第三話 女の子になった俺、告白される。
次の日。
まだ慣れていない学校生活が終わる
帰りのホームルームが終わった直後だった。
スマホが震える。
画面を見ると、メッセージが一件届いていた。
『湊ちゃん、今日の放課後、少し時間ある?』
白石莉奈からだった。
俺は少し考えてから、返信する。
『あるけど、どうした?』
すぐに既読がついた。
『じゃあ、学校裏の桜の木のところに来てほしいな』
『桜の木?』
『うん。ちょっと話したいことがあるの』
そこまで読んだところで、続けてメッセージが届く。
『絶対来てね』
『約束だからね?』
「……なんだ?」
なんとなく、いつもと違う気がした。
「湊、誰から?」
隣から美咲がスマホを覗き込もうとする。
「白石」
その名前を口にした瞬間。
「……白石さん?」
美咲の声が、ほんの少しだけ低くなった。
「うん。放課後、桜の木のところに来てほしいって」
「……ふーん」
美咲はそれ以上何も言わなかった。
ただ、その表情は少しだけ曇っていた。
「湊ちゃん、白石さんと何かあるの?」
彩花が笑いながら聞いてくる。
「いや、俺もよく分からない」
「そっか」
彩花は笑っていた。
けれど、その笑顔にはいつもの明るさが少しだけ足りなかった。
「……」
結衣も何も言わず、俺を見ている。
その視線が、妙に気になった。
――そして放課後。
俺は一人、学校裏へ向かった。
そこには一本の大きな桜の木がある。
季節は少しずつ春の終わりへ向かっていて、花はほとんど散っていた。
枝に残っているのは、薄いピンク色の花がわずかにあるだけ。
「……来てくれたんだ」
声がして振り返る。
「白石」
莉奈が立っていた。
少し息を切らしている。
「ご、ごめん。待った?」
「いや、今来たところ」
「そっか……よかった」
莉奈は胸に手を当てて、小さく息を吐いた。
そして、桜の木を見上げる。
「なんか、懐かしいね」
「そうだな」
「中学の頃も、こうやって放課後に話したことあったよね」
「あったっけ?」
「あったよ」
莉奈が笑う。
「湊ちゃん、忘れてるでしょ?」
「……まあ」
「やっぱり」
俺と莉奈は中学校は違ったけど塾は同じだった。
お互いに教え合うくらいに仲が良かった。
クスクスと笑ったあと、莉奈は少しだけ俯いた。
「ねえ、湊ちゃん」
「ん?」
「私ね……中学の頃から、湊ちゃんのこと可愛いって思ってた」
「……え?」
思わず聞き返す。
「中学の頃から?」
「うん」
莉奈は頷いた。
「でも、その頃はそれが恋だなんて思ってなかった」
「……」
「一緒にいると楽しかったし、塾で湊ちゃんに会える日も楽しみだった」
莉奈は当時を思い出すように、ゆっくりと言葉を続ける。
「分からない問題を教えてもらったり、帰り道でくだらない話をしたり……」
「そんなこともあったな」
「湊ちゃんが笑ってると、なんだか私まで嬉しくなって」
莉奈は少し笑った。
「でも、それは仲のいい友達だからだと思ってた」
「……うん」
「だから、湊ちゃんが女の子になったって聞いたときは、本当にびっくりした」
「……俺もびっくりしたよ」
「だよね」
莉奈は小さく笑う。
けれど、すぐにその表情が変わった。
「でもね」
「……?」
「実際に湊ちゃんを見たら……昔のことを、いっぱい思い出したの」
「昔のこと?」
「うん」
莉奈は俺を見る。
「塾でいつも同じ席に座ってたこととか」
「……よく覚えてるな」
「湊ちゃんが数学で困ってたこととか」
「それまで?」
「あと、休み時間になると必ず飲み物買いに行ってたこと」
「……そんなことまで覚えてるのか」
「覚えてるよ」
莉奈は少し照れたように笑った。
「だって、私にとっては大事な思い出だから」
「……」
「それでね」
莉奈の頬が、少し赤くなる。
「気づいたの」
「何に?」
「私、ずっと湊ちゃんのこと考えてたんだって」
「……」
「学校で何してるかな、とか」
「……」
「ちゃんとご飯食べてるかな、とか」
莉奈は一度、深く息を吸った。
手が少し震えている。
「……だから」
目が合う。
けれど、莉奈はすぐに視線を逸らした。
「……緊張するなぁ」
「白石?」
「ごめん。ちょっとだけ……時間ちょうだい」
数秒の沈黙。
風が吹いた。
桜の花びらが、一枚だけ足元に落ちる。
莉奈はその花びらを目で追ってから、もう一度俺を見る。
「……湊ちゃん」
「うん」
「私――」
一度、言葉に詰まる。
そして。
「私、湊ちゃんのことが好きです」
「……」
頭が真っ白になった。
「……好き?」
「うん」
莉奈は頷いた。
「友達としてじゃないよ」
その言葉で、ようやく意味を理解する。
「……俺を?」
「そう」
莉奈は少し恥ずかしそうに笑った。
「ちゃんと、恋愛として好き」
「……」
俺は何も言えなかった。
告白された。
しかも、女の子に。
嬉しい……のか?
驚いているのか?
それとも――困っているのか。
自分でも分からない。
「……ごめん」
やっと出てきた言葉は、それだった。
「今すぐ答えられない」
「うん」
「俺……まだ、自分が女の子になったことにも慣れてないんだ」
「……うん」
「それに、俺が誰を好きなのかも……まだ分からない」
俺は誰かを好きになる以前に、自分自身のことすらあまりわかっていない。
莉奈は黙って俺の話を聞いていた。
そして、少しだけ笑った。
「じゃあ、返事は今じゃなくていいよ」
「……いいのか?」
「もちろん」
莉奈は一歩だけ近づく。
「その代わり――」
「?」
「これから、いっぱいアタックするから」
「……え?」
「湊ちゃんが私のことを好きになるまで」
莉奈は楽しそうに笑った。
「覚悟してね?」
「いや、覚悟って……」
「好きな人のことだもん」
そう言って、莉奈は先に歩き出した。
「じゃあ、また明日ね」
「……うん」
その背中を見送る。
莉奈の姿が見えなくなっても、俺はしばらく動けなかった。
「……告白、された」
改めて口にすると、さらに実感が湧いてくる。
「しかも女の子に……」
今までとは、何かが変わった気がした。
――そして俺は、まだ知らなかった。
これが、俺たちの関係が変わっていくきっかけになることを。
◇
学校へ戻ると、下駄箱の近くに三人がいた。
「あ、湊」
美咲がこちらを見る。
「遅かったね」
「ちょっと話してた」
「白石さんと?」
「うん」
美咲の表情が一瞬だけ固まる。
「……何の話?」
「昔の話とか」
「昔?」
「中学のとき、同じ塾だったんだよ」
「……それだけ?」
美咲の声が少しだけ低い。
「うん」
嘘ではない。
告白されたことを話していないだけだ。
「……そっか」
美咲はそれだけ言って、俺より少し前を歩き始めた。
「……美咲?」
「別に」
そう言った声は、どう聞いても「別に」ではなかった。
「湊ちゃん、帰ろ?」
彩花も声をかけてくる。
けれど、いつもなら自然に俺の腕に絡んでくるはずなのに――今日は何もしない。
「……?」
そして結衣も。
少し離れた場所を歩いていた。
「……なんか、今日みんな変じゃないか?」
俺には、その理由が分からなかった。
◇
翌朝。
「湊ちゃん、おはよう!」
「白石?」
教室に入った瞬間、莉奈が近づいてきた。
「今日、お昼一緒に食べない?」
「昼?」
「うん」
「いいけど」
「やった」
莉奈は嬉しそうに笑った。
「あと、放課後も空いてる?」
「放課後?」
「駅前に新しいクレープ屋さんできたんだって」
「……行ってみたい」
「じゃあ決まり!」
その会話を、少し離れたところから三人が見ていた。
「……湊」
美咲が呼ぶ。
「ん?」
「放課後、前に一緒に行こうって言ってたところ……」
「……あ」
完全に忘れていた。
「ごめん」
「……そっか」
美咲は小さく笑った。
「じゃあ、白石さんと行けば?」
「美咲?」
「楽しんできて」
そう言って、席に戻ってしまった。
――まただ。
最近、美咲の距離が少しずつ遠くなっている気がする。
「……?」
彩花が苦笑する。
「湊ちゃん、白石さんとすごく仲良くなったね」
「そうか?」
「だって、中学から知ってるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ……私たちより湊ちゃんのこと知ってるのかな」
「そっかぁ、じゃあ私たちより湊ちゃんのこと詳しいのかもね」
彩花は笑っていた。
いつものように
でも、その笑顔には少し寂しさが混じっていた。
結衣は何も言わない。
ただ、二人を見ていた。
◇
昼休み。
俺と莉奈は、学校裏のベンチに座っていた。
「はい、卵焼き」
「え?」
「食べる?」
「もらう」
卵焼きを受け取る。
「じゃあ、私は唐揚げもらいまーす」
「いいよ」
「……ふふ」
「何?」
「中学の頃も、こうやって時々おかず交換してたなって」
「ああ……そういえば」
「やっぱり忘れてた」
「悪かったな」
「いいよ」
莉奈は笑う。
「こうやってまた一緒に食べられるの、嬉しいし」
「……そっか」
「うん」
俺も自然と笑っていた。
「そういえば湊ちゃん」
「ん?」
「昔、卵焼き甘いの好きだったよね」
「……よく覚えてるな」
「覚えてるよ」
「俺は忘れてた」
「ふふっ。じゃあ、私のほうが湊ちゃんのこと詳しいかもね」
「……そうかもしれない」
そう言うと、莉奈は嬉しそうに笑った。
「もっといっぱい思い出させてあげる」
「なんだそれ」
「これからいっぱい一緒にいれば、分かるよ」
莉奈と話している時間は、楽しい。
昔のことを知っているからなのか。
それとも――告白されたからなのか。
まだ自分でも分からない。
「湊ちゃん」
「ん?」
「私、湊ちゃんと二人で話すの好き」
「……俺も楽しいよ」
「ほんと?」
「うん」
莉奈は嬉しそうに笑った。
◇
その頃、教室では。
「……最近、莉奈ちゃんとずっと一緒だね」
彩花が呟いた。
「うん……」
結衣が小さく頷く。
「昼も放課後も一緒」
「……」
美咲は黙ったまま、箸を持っている。
「美咲ちゃん?」
「……近いのかな」
「え?」
「湊と白石さん」
美咲は二人がいる方向を見る。
「……距離」
箸を握る手に、少しだけ力が入った。
「私たちより……近いのかな」
「……」
誰も答えられなかった。
――中学からの付き合い。
湊の昔を知っている。
昔の好きなものも、苦手なものも。
私たちが知らない湊を、白石さんは知っている。
それが、美咲には少しだけ悔しかった。
◇
放課後。
「湊ちゃん、行こ!」
「うん」
莉奈が教室まで迎えに来た。
「あ……湊」
美咲が何か言おうとする。
「ごめん、美咲。今日は莉奈と約束してるから」
「……そっか」
「また今度な」
「……うん」
美咲はそれ以上何も言わなかった。
ただ、湊が莉奈と並んで歩いていく姿を、じっと見ていた。
彩花は笑って手を振る。
「楽しんできてね」
「ありがとう」
結衣は目を逸らした。
「……」
「結衣?」
「……ううん。なんでもない」
二人が教室を出ていく。
その背中を三人は見送った。
「……嫌だ」
ぽつりと呟いたのは結衣だった。
「え?」
「湊ちゃんが……遠くに行っちゃうみたいで嫌だ」
自分でも驚いたように、結衣は俯く。
「私、何もできてないから……」
「……」
美咲も二人が消えた廊下を見る。
「私も」
「美咲ちゃん?」
「湊が白石さんといるの、嫌」
美咲は唇を噛む。
「だって……」
ずっと、自分が一番近くにいると思っていた。
隣の家で。
昔から一緒にいて。
何でも話せる。
そんな関係が、当たり前だと思っていた。
「……取られたくない」
彩花は少しだけ目を伏せた。
「私も……」
「彩花?」
「私、友達で十分だと思ってた」
いつも湊の隣にいられる。
一緒に笑って。
一緒に帰って。
それだけで十分だと思っていた。
でも――。
莉奈がその場所にいるのを見た瞬間。
「……嫌だ」
初めて、そう思った。
「私も、湊ちゃんの隣にいたい」
三人とも、まだ自分の気持ちを完全には理解していなかった。
ただ一つだけ。
ただ、莉奈に湊を取られたくない。
その気持ちだけは、少しずつ大きくなっていた。
◇
――次の日。
「湊ちゃん、おはよう!」
「おはよう、莉奈」
「今日のお昼も一緒に食べよ?」
「うん」
「放課後は?」
「また?」
「また」
莉奈は笑った。
「昨日のクレープ、美味しかったからさ。また一緒に行きたいなって」
「じゃあ、行く?」
「やった!」
その翌日。
「湊ちゃん、これ好きだったよね?」
「え? なんで知ってるんだ?」
「中学のとき言ってたじゃん」
「……覚えてたのか」
「もちろん」
また別の日。
「湊ちゃん、数学苦手だったよね」
「なんでそれまで……」
「塾で一緒に勉強してたから」
「そうだったな」
「あと、テスト前になると必ず同じ参考書使ってたよね」
「……そこまで覚えてるのか」
「好きな人のことだもん」
そう言って笑う莉奈。
俺は思わず笑ってしまう。
「……白石って、本当に昔から変わらないな」
「そう?」
「うん」
莉奈といる時間は、日に日に増えていった。
そして――。
美咲は、以前のように俺を誘わなくなった。
どうせ莉奈との予定がある。
そう思ってしまうから。
それでも、美咲は遠くから俺たちを見ていた。
彩花も、以前のように腕を組んでこなくなった。
笑顔は変わらない。
でも、その距離は少しずつ離れていた。
結衣は、ある日の放課後。
「湊ちゃん、今日……」
「ん?」
「……白石さんと帰るの?」
「ああ、うん」
「そっか」
結衣は少し寂しそうに笑った。
「……楽しんできてね」
「結衣?」
「じゃあ、また明日」
そう言って、結衣も去っていく。
「……?」
何かがおかしい。
でも、何がおかしいのか分からない。
莉奈との距離が近づくほど。
三人との距離は、少しずつ遠ざかっていく。
それでも俺は、その変化に気づけなかった。
莉奈が本気で俺を振り向かせようとしていることも。
美咲が「一番近くにいたい」と思い始めていることも。
彩花が「友達のままでは嫌かもしれない」と気づき始めていることも。
結衣が「湊ちゃんを遠くに行かせたくない」と思っていることも。
このときの俺は、まだ何も分かっていなかった。
ただ一つ。
――明日から、今まで通りにはいかない。




