第五十九話 凛と訪れた神社
翌日の放課後。
私は、スマホの画面を見つめながら、何度も文章を打っては消していた。
『今日、一緒に神社へ行かない?』
たったそれだけの文章なのに、送信ボタンを押す勇気が出ない。
昨日、凛は「考えておく」と言っていた。
無理に誘うのも違う気がする。
でも、一人では行かないと約束した以上、誰かと一緒に行くなら、やっぱり凛に来てほしかった。
「……よし」
私は意を決して、送信ボタンを押した。
数秒後。
スマホが震えた。
『分かった。校門で待ってて』
「……えっ?」
思わず声が出た。
もっと悩むと思っていた。
断られる可能性だって考えていた。
なのに、返事は驚くほどあっさりしていた。
私は慌てて鞄を持ち、教室を出た。
◇
「凛!」
校門の近くで待っていた凛は、私を見ると小さく手を上げた。
「来たね」
「う、うん。本当に一緒に来てくれるんだ」
「湊が一人で行かないって約束したからね」
「それはそうだけど……」
「それに」
凛は少しだけ視線をそらした。
「私も、確かめたいことがあるから」
「確かめたいこと?」
「うん。でも、着いてから話すよ」
そう言って歩き始めた凛の横顔には、いつもより緊張が浮かんでいた。
それを見て、私は気づいた。
凛も、何かを怖がっているのかもしれない。
私だけが知らないことを、凛はずっと一人で抱えてきたのだろうか。
「……凛」
「何?」
「今日は、一緒に来てくれてありがとう」
凛は一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「まだ神社に着いてないよ?」
「それでも、だよ」
「……そっか」
凛は少し照れたように前を向いた。
「どういたしまして」
◇
神社に着く頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
鳥居をくぐる。
風が吹き抜け、木々の葉がさらさらと音を立てた。
以前ここに来たときと、景色は何も変わっていない。
それなのに、今日はどこか違って感じられた。
「……静かだね」
私が呟くと、凛は境内の奥を見つめたまま答えた。
「ここは、いつも静かだよ」
「そうだけど……なんていうか」
「分かるよ」
凛は私の言葉を引き継ぐように言った。
「何かが、こっちを見ているような感じがするんでしょ」
私は思わず凛を振り向いた。
「……凛も感じるの?」
「昔からね」
その答えに、胸の奥がざわついた。
昔から。
凛は、いつからこの神社を知っているのだろう。
私がまだ男の子だった頃?
それとも、もっと前から?
尋ねようとしたとき、拝殿の向こうから足音が聞こえた。
「お待ちしておりました」
白い装束に身を包んだ巫女が、静かに姿を現した。
変わらない穏やかな微笑み。
けれど、今日は私ではなく、凛のほうをじっと見つめていた。
「……お久しゅうございます」
その言葉に、凛の表情がこわばった。
「……やっぱり、あなたなんだね」
私は二人を交互に見た。
「え? 知り合いなの?」
巫女は答えず、ゆっくりと目を細めた。
「あなたが再びこの社を訪れる日が来るとは、思いませんでした」
「私だって、来たくて来たわけじゃないよ」
凛の声は、いつもより冷たかった。
「でも、湊を一人で来させるわけにはいかなかった」
巫女は静かにうなずいた。
「そのお気持ち、確かに受け取りました」
「……だったら、聞かせて」
凛は一歩前に出た。
「この子の鈴に、どうしてあの印が現れたの?」
巫女の視線が、私の鞄へと向けられた。
「それは、鈴が新たな役目を示し始めたからです」
「また役目の話?」
凛が鋭く言った。
「湊に何かを背負わせるつもりなら、私は――」
「凛」
私は思わず声をかけた。
凛は口を閉じた。
私は巫女を見つめた。
「……私も、知りたいです」
少しだけ、手が震えていた。
それでも、目はそらさなかった。
「鈴に何が起きているのか。扉の向こうに誰がいるのか。そして、私に何を選んでほしいのか」
巫女はしばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開いた。
「最後の問いについては、私からお答えすることはできません」
「どうしてですか?」
「それをお答えしてしまえば、あなたの選択に、私の望みが入り込んでしまうからです」
私は息をのんだ。
巫女は続けた。
「ですが、扉の向こうにおられる方については……少しだけ、お話しできることがございます」
凛の表情が変わった。
「待って。まさか、今ここで?」
「はい」
巫女は境内の奥へと視線を向けた。
「お二人とも、こちらへ」
◇
案内されたのは、以前にも訪れた神社の奥だった。
あの古い扉。
固く閉ざされ、紋様が刻まれた扉。
私は思わず足を止めた。
鞄の中で、鈴が小さく揺れた気がした。
「……やっぱり、ここなんだ」
凛が呟く。
その声には、懐かしさとも悲しさともつかない響きがあった。
「凛は、この扉を知っているの?」
「……知ってるよ」
凛は扉を見つめたまま答えた。
「でも、開いたところは見たことがない」
巫女は扉の前で立ち止まった。
「こちらにおられる方は、長い間、この社の奥でお休みになっております」
「休んでる……?」
「はい。ですが、ただ眠っておられるわけではありません」
巫女がそっと扉に手をかざす。
刻まれた紋様が、淡い光を帯びた。
「この方は、かつて一つの大きな選択をなさいました。その選択は、この社だけでなく、鈴の役目にも深く関わっております」
私は、息をするのも忘れていた。
「……その人は、私と関係があるんですか?」
巫女は私を見つめた。
「ございます」
はっきりとした答えだった。
けれど、次の言葉は、思いもよらないものだった。
「ただし、あなたがその方と同じ道を歩む必要はございません」
私は凛を見た。
凛は、唇をぎゅっと結んでいた。
「……凛?」
「……ごめん」
凛は俯いた。
「私、ずっと……湊には、同じことを繰り返してほしくなかったんだ」
「同じことって……?」
凛は答えなかった。
その代わり、扉を見つめて、静かに言った。
「……あなたは、まだ湊に何も話していないんだね」
巫女は目を閉じた。
「ええ。まだ、すべてをお伝えする時ではありません」
「また、それ?」
「ですが、ひとつだけ」
巫女は私に向き直った。
「あなたがこの扉の向こうにおられる方と、同じ道を選ぶかどうか。それは、あなた自身が決めることです」
その瞬間。
扉の向こうから、鈴の音が響いた。
今まで聞いたどの音よりも、澄んでいて、深い音だった。
私は鞄から鈴を取り出した。
表面の二つの曲線が、淡く光っている。
そして――。
扉の紋様の一部も、同じように光り始めた。
「……湊、下がって!」
凛が私の腕をつかんだ。
けれど、扉が開くことはなかった。
光はゆっくりと弱まり、やがて消えていった。
静寂が戻る。
私は鈴を握りしめたまま、閉ざされた扉を見つめた。
「……私、逃げたくない」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
凛が私を見る。
「湊……」
「何があるのか、まだ怖いよ。でも、知らないまま怖がり続けるのは嫌なんだ」
私は深く息を吸った。
「誰かに言われたからじゃなくて、私が知りたい。だから、自分で確かめたい」
巫女は、静かに微笑んだ。
「……そのお気持ちこそ、何より大切なものにございます」
凛はしばらく黙っていた。
そして、私の腕をつかんでいた手を、ゆっくりと離した。
「……分かった」
凛は小さく息を吐いた。
「だったら、私も逃げない」
「凛……?」
「全部は話せないかもしれない。でも、湊が進むなら、今度はちゃんと隣にいる」
その言葉に、胸が熱くなった。
「……ありがとう」
「だから、まだお礼は早いって」
凛は少しだけ笑った。
その笑顔を見て、私はようやく安心できた。
扉は、まだ開かない。
答えも、まだ見つからない。
それでも今日は、ひとつだけ確かなことがあった。
私はもう、一人でこの謎に向き合っているわけではない。
そして、どんな道を選ぶとしても――。
それを決めるのは、私自身なのだ。




