第五十四話 受け継がれるもの
翌朝。
私は机の引き出しを開けた。
中には、昨日の夜に布で包んだ鈴が入っている。
「……次の守り手へ、か」
あの文字は、確かに浮かび上がっていた。
夢だったとは思えない。
でも、凛との約束もある。
何か変化があっても、すぐに神社へ持っていかない。
「……とりあえず、学校に行こう」
私は引き出しを閉めた。
答えが分からないなら、今できることをするしかない。
◇
「湊ちゃーん!」
教室に入るなり、彩花が手を振ってきた。
「おはよ、彩花」
「ねえねえ、今日のお昼、一緒に購買行かない?」
「いいけど、何買うの?」
「新作のパン!」
「またパン?」
「新作だよ!? 新作!」
「はいはい」
思わず笑ってしまう。
席に着くと、莉奈が私の机に小さなお菓子を置いた。
「これ、昨日のお礼」
「え? 何のお礼?」
「帰りに話を聞いてくれたから」
「それ、私がお礼を言うほうじゃない?」
「じゃあ、お互いさまってことで」
莉奈はにこっと笑った。
……ずるい。
そんな顔をされたら、何も言えなくなる。
「ありがと。あとで食べるね」
「うん!」
私はお菓子を鞄にしまった。
すると、美咲がにやにやしながら近づいてきた。
「朝からプレゼント交換?」
「違うから!」
「まだ何も言ってないけど?」
「その顔がもう言ってるの!」
彩花が吹き出し、結衣まで口元を押さえて笑っている。
莉奈は少し赤くなりながら、私の隣に座った。
「……美咲、からかいすぎ」
「はいはい、ごめんなさーい」
教室に笑い声が広がる。
鈴のことを考えていると、どうしても気持ちが沈みそうになる。
でも、こういう時間があるから、私はちゃんと前を向ける。
◇
昼休み。
購買で買ったパンを食べながら、沙耶が口を開いた。
「昨日のノートなんだけど、帰ってから少し調べてみたの」
「何か分かった?」
私が尋ねると、沙耶は首を横に振った。
「はっきりしたことは、まだ。でも、気になることがあって」
「気になること?」
「うん。あのノート、私のおばあちゃんの家にずっとあったみたいなのに、家族の誰も中身を知らなかったんだって」
「え、それって……」
美咲が眉を寄せる。
「誰かが隠してたってこと?」
「そこまでは分からないよ。ただ、おばあちゃんに聞いてみたら、昔から『奥の部屋にあるものには勝手に触らないように』って言われてたらしいの」
「奥の部屋?」
結衣が小さく呟いた。
「そのノートは、そこにあったの?」
「うん」
沙耶は頷いた。
「でも、家族が知らないだけで、何か特別なものだったのかもしれない」
私は黙って話を聞いていた。
古いノート。
同じ紋様。
そして、鈴に浮かんだ文字。
偶然だと片づけるには、つながりが多すぎる。
「……沙耶」
「なに?」
「もしまた何か分かったら、教えてくれる?」
「もちろん!」
沙耶は力強く頷いた。
「私も、湊ちゃんと一緒に調べたいから」
「……ありがとう」
そう言うと、沙耶は少し照れたように笑った。
その様子を見ていた莉奈が、私の肩を軽くつつく。
「湊、また一人で抱え込まないでね」
「分かってるって」
「ほんと?」
「ほんと!」
「じゃあ、何かあったら最初に私に相談して」
「……最初に?」
「うん」
莉奈は少しだけ目をそらした。
「だって、心配だもん」
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
「……うん。約束する」
私がそう答えると、莉奈は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていたら、さっきまで頭の中を占めていた謎が、ほんの少し遠のいた。
◇
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、凛がやってきた。
「湊。少し話せる?」
「……鈴のこと?」
「うん」
私は周りを見た。
莉奈たちは少し離れたところで待っている。
「少しだけなら」
凛と一緒に、校舎の裏手へ向かった。
人通りの少ない場所で、凛が足を止める。
「昨日、何か変化はあった?」
心臓が跳ねた。
「……どうして?」
「その顔。何かあったんでしょ」
「……鈴に文字が浮かんだの」
「文字?」
「『次の守り手へ』って」
凛の顔から、表情が消えた。
ほんの一瞬だった。
でも、私は見逃さなかった。
「……やっぱり」
「やっぱりって、何?」
凛は唇を結んだ。
「湊。その文字、誰かに見せた?」
「見せてないよ。凛との約束もあったし」
「……そっか」
凛は少しだけ安心したように息を吐いた。
「じゃあ、まだ間に合うかもしれない」
「何が間に合うの?」
「……ごめん。今は言えない」
「またそれ!?」
思わず声が大きくなる。
「凛、いい加減にしてよ。知ってることがあるなら、少しぐらい教えてくれてもいいでしょ?」
「……そうだね」
凛は反論しなかった。
ただ、まっすぐ私を見つめる。
「でも、今ここで話したら、湊はきっと神社へ行こうとする」
「それは……」
否定できなかった。
「だから、まだ言えない」
「……私のため?」
「それもある」
「それも?」
凛は少し迷ってから、静かに答えた。
「私自身が、まだ確かめられていないこともあるから」
初めて聞く言葉だった。
凛も、全部を知っているわけじゃない。
そう思うと、少しだけ見え方が変わった。
「……分かった。今は聞かない」
「湊……」
「でも、いつかちゃんと話してね」
私は凛を見返した。
「私のことなんだから、私も知りたい」
凛はしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「うん。約束する」
その言葉だけは、嘘じゃない気がした。
◇
その夜。
山あいの小さな神社。
人の気配がない境内で、巫女は静かに鈴を手にしていた。
それは、湊が持っているものとよく似た鈴だった。
ただし、その表面には、異なる紋様が刻まれている。
巫女は鈴を見つめ、そっと目を閉じた。
「……次の守り手、ですか」
誰に向けるでもなく、静かに呟く。
「この子が、その名を目にする日が来るとは……」
風が吹いた。
社の奥から、かすかな音が響く。
――チリン。
巫女の手元の鈴は、鳴っていない。
音がしたのは、さらに奥。
普段は閉ざされている、古い扉の向こうだった。
巫女はゆっくりとそちらを振り返った。
「……まだ、お目覚めになるには早すぎます」
その声は、いつもの穏やかなものとは少し違っていた。
祈るように。
あるいは、何かを恐れるように。
巫女は鈴を胸元にそっと抱いた。
「どうか、あの子が選ぶ時まで……」
言葉の続きを、彼女は口にしなかった。
社の奥で、もう一度だけ鈴が鳴った。
まるで、その願いを聞き届けたかのように。




