第四十七話 鈴が鳴らない理由
次の日の放課後。
「……よし」
私は鞄の中を確認した。
スマホ。
財布。
生徒手帳。
そして、小さな鈴。
「忘れ物なし!」
「湊ちゃん、何してるの?」
「うわっ!?」
突然後ろから声をかけられ、思わず肩が跳ねた。
振り返ると、莉奈ちゃんが不思議そうに私を見ていた。
「な、なんでもないよ?」
「鞄の中、三回くらい確認してなかった?」
「……見てたの?」
「うん」
「忘れて!」
莉奈ちゃんは楽しそうに笑った。
「それで、今日はどこか行くの?」
「神社」
「……あっ!」
莉奈ちゃんが手を叩く。
「昨日言ってたやつだね!」
「そうそう。昨日、変なメッセージが来たから、巫女さんに聞いてみようと思って」
「じゃあ、私も行く!」
「いいの?」
「もちろん!」
即答だった。
私は思わず笑ってしまう。
「じゃあ、一緒に行こっか」
「うん!」
◇
学校を出て、しばらく歩く。
いつもの帰り道から外れ、細い道へ入る。
木々の向こうに、古びた鳥居が見えてきた。
「……やっぱり、何度見ても不思議な場所だね」
莉奈ちゃんが呟く。
「うん」
私も頷いた。
初めてここに来たとき。
私は、どうしても説明できない何かに導かれるように、この場所へたどり着いた。
そして、あの巫女さんと出会った。
あの人は一体、何者なんだろう。
神社の関係者?
それとも、本当に神様の使いとか……?
「……考えても分からないか」
「湊ちゃん?」
「ううん、なんでもない」
私たちは石段を上り、境内へ入った。
静かだった。
風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
「……あれ?」
私は辺りを見回した。
「巫女さん、いないね」
「今日はお休みなのかな?」
「神社の巫女さんって、そういうものなのかな……」
「さあ?」
二人で首を傾げていると。
――チリン。
「……!」
鞄の中から鈴の音が聞こえた。
私は慌てて取り出す。
鈴は、社のほうを向くように小さく揺れていた。
「湊ちゃん、それ……」
「うん。こっちに来いってことかな?」
「鈴に呼ばれるって、普通なの?」
「普通じゃないと思う……」
自分で言っていて、少し不安になった。
それでも。
私は鈴を握り、社へと近づいた。
◇
「……誰もいないね」
社の前に立ってみても、人の姿はなかった。
私は小さく息を吐く。
「せっかく来たのに……」
そのときだった。
――チリン。
鈴が鳴った。
けれど。
今度は、さっきとは違う。
音がしたのは、私の手の中ではなかった。
「……え?」
私は顔を上げる。
社の裏側。
木々に囲まれた、細い小道。
そこから、確かに鈴の音が聞こえた。
「湊ちゃん、今の音……」
「聞こえたよね?」
「うん……」
私は莉奈ちゃんを見る。
少し迷った。
知らない道へ入るのは、正直怖い。
でも。
この先に何かがある気がした。
「……ちょっとだけ、見てみよう」
「一人で行っちゃだめだよ?」
「もちろん。莉奈ちゃんも一緒ね」
「うん!」
二人で小道へ入る。
木々の間を進むと、やがて小さな建物が見えてきた。
社務所……ではない。
もっと古く、小さな建物だった。
その前に。
「……あ」
人影があった。
白い装束に、赤い袴。
長い黒髪。
見覚えのある姿。
「巫女さん!」
私が声をかけると、その人はゆっくり振り返った。
「おや」
穏やかな声。
「また、お会いしましたね」
「よかった……! 今日はいないのかと思いました」
「ふふ。少しばかり、奥の掃除をしておりました」
巫女さんは私の手元に目を向けた。
「その鈴を持ってきたのですね」
「はい。聞きたいことがあって」
「何でしょう?」
私はスマホを取り出した。
「昨日、変なメッセージが届いたんです」
「ほう」
「送り主が『神社』って表示されてて……。でも、開いたら消えちゃって」
巫女さんは驚かなかった。
ただ、静かに目を細めた。
「その文面は、覚えていらっしゃいますか?」
「えっと……」
私は記憶をたどる。
「『今日、あなたが繋いだ縁は――』ってところまで」
「……なるほど」
「何か知ってるんですか?」
巫女さんはすぐには答えなかった。
代わりに、私の手の中の鈴を見つめる。
「湊さん」
「はい?」
「あなたは、その鈴が何のためにあると思いますか?」
「え?」
私は鈴を見た。
「縁を繋ぐため……ですか?」
「半分は正解です」
「半分?」
「鈴は、縁を作るものではありません」
巫女さんは静かに言った。
「すでにそこにある縁を、あなたに知らせるものなのです」
「……すでに、ある縁?」
「はい」
私は考え込んだ。
沙耶ちゃんと出会ったこと。
莉奈ちゃんたちと過ごしていること。
それらは全部、私が自分で選んだことだと思っていた。
でも。
「……じゃあ、私が沙耶ちゃんに声をかけたのも?」
「あなた自身が選んだことです」
巫女さんは、はっきりと答えた。
「鈴に操られたわけではありません。誰かに決められたわけでもありません」
「……そっか」
少し安心した。
不思議な力に導かれていたとしても。
自分で選んだことまで、誰かに決められていたわけじゃない。
それなら、よかった。
「ですが」
巫女さんが続けた。
「縁は、必ずしも近づくことだけを意味しません」
「……え?」
「時には、離れることも。また、何もせず見守ることも」
私は言葉を失った。
縁を繋ぐ。
それは、誰かと誰かを仲良くさせることだと思っていた。
でも。
そうとは限らないらしい。
「……難しいですね」
「ええ。人と人との縁は、簡単には測れませんから」
◇
「ところで」
巫女さんが、ふと莉奈ちゃんのほうを向いた。
「莉奈さん」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれ、莉奈ちゃんが背筋を伸ばす。
「あなたは、湊さんの鈴が鳴るところを何度か見ていますね」
「えっと……はい」
「では、一つお聞きしても?」
「何ですか?」
巫女さんは微笑んだ。
「もし、その鈴があなたの前では一度も鳴らなくなったら、どうしますか?」
「……え?」
莉奈ちゃんの笑顔が止まった。
私も思わず巫女さんを見る。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
莉奈ちゃんが尋ねた。
巫女さんは答えない。
ただ、私の手元を見つめている。
私は鈴を握り直した。
「……莉奈ちゃん?」
「……ううん」
莉奈ちゃんは小さく首を振った。
「どうもしないよ」
そして、私を見る。
「鈴が鳴らなくても、湊ちゃんは湊ちゃんでしょ?」
「……!」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……うん」
私は笑った。
「そうだね」
すると。
――チリン。
鈴が鳴った。
今までよりも、はっきりと。
巫女さんはその音を聞き、静かに目を閉じた。
「……そうですか」
「え? 何がですか?」
「いえ」
巫女さんは顔を上げる。
「よい答えを聞けました」
「……?」
莉奈ちゃんと顔を見合わせる。
意味は分からない。
けれど。
巫女さんは、どこか安心したような表情をしていた。
◇
帰り際。
「巫女さん」
私は振り返った。
「また来てもいいですか?」
「もちろんです」
「……そのときは、もう少し詳しく教えてくださいね」
「ふふ。あなたが知りたいと思うことが増えれば、自然と答えも見えてくるでしょう」
「またそれですか……」
私は苦笑した。
「もうちょっと分かりやすく教えてほしいんですけど」
「それは、今後の課題ですね」
「課題なんだ……」
莉奈ちゃんが隣で笑う。
私もつられて笑った。
そして、二人で鳥居へ向かう。
境内を出る直前。
私は一度だけ振り返った。
巫女さんは、まだあの場所に立っていた。
まるで、私たちを見送るように。
その姿が木々の向こうに隠れたとき。
手の中の鈴が、小さく鳴った。
――チリン。
「……ねえ、莉奈ちゃん」
「ん?」
「もし、いつかこの鈴が鳴らなくなったら……どう思う?」
莉奈ちゃんは少し考えた。
それから。
「そのときは、そのときじゃない?」
「……適当だなあ」
「だって、鈴がなくても湊ちゃんと一緒にいられるもん」
「……」
私は思わず黙った。
そんな私を見て、莉奈ちゃんが笑う。
「何? 照れてるの?」
「照れてない!」
「ほんとかなー?」
「ほんと!」
二人で笑いながら、帰り道を歩く。
鈴はもう鳴らなかった。
でも。
不思議と、不安はなかった。
誰かとの縁を知らせてくれる鈴。
けれど。
その縁を大切にするかどうかは、自分で決めること。
「……よし」
私は小さく呟いた。
明日も、いつも通りに過ごそう。
莉奈ちゃんたちと笑って。
沙耶ちゃんとも話して。
自分で選んだ毎日を、大切にしよう。
そう思った、そのとき。
莉奈ちゃんがふと足を止めた。
「……湊ちゃん」
「ん?」
「私、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
莉奈ちゃんは、いつもより真剣な顔をしていた。
「……もし、私たちが出会ってなかったら」
「……え?」
「湊ちゃんは、今の自分を好きになれてたと思う?」
私は、すぐには答えられなかった。
夕暮れの空を見上げる。
今の私。
女の子になった私。
そして、みんなと過ごす毎日。
「……分からない」
正直に答えた。
「でも」
私は莉奈ちゃんを見る。
「今は、みんなに出会えてよかったって思ってるよ」
「……そっか」
莉奈ちゃんは、少しだけ笑った。
その笑顔は、いつもと同じだった。
けれど。
なぜだろう。
ほんの少しだけ、寂しそうに見えた。
――チリン。
今度こそ。
鈴が一度だけ鳴った。
その音の意味を、私はまだ知らなかった。




