第三十一話 忘れていた約束
――今の声。
確かに聞こえた。
「……誰?」
私は振り返った。
廊下には、何人かの生徒がいる。
でも。
さっき私を見ていた人は、もういなかった。
「湊ちゃん?」
「……莉奈ちゃん」
「どうしたの? 急に振り返って」
「今、誰かいた気がして」
「誰か?」
「うん……」
私は廊下の奥を見る。
誰もいない。
気のせいだったのかな。
「……ううん。なんでもない」
「そっか?」
「うん」
そう答えたけれど。
胸の奥に残った違和感は、消えなかった。
◇
昼休み。
「湊、今日ぼーっとしてる」
美咲がそう言った。
「そう?」
「うん」
「私もそう思うー」
彩花が私の顔を覗き込む。
「朝からなんか考え事してるよね」
「……昔のこと」
「昔?」
「うん」
私は昨日のことを話した。
夢のこと。
声のこと。
そして、手紙の裏に書かれていた言葉。
「『あの子を』って?」
結衣が小さく呟いた。
「うん。そこで文字が読めなくなってた」
「誰のことなんだろうね」
彩花が首を傾げる。
「分からない」
私は弁当を見つめた。
「でも……」
「でも?」
「昔の私には、すごく大切な人がいた気がする」
四人が静かになった。
「その人に会いたい」
そう言った瞬間。
「……そっか」
莉奈が優しく笑った。
「じゃあ、一緒に探そうよ」
「え?」
「だって、湊ちゃんが大切にしてた人なんでしょ?」
「うん」
「だったら、私たちも知りたい」
「私たちも?」
美咲が頷いた。
「湊が大切にしていた人なら、私たちにも大切な人だと思うから」
「……みんな」
胸が少し温かくなった。
昔の私には、凛と桜がいた。
そして。
今の私には、この四人がいる。
「ありがとう」
自然に、笑顔がこぼれた。
◇
放課後。
私は凛を呼び止めた。
「凛」
「ん?」
「昨日のことなんだけど」
「声のこと?」
「うん」
凛は少しだけ表情を変えた。
「誰かが私を見てた気がするの」
「……」
「もしかして、知ってる?」
凛はしばらく黙った。
そして。
「……たぶん」
「やっぱり?」
「でも、その人が今ここにいるかは分からない」
「どういうこと?」
「昔の私たちを知ってる人は、他にもいるから」
「……他にも?」
凛は頷いた。
「湊が忘れてることは、私たち二人だけじゃない」
「じゃあ……」
私は一歩近づいた。
「その人も、私の過去を知ってるの?」
「知ってると思う」
「誰なの?」
「それは――」
凛が言葉を止める。
その瞬間。
「凛」
後ろから声がした。
「……桜?」
桜が立っていた。
「二人とも、ここにいたんだ」
「桜。ちょうど今――」
凛が何かを言いかける。
でも。
桜は私を見ると、静かに言った。
「湊。少しだけ、聞いてほしいことがある」
「なに?」
「昔の約束のこと」
「……また会おうっていう約束?」
「それもだけど」
桜は首を横に振った。
「その前に、もう一つ約束したことがあるの」
「もう一つ?」
「うん」
胸がざわついた。
「何を約束したの?」
桜はすぐには答えなかった。
そして。
「それは、湊自身が思い出すべきことだから」
「……またそれ?」
思わず頬を膨らませる。
「二人とも、秘密ばっかり」
「ごめん」
「……でも」
桜が少しだけ笑った。
「もう、かなり近くまで来てると思う」
「何に?」
「記憶に」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の奥がズキッと痛んだ。
「……っ」
「湊!」
凛がすぐに支える。
「大丈夫?」
「うん……」
目を閉じる。
すると。
――公園。
――三人。
――小さな私。
そして。
もう一人。
「……また……」
誰かの姿が見える。
顔は分からない。
でも。
今度は、声だけじゃない。
その人が私の手を握っている。
『約束だよ』
「……約束?」
私は呟いた。
『忘れても大丈夫』
「……!」
聞き覚えのある言葉。
だけど。
手紙に書いたのは私。
なら、この言葉を最初に言ったのは――。
『いつか、また会おうね』
そこで記憶が途切れた。
「……今の」
目を開ける。
凛と桜が私を見ている。
「思い出した?」
「少しだけ」
「何を?」
「約束……」
私は胸に手を当てた。
「私、誰かと約束した」
「うん」
「でも、その人が誰なのかは分からない」
桜は静かに頷いた。
「それでいいよ」
「……え?」
「今日は、それだけで十分」
凛も微笑んだ。
「少しずつでいい」
「……うん」
私は頷いた。
◇
帰り道。
四人と別れ、一人になった私は空を見上げた。
「……約束」
まだ思い出せない。
でも。
確かに、そこには誰かがいた。
私の手を握って。
私に何かを約束して。
そして――。
私が忘れてしまった。
「……ごめん」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
そのとき。
スマホが震えた。
知らない番号からのメッセージ。
『――もうすぐだね』
「……え?」
私は画面を見つめた。
続けて、もう一通。
『今度こそ、忘れないで』
「……誰?」
返信しようとした。
けれど。
その瞬間、メッセージが消えた。
「……え?」
履歴にも残っていない。
まるで。
最初から何も届いていなかったみたいに。
私はスマホを握りしめた。
「……私の過去を知ってる人」
そして。
その人は今も――。
私の近くにいるのかもしれない。




