ぶことまで、私が先回りして怖がるのは違うよね」
その言葉を聞いて、私はゆっくりとうなずいた。
「……ありがとう、凛」
「えっ? なんでお礼?」
「私のことを心配してくれたから」
「……そっか」
凛は照れくさそうに頬をかいた。
「でも、心配はするよ。友達だし」
「ふふっ。うん」
そのとき、私のスマホが震えた。
画面には、莉奈からのメッセージが表示されていた。
『湊、今どこ? みんなで駅前にいるんだけど、よかったら来ない?』
続けて、彩花からもメッセージが届く。
『クレープ食べよー!! 湊の分も候補考えてる!』
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
「どうしたの?」
「みんなが駅前にいるんだって。クレープ食べようって」
「いいね。行ってきなよ」
「凛も一緒に行かない?」
「えっ、私も?」
「うん。せっかくだし!」
凛は少し驚いた顔をしたあと、柔らかく笑った。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
私は莉奈に返信した。
『今から行くね! 凛も一緒だよ』
すぐに返事が来た。
『ほんと!? 待ってるね!』
私はスマホをしまい、凛と並んで歩き始めた。
神社の謎は、まだすべて解けたわけじゃない。
でも、今日はいくつものことを知ることができた。
鈴は私に命令しない。
守り手という言葉も、私の未来を決めるものではない。
そして凛は、私が自分で選ぶことを信じようとしてくれている。
だったら、今の私が選びたいことは――。
「……クレープ、何味にしようかな」
「そこなの?」
凛が笑った。
「だって、大事でしょ?」
「はいはい」
夕暮れの道に、私たちの笑い声が響いた。
難しいことを考えるのは、また明日でもいい。
今は、みんなのところへ行こう。
甘いクレープと、いつもの笑顔が待っている場所へ。




