第三十八話 私を呼ぶ神社。
美月と別れたあと。
私は一人で帰り道を歩いていた。
夕方の空は、少しずつ暗くなり始めている。
「……結局、分からないままか」
あの日のこと。
私が自分を変えたいと思ったこと。
美月が何度も「湊は湊だよ」と言ってくれたこと。
少しだけ分かったことはある。
でも。
どうして私は女の子になったのか。
それだけは、まだ分からない。
「……まあ、考えても仕方ないか」
そう呟いて、私は歩き続けた。
いつもの帰り道。
――の、はずだった。
「……あれ?」
気づいたときには、見覚えのない道を歩いていた。
「ここ……どこ?」
周りを見渡す。
住宅街の中にある、細い道。
こんなところ、今まで通ったことがあっただろうか。
「私、こんな道に入ったっけ……?」
少し不安になりながら歩いていると。
道の先に、赤い鳥居が見えた。
「……神社?」
鳥居の向こうには、長い階段。
その先には、木々に囲まれた小さな社が見える。
「こんなところに神社なんてあったんだ……」
私は立ち止まった。
帰ろう。
そう思った。
けれど。
なぜか、足が動かなかった。
まるで。
誰かに呼ばれているような。
「……変なの」
私は小さく呟き、鳥居をくぐった。
階段を上る。
一段。
二段。
周囲は静かだった。
風に揺れる木の葉の音と、遠くから聞こえる車の音。
それ以外には何も聞こえない。
やがて階段を上り終える。
「……誰もいない」
小さな境内。
古びた社。
そして、その隣に――。
「……あ」
一人の女性が立っていた。
白い衣に赤い袴。
巫女さん……だろうか。
長い黒髪を背中に流し、静かに境内を掃いている。
「すごくきれいな人...」
私が近づくと。
女性は箒を止めた。
「……おや」
そして。
こちらを見て、微笑んだ。
「これは、珍しいお客様ですね」
「え?」
私は思わず足を止める。
女性は私をじっと見つめている。
その目は優しい。
でも。
どこか不思議な感じがした。
「あなた……」
女性が静かに口を開く。
「湊さん、ですね?」
「……!」
心臓が跳ねた。
「なんで……私の名前を?」
女性は答えず。
ただ、穏やかに微笑んだ。
「やはり、湊さんでしたか」
「いや、やはりって……」
私は少し警戒する。
「私、あなたとは初対面ですよね?」
「ええ」
「じゃあ、どうして……」
「ふふ」
女性は箒を壁に立てかけた。
「ここに来る方のお名前くらい、知っておりまして」
「……ここに来る方?」
「はい」
その言い方が妙に引っかかった。
「私、ここには偶然きたんですが...」
「そうでしょうね」
「……?」
女性は私の横を通り過ぎ、社の前まで歩いていく。
「ですが」
振り返る。
「あなたがここに来るのは必然なのですよ。」
「え?」
「いえ」
女性は微笑む。
「今は気にしなくてよいでしょう」
まただ。
意味深なことを言っているのに、肝心なところは教えてくれない。
「……あなたは、何者なんですか?」
私が聞くと。
女性は少し考えるように首を傾げた。
「私は、この社に仕える者です」
「巫女さん?」
「そうですね」
女性は柔らかく笑った。
「神様のお使い、とでも思っていただければ」
「神様の……使い?」
「ええ」
冗談を言っているようには見えない。
でも。
本気で言っているようにも見えない。
「……なんか、不思議な人ですね」
「よく言われます」
「自覚あるんだ……」
思わず苦笑する。
すると女性も、少しだけ笑った。
「湊さん」
「はい?」
「何か、お困りのことがあるのでしょう?」
「……」
私は黙った。
どうして分かるんだろう。
でも。
今までのことを話してもいいのかもしれない。
私は少し迷ってから口を開いた。
「……自分のことが、よく分からなくて」
「ほう」
「急に女の子になって……」
「ええ」
「最初は嫌だったんです。でも、今は……」
私は自分の髪に触れる。
「今の私も、私なのかなって思えるようになってきて」
女性は黙って聞いていた。
「でも、たまに分からなくなるんです」
「何がでしょう?」
「どうして私は、こうなったんだろうって」
女性は少しだけ目を細めた。
「なるほど」
「……何か知ってるんですか?」
女性はすぐには答えなかった。
そして。
「理由を知りたいのですか?」
「……はい」
「でしたら」
女性は社の方へ視線を向ける。
「明日も、ここへいらしてください」
「明日も?」
「ええ」
「何をするんですか?」
女性は振り返る。
「簡単なお願いを一つ、聞いていただくだけですよ」
「お願い……?」
「はい」
それ以上は何も言わなかった。
「それをしたら、私のことを教えてくれるんですか?」
「ふふ」
女性は楽しそうに笑う。
「答えを知りたいのは、湊さんでしょう?」
「……そうですけど」
「でしたら、明日いらしてください」
女性は静かに頭を下げた。
「今日はもう、日が暮れます」
私は空を見上げる。
いつの間にか、かなり暗くなっていた。
「……分かりました」
鳥居の方へ向かう。
でも。
途中で振り返った。
「……あの」
「はい?」
「あなたの名前は?」
女性は少しだけ笑った。
「今は、神社の巫女とでも呼んでください」
「今は……?」
「ええ」
その言葉が妙に引っかかった。
「では、また明日」
私は小さく会釈をして、神社を後にした。
階段を下りる。
鳥居をくぐる。
そして振り返ると――。
そこには、さっきまで見えていた神社がなかった。
「……え?」
私は目を疑った。
そこにあったはずの鳥居も。
長い階段も。
神社も。
全部、暗い住宅街の向こうに消えていた。
「……なんだったの、今の」
しばらく立ち尽くしてから。
私は家へ向かって歩き出した。
でも。
頭の中には、あの巫女の言葉が残っていた。
『明日も、ここへいらしてください』
「……明日、本当に行けるのかな」
そう呟いた瞬間。
どこからか。
小さな鈴の音が聞こえた。
――チリン。
「……」
私は振り返らなかった。
ただ。
なぜか少しだけ。
明日が楽しみになっていた。




