第四十九話 鈴の音が消える日
放課後。
私は、一人で神社への道を歩いていた。
理由は、特になかった。
……いや。
本当は、少しだけ分かっていた。
あの鈴のこと。
そして、あの巫女さんのこと。
最近は学校でみんなと過ごす時間が増えて、神社のことを考える時間も少なくなっていた。
それでも。
心の片隅には、ずっと残っていた。
だから今日は――
一度だけ、ちゃんと向き合おうと思った。
◇
「……やっぱり、ここだ」
鳥居をくぐる。
以前と同じように、境内には静かな空気が流れていた。
風が木々を揺らす。
カラン、と。
どこかで小さな音がした。
私はポケットに手を入れる。
そこには、あの鈴があった。
取り出してみる。
けれど――
鳴らない。
「……あれ?」
軽く振ってみる。
それでも、音はしなかった。
「どういうこと……?」
そのとき。
「ようやく、お越しになりましたね」
背後から声がした。
振り返る。
そこには、あの巫女さんが立っていた。
「……こんにちは」
「ふふ。こんにちは」
相変わらず、不思議な人だった。
何も変わっていないはずなのに。
今日は、少しだけ違って見える。
「鈴が、鳴らなくなりました」
私がそう言うと、巫女さんは鈴を見つめた。
「ええ」
「……壊れたんですか?」
「いいえ」
即答だった。
「では、どうして?」
巫女さんは、境内の奥へ視線を向ける。
「役目を終えたのでしょう」
「役目……?」
「その鈴は、縁を作るものではありません」
前にも聞いた言葉だった。
「縁があることを、知らせるもの」
「……はい」
「けれど」
巫女さんは、静かに微笑んだ。
「縁を知らせる鈴が、いつまでも鳴り続ける必要はないのです」
私は鈴を見つめる。
「どういう意味ですか?」
「あなたはもう、鈴が鳴らずとも分かるのでしょう?」
その言葉に。
私は、少しだけ考えた。
莉奈。
美咲。
彩花。
結衣。
沙耶。
そして、凛。
みんなとの時間が頭に浮かぶ。
笑ったこと。
悩んだこと。
くだらないことで騒いだこと。
誰かが落ち込めば、自然と声をかけたこと。
手を差し出したこと。
そして――
隣にいてほしいと思ったこと。
「……はい」
私は答えた。
「たぶん、もう分かります」
巫女さんは何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
「それでよいのです」
「……この鈴は、もう必要ないんですか?」
「必要かどうかを決めるのも、あなたですよ」
「私が……?」
「ええ」
巫女さんは空を見上げる。
夕暮れの光が、木々の隙間から差し込んでいた。
「縁とは、不思議なものです」
その声は、いつもより少しだけ優しかった。
「出会いは偶然かもしれません」
「……はい」
「けれど、その先まで共に歩くかどうかは――」
一拍。
「その人自身が選ぶもの」
私は、鈴を握りしめた。
◇
「……じゃあ」
私は顔を上げる。
「私がみんなと出会ったことも、鈴が決めたわけじゃないんですね」
「もちろんです」
「莉奈と仲良くなったことも?」
「ええ」
「沙耶がみんなと話せるようになったことも?」
「ええ」
「私が……今の私になったことも?」
巫女さんは少しだけ目を細めた。
「それは、とても大切な問いですね」
私は黙って待った。
けれど、巫女さんはすぐには答えなかった。
「……」
静かな風が吹く。
木々の葉が、さらさらと音を立てる。
「ですが、答えを申し上げる必要はないでしょう」
「……え?」
「あなたはもう、ご自身で答えを持っているようですから」
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
私は笑った。
「……そっか」
全部を知る必要なんてない。
なぜこうなったのか。
どうしてこの神社に来たのか。
あの鈴が何だったのか。
それを全部説明できなくても。
今、私が誰といたいのか。
これからどうしたいのか。
それだけは、自分で決められる。
「ありがとうございました」
私は頭を下げた。
「こちらこそ」
「……また来てもいいですか?」
巫女さんは微笑んだ。
「神社は、いつでもそこにありますよ」
「それ、答えになってないですよ」
思わず笑ってしまう。
巫女さんも、少しだけ笑った。
――けれど。
「……一つだけ」
巫女さんの声が、静かな境内に響いた。
私は顔を上げる。
「まだ、あなたにお話ししていないことがあります」
「……え?」
巫女さんは、真っ直ぐに私を見つめていた。
「あなたが、この姿になった理由についてです」
「……!」
胸が跳ねた。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
「それ……知ってるんですか?」
「ええ」
巫女さんは静かに頷いた。
「あなたが、なぜ女の子になったのか」
「じゃあ……教えてください」
思わず一歩、前へ出る。
ずっと気になっていた。
どうして私は女の子になったのか。
どうして、この神社に来たのか。
そして――
どうして巫女さんは、最初から何かを知っているようだったのか。
「今すぐ、聞かせてください」
私がそう言うと、巫女さんは少しだけ困ったように微笑んだ。
「……そう急がなくても大丈夫ですよ」
「でも……」
「この話は、あなたにとって、とても大切なものです」
巫女さんは、境内の奥へ目を向ける。
夕暮れの光が、木々の間から差し込んでいた。
「ですから、きちんとお話しできる時にしましょう」
「……いつですか?」
少しの沈黙。
そして――
「また明日、ここへ来てください」
「明日……?」
「ええ」
巫女さんは静かに頷いた。
「明日なら、すべてお話しいたしましょう」
その声は、いつもより少しだけ低く。
そして、どこか決意を感じさせるものだった。
「あなたが女の子になった、その理由を――」
私は何も言えなかった。
ただ、巫女さんの言葉を胸に刻むように、静かに頷いた。
「……分かりました」
◇
神社を出る。
振り返る。
そこには、いつもの神社があった。
静かで。
少し不思議で。
でも、もう怖くはなかった。
ポケットの中の鈴を見る。
やっぱり鳴らない。
「……そっか」
私は小さく呟いた。
「じゃあ、これでいいんだ」
鈴をポケットに戻す。
そして、スマホを見る。
通知が一件。
莉奈からだった。
『今どこ?』
その短いメッセージを見て。
私は自然と笑っていた。
『ちょっと寄り道してた』
そう返す。
すぐに返信が来る。
『そっか。じゃあ待ってるね』
「……待ってるんだ」
胸が、少しだけくすぐったくなる。
私は歩き出した。
神社から離れて。
いつもの道へ。
いつもの学校へ。
いつものみんなのところへ。
◇
「湊!」
駅へ向かう途中。
聞き慣れた声がした。
莉奈が手を振っている。
その後ろには、美咲、彩花、結衣、沙耶の姿もあった。
「遅いよー!」
彩花が笑う。
「何してたの?」
美咲が首を傾げる。
「……ちょっとね」
私は笑って答えた。
「寄り道」
「ふーん?」
美咲が意味ありげに私を見る。
でも、今日はそれ以上聞かなかった。
莉奈が私の隣に並ぶ。
「帰ろっか」
「うん」
私たちは歩き出した。
鈴は鳴らない。
もう、鳴らなくてもいい。
だって。
私は知っている。
私が誰と笑いたいのか。
誰の隣にいたいのか。
そして――
これから、どこへ進みたいのか。
それは鈴が教えてくれるものじゃない。
私自身が、選んでいくものだから。
夕暮れの道を、みんなと歩く。
その先に何が待っているのかは、まだ分からない。
でも。
明日、私はまた神社へ行く。
そして、巫女さんから聞く。
私が女の子になった、本当の理由を。
神社編は、まだ終わっていない。
――その答えを聞く、その瞬間までは。




