第三十六話 もう一度、会いたい。
――美月。
その名前を思い出してから。
ずっと頭の中から離れなかった。
「……美月」
放課後。
私はスマホの画面を見つめていた。
『名前、思い出したんだね』
『次は、あの日のことを思い出して』
『待ってるよ、湊』
間違いない。
美月は私が名前を思い出したことを知っている。
ということは。
「……今も、私のことを見てる?」
少し怖い。
でも。
それ以上に。
「会いたい」
そう思った。
◇
「湊ちゃん?」
教室を出ようとしたところで、莉奈に呼び止められた。
「今日もどこか行くの?」
「うん」
「昨日の公園?」
「……違う」
私は少し迷った。
でも。
「昔の友達に会いに行く」
「昔の友達?」
「美月っていう子」
莉奈の目が少し大きくなる。
「美月ちゃん……」
「うん」
「その子が、湊ちゃんのことを知ってるの?」
「たぶん」
「女の子になったことも?」
「……うん」
莉奈は少し黙った。
「そっか」
そして。
「じゃあ、行ってきなよ」
「いいの?」
「うん」
莉奈は笑った。
「湊ちゃんが会いたいって思ってるなら」
「……ありがとう」
「でも!」
「?」
「帰ってきたら、ちゃんと話してね」
「もちろん」
「約束!」
莉奈が小指を出す。
私は少し笑って。
「約束」
小指を絡めた。
◇
校門を出る。
スマホを見る。
美月からのメッセージは、あれから来ていない。
「……どこにいるんだろう」
そのとき。
「湊」
「……凛?」
後ろから凛が追いついてきた。
「一人で行くの?」
「うん」
「そう」
凛は少しだけ考える。
「じゃあ、これ」
「何?」
小さな封筒だった。
「美月から預かってた」
「……え?」
「ずっと前から」
「なんで今?」
「名前を思い出したら渡してって言われてた」
「……!」
私は急いで封筒を開けた。
中には一枚の紙。
子どもの字だった。
『湊へ』
『もし、この手紙を読んでいるなら』
『きっと、名前を思い出してくれたんだよね』
「……美月」
続きには。
『あの日のことを全部思い出すのは、怖いかもしれない』
『でも、私は待ってる』
『あの日と同じ場所で』
『今度は、逃げないで話そう』
最後に。
『美月』
私は手紙を握りしめた。
「……あの日と同じ場所」
凛を見る。
「どこ?」
「分かってるでしょ?」
「……」
私は考える。
そして。
「あの公園」
「うん」
「でも、昨日行ったよ?」
「今日じゃない」
「え?」
凛は静かに言った。
「もう一つ、約束した場所がある」
「……もう一つ?」
「うん」
「どこ?」
「駅の近くにある、小さな神社」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中に、また記憶が浮かんだ。
◇
――昔。
「ここ、誰も来ないね」
美月が笑っている。
「秘密基地みたい」
私は辺りを見回した。
「じゃあ、ここを秘密の場所にしよう」
「いいね」
「四人だけの場所」
「うん」
凛と桜も頷く。
そして。
四人で小指を絡める。
『この場所のこと、絶対忘れない』
『うん』
『誰にも教えない』
『約束!』
笑い声。
そして――。
美月が私を見る。
『湊』
『なに?』
『もし、いつか私たちが離れても』
『うん』
『ここで会おう』
『分かった』
『絶対だよ』
『絶対』
◇
「……思い出した」
私は目を開けた。
「そこ……」
「うん」
凛が頷く。
「美月はそこで待ってる」
「……」
私は深呼吸した。
「行ってくる」
「うん」
「凛」
「なに?」
「ありがとう」
「……どういたしまして」
凛は笑った。
「今度は、ちゃんと話してきて」
◇
夕方。
私は教えられた神社へ向かった。
見覚えのある道。
見覚えのある階段。
「……ここ」
昔の記憶が、少しずつ重なっていく。
鳥居。
小さな境内。
奥にあるベンチ。
「……本当に、残ってる」
子どもの頃の記憶と同じだった。
そして。
「――湊」
声がした。
振り返る。
「……美月」
そこに。
昨日の女の子が立っていた。
美月は少しだけ笑った。
「久しぶり」
「……うん」
「ちゃんと名前、思い出したね」
「うん」
私は一歩近づく。
「美月」
「なに?」
「聞きたいことがある」
「……うん」
「私が忘れた、あの日のこと」
美月は静かに頷いた。
「話すよ」
「全部?」
「全部」
私は息を呑んだ。
「でも、その前に」
美月が私を見る。
「一つだけ聞かせて」
「何?」
「今の湊は――」
美月は少しだけ寂しそうに笑った。
「今の自分を、どう思ってる?」
「……え?」
「女の子になった今の自分」
私は答えに迷った。
昔なら。
絶対に嫌だと思っていた。
でも今は。
「……分からない」
「そっか」
「最初は嫌だった」
「うん」
「でも」
私は自分の髪に触れる。
「最近は……この姿でいるのも、悪くないって思ってる」
「……そう」
「友達といるのも楽しいし」
「うん」
「今の私も、私なんだって思えるようになった」
美月は目を細めた。
「……よかった」
「え?」
「それなら」
美月は一歩近づいた。
「話しても大丈夫かもしれない」
「何を?」
「湊が、あの日――」
美月は言葉を止める。
そして。
「自分を変えたいって言った日のこと」
「……!」
胸が大きく鳴った。
「私が……?」
「うん」
「何で?」
美月は静かに答えた。
「湊は、自分のことが分からなくなってた」
「……」
「男の子としていればいいのか」
「……」
「それとも――」
美月が私を見る。
「自分が本当に好きなものを、そのまま好きでいていいのか」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中に。
昔の私の泣き顔が浮かんだ。
「……私」
私は震える声で呟く。
「何を、怖がってたの?」
美月は答えた。
「――自分自身だよ」
その瞬間。
頭の奥で。
何かが大きく崩れた。
そして。
忘れていた「あの日」の記憶が――。
少しずつ、蘇り始めた。




