第五十五話 扉の向こうの鈴
翌朝。
目を覚ました私は、真っ先に机の引き出しを開けた。
布に包まれた、小さな鈴。
昨夜、もう一度確認したけれど、文字は消えていなかった。
――次の守り手へ。
「……守り手って、何を守るんだろう」
神社?
あの巫女さん?
それとも、もっと別の何か?
考えてみても、答えは出てこない。
「はぁ……朝から難しいこと考えすぎ」
私は鈴をしまい、制服に着替えた。
今日は学校。
まずは、いつもの一日をちゃんと過ごそう。
◇
「湊ちゃん、おはよ!」
「おはよう、莉奈」
教室に入ると、莉奈が手を振ってくれた。
その隣では、美咲と彩花が何やら楽しそうに話している。
「ねえ、湊。今日の放課後って暇?」
美咲が尋ねてきた。
「たぶん暇だけど、どうしたの?」
「みんなで寄り道しない? 新しいカフェができたんだって」
「カフェ?」
「そう! スイーツがおいしいらしいよ!」
彩花が勢いよく身を乗り出す。
「行こうよ、湊!」
「うーん……」
少しだけ考える。
鈴のことも気になる。
でも、ずっとそればかり考えているのも違う気がした。
「……うん、行こうかな」
「やった!」
彩花が嬉しそうに両手を上げる。
「莉奈も行くよね?」
「もちろん」
莉奈は私のほうを見て、にこっと笑った。
「湊と一緒に行きたいし」
「……っ」
不意打ちだった。
「な、何それ……」
「え? 普通のこと言っただけだけど?」
「そ、そうだけど!」
美咲がすかさず口を挟む。
「はいはい、ごちそうさまです」
「美咲!」
教室に笑い声が広がった。
……もう。
最近、莉奈はこういうことをさらっと言う。
そのたびに、私のほうが意識してしまうのは、ちょっと悔しい。
◇
放課後。
私たちは駅前のカフェに向かった。
店内は明るく、窓際の席には小さな花が飾られていた。
「わあ、かわいい!」
彩花がメニューを開く。
「見て見て! 季節限定のパフェがある!」
「彩花、さっきからそればっかりだね」
美咲が呆れたように笑う。
「だって大事じゃん!」
結衣と沙耶も、楽しそうにメニューを眺めていた。
私は莉奈の隣に座り、メニューを覗き込む。
「……どれにしよう」
「湊は甘いもの好きだよね?」
「うん。好きだけど……」
「じゃあ、これとか?」
莉奈が指差したのは、いちごのパンケーキだった。
「おいしそう……」
「半分こする?」
「えっ?」
思わず莉奈を見る。
「一人で食べきれなかったら、だけど」
「……じゃあ、半分こしたい」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
莉奈は嬉しそうに笑う。
「決まりだね」
注文を済ませ、みんなで話しているうちに、私は久しぶりに神社のことを忘れていた。
鈴も。
紋様も。
凛の忠告も。
今は、目の前のみんなと笑っていたい。
そう思えた。
◇
しばらくして、飲み物が運ばれてきた。
私は鞄からスマホを取り出そうとして、手を止めた。
「あれ……?」
「どうしたの、湊?」
莉奈がこちらを見る。
「いや、なんでもない」
鞄の中に入れていた小さな布袋。
鈴を持ち歩くのはやめようと思って、今朝は机の引き出しにしまったはずだった。
なのに。
布袋だけが、鞄の内ポケットに入っている。
「……なんで?」
自分で入れた覚えはない。
もちろん、鈴が勝手に移動するはずもない。
私はそっと布袋を取り出した。
「湊ちゃん、それ何?」
沙耶が尋ねる。
「えっと……」
説明しようとした、そのとき。
布袋の中から、小さな音が聞こえた。
――チリン。
私の手が止まる。
莉奈も、すぐに気づいた。
「……今、鈴の音がしなかった?」
「したよね?」
美咲が周囲を見回す。
「どこかのお店の飾りじゃない?」
彩花はそう言ったけれど、私は布袋から目を離せなかった。
鈴は家に置いてきたはずだ。
それなのに、どうして?
「……湊」
莉奈が静かに呼んだ。
「開ける?」
私は少し迷った。
凛との約束が頭をよぎる。
鈴に変化があっても、すぐに神社へ持っていかないこと。
でも、ここで確かめないままにするのも落ち着かない。
「……うん。中を見るだけ」
私は布袋を開いた。
中にあったのは、見慣れた小さな鈴。
「……え?」
確かに、家の机の引き出しにしまったはずなのに。
鈴の表面には、あの紋様が浮かんでいた。
そして、その中央に。
昨日まではなかった、小さな線が一本増えていた。
「これ……」
指で触れようとした瞬間。
莉奈が、そっと私の手を押さえた。
「待って」
「……莉奈?」
「何か分からないなら、今は触らないほうがいいと思う」
その言葉に、私は手を止めた。
莉奈は鈴をじっと見つめていた。
怖がっているというより、私を心配している顔だった。
「……そうだね」
私は鈴を布袋に戻した。
その直後。
音は、ぴたりと止まった。
みんなが顔を見合わせる。
「……今の、本当に何だったんだろう」
結衣が小さく呟いた。
誰も答えられなかった。
◇
帰り道。
みんなと別れたあと、私は莉奈と二人で歩いていた。
「……ごめんね」
私が言うと、莉奈は首を傾げた。
「何が?」
「せっかく楽しかったのに、変なことになっちゃって」
「湊のせいじゃないでしょ」
「でも……」
「それに、楽しかったよ?」
莉奈は笑った。
「パンケーキもおいしかったし」
「……半分こしたやつ?」
「うん。また一緒に食べたいな」
その言葉に、胸が温かくなる。
「……私も」
小さく答えると、莉奈は少しだけ目を丸くした。
そして、嬉しそうに笑った。
「約束ね」
「うん、約束」
私は鈴のことを考えていた。
けれど、莉奈と歩いているこの時間まで、不安に塗りつぶしたくはなかった。
だから今は。
鈴の答えよりも、隣にいる莉奈の温かさを大切にしたかった。
◇
その頃。
山あいの神社では、巫女が社の奥に立っていた。
目の前には、古びた扉。
長い間、開かれたことのない扉だった。
巫女は、その前で静かに頭を下げる。
「……どうか、今しばらくお待ちくださいませ」
返事はない。
ただ、扉の向こうから小さな音が響いた。
――チリン。
巫女の表情がわずかに曇る。
「……あの子は、まだ何も知りません」
そう告げる声は、祈りにも似ていた。
「この役目が何を意味するのかも。そして、あなた様がなぜ、あの子をお選びになったのかも」
扉の向こうで、何かが動いたような気配がした。
巫女は顔を上げない。
ただ、もう一度だけ、深く頭を下げた。
「どうか、あの子自身が答えを選ぶ、その時まで」
社の奥は、静まり返っていた。
けれど。
扉の隙間から漏れる淡い光は、昨日よりもわずかに強くなっていた。




