第五十話 あなたが選んだ姿
翌日。
放課後になると、私は昨日と同じ道を歩いていた。
向かう先は、あの神社。
昨日、巫女さんから言われた言葉が、ずっと頭から離れなかった。
『あなたが女の子になった、その理由を――』
どうして私は女の子になったのか。
ずっと気になっていた。
でも。
いざ答えを聞けるとなると、少し怖い。
もし、その理由が自分の知らない何かだったら。
もし、今の私が――
何かの間違いだったとしたら。
「……違う」
私は小さく首を振った。
そんなことを考えても仕方がない。
今の私は、私だ。
そう思いながら、鳥居をくぐった。
◇
境内には、昨日と同じように巫女さんが立っていた。
「お待ちしておりました」
「……来ました」
私は巫女さんの前まで歩いていく。
「本当に、教えてくれるんですよね?」
「ええ」
巫女さんは静かに頷いた。
「今日は、すべてお話しいたしましょう」
その言葉に、私は息を飲む。
「……お願いします」
巫女さんはしばらく黙っていた。
そして――
「まず、あなたが女の子になったことに、誰かがあなたを無理やり変えたという事実はありません」
「……え?」
予想していた答えと違った。
「じゃあ……どうして?」
「あなた自身が、そうなることを望んだからです」
「私が……?」
思わず自分を指差す。
「そんなの、覚えて――」
そこで言葉が止まった。
巫女さんは首を横に振る。
「思い出す必要はありません」
「……え?」
「大切なのは、過去を掘り返すことではありません」
巫女さんは、鈴を見つめた。
「あなたが今、どう生きているかです」
私は黙って聞いていた。
「かつてのあなたは、自分自身について、たくさんの迷いを抱えていました」
「……」
「自分はどうありたいのか。
誰と一緒にいたいのか。
どんな自分なら、自分自身を好きになれるのか」
胸の奥が、少しだけ苦しくなる。
それは、今の私にも分かる気がした。
「そして、ある時あなたは願ったのです」
「……何を?」
巫女さんは私を見る。
「『今の自分とは違う自分になってみたい』と」
「……それだけ?」
「いいえ」
巫女さんは静かに首を振った。
「その願いには、もう一つ続きがありました」
私は息を止めた。
「『もし別の自分になれたなら、本当に自分が好きになれるのか知りたい』」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、強く揺れた。
何かを思い出したわけじゃない。
けれど。
その言葉が、妙に自分の中へ入ってくる。
「だから……私は女の子になった?」
「正確には」
巫女さんが言葉を続ける。
「あなたが望んだ『別の自分』が、今のあなたなのです」
私は自分の手を見る。
細い指。
見慣れた手。
もう、自分の手だと思える。
「……じゃあ、元に戻れるんですか?」
その質問に。
巫女さんは少しだけ微笑んだ。
「戻る必要があるのですか?」
「……」
答えられなかった。
◇
私は、みんなの顔を思い浮かべる。
莉奈。
美咲。
彩花。
結衣。
沙耶。
そして凛。
この姿になったから出会えた人。
この姿だから過ごせた時間。
この姿だから知ることができた気持ち。
全部が頭の中を巡っていく。
「……戻りたいとは、思いません」
気づけば、そう言っていた。
「私は……今の私が好きです」
巫女さんは静かに微笑んだ。
「それが、答えです」
「でも……」
私は鈴を見る。
「じゃあ、この鈴は何だったんですか?」
「あなたの願いを叶えたものではありません」
「え?」
「鈴は、あなたに答えを与えるものではないのです」
巫女さんは鈴を指差した。
「あなたが誰かと出会い、誰かを大切に思い、その人との縁を自分で選んだ時――」
一度、言葉を区切る。
「鈴は、それを知らせていただけです」
「……じゃあ」
私は鈴を握る。
「私が今の私になれたのも……」
「あなた自身の選択です」
その言葉を聞いて。
胸の奥が、ふっと軽くなった。
ずっと探していた答えが。
ようやく見つかった気がした。
◇
「……巫女さん」
「はい」
「じゃあ、もうここに来る必要はないんですか?」
少し寂しい気持ちで聞く。
巫女さんは、優しく微笑んだ。
「必要かどうかも、あなたが決めることです」
「またそれですか」
私は思わず笑った。
「ふふ」
巫女さんも笑う。
「ですが、一つだけ申し上げておきましょう」
「何ですか?」
「あなたのこれからは、これまで以上にあなた自身の選択で決まっていきます」
風が吹く。
木々の葉が揺れる。
「鈴が鳴らなくなったからといって、縁が消えたわけではありません」
「……はい」
「むしろ、これからが本当の始まりなのです」
私は鈴を見る。
もう鳴らない。
けれど。
今は、それでいいと思えた。
「ありがとうございました」
私は深く頭を下げる。
「こちらこそ」
「……また来ます」
そう言って、私は神社を後にした。
◇
鳥居を出る。
夕方の道を歩く。
スマホを見る。
莉奈からメッセージが届いていた。
『今日も一緒に帰ろ!』
私は笑って返信する。
『うん。今向かってる』
少し歩く。
すると――
「湊ー!」
前から莉奈が走ってきた。
「遅いよ!」
「ごめんごめん」
「どこ行ってたの?」
莉奈が不思議そうに私を見る。
「……神社」
「また?」
「うん」
「何かあった?」
私は少しだけ考える。
そして。
「うん。ちょっとね」
「そっか」
莉奈はそれ以上聞かなかった。
ただ、自然に私の隣を歩き始める。
「帰ろっか」
「うん」
私たちは並んで歩いた。
ポケットの中の鈴は、静かなまま。
もう、鳴らない。
だけど。
私はもう、それを寂しいとは思わなかった。
私が今ここにいること。
莉奈が隣にいること。
みんなと笑えること。
それは、鈴が決めたことじゃない。
私が選んだこと。
そして――
これからも、自分で選んでいく。
神社で知った答えを胸に。
私は、いつもの日常へ戻っていった。
◇
その頃。
誰もいなくなった神社の境内で。
巫女さんは、一人で空を見上げていた。
手には、もう一つの鈴。
湊が持っているものと、よく似ている。
けれど――
こちらの鈴には、まだ小さな音が残っていた。
チリン。
「……ようやく、ここまで来ましたか」
巫女さんは、静かに呟く。
そして、湊が去っていった鳥居を見る。
「ですが……」
その表情から、先ほどまでの微笑みが消える。
「まだ、すべてをお話ししたわけではありません」
風が吹いた。
巫女さんの髪が揺れる。
「あなたが選んだ姿については、お話ししました」
そして。
「けれど――」
その先の言葉を、巫女さんは口にしなかった。
ただ、手の中の鈴を見つめる。
その鈴には――
見覚えのない紋様が刻まれていた。
「……あの子が知るべき時は、まだ先」
巫女さんはそう言って、静かに目を閉じる。
まるで、誰かに語りかけるように。
「あなたも、そう思うのでしょう?」
返事はない。
ただ。
境内の奥から、一度だけ鈴の音が響いた。
チリン――。
巫女さんは、その音を聞いて小さく微笑んだ。
「ええ。まだ、始まったばかりです」
夕暮れの神社に。
鈴の音だけが、静かに残った。




