――ハジメノイッポ
彼の昔は一言で言うと手のつけられない子供だった。小さい頃は近所の子に手を上げ、大怪我をさせてそのたびに両親が謝っていた。
大きくなった今でも家では勿論、外に出てもその勢いは衰えることが無かった。
彼の行いを見てみれば喧嘩、恐喝などは可愛いものだ。
万引き、傷害事件なども一体何度起こしたことだろう。
その行いは家庭内にも及んでいた。
暴行、脅し、脅迫じみた台詞を用いたお金の取り上げ。
学生であるにも関わらず、学校へ行くことは滅多に無く、家の中で暴君として振舞っていた。
つまり、ただ唯一山岳部の活動に出かけているときだけが両親にとって家庭内で最も幸せな時間であったのだ。
それでもあんな事故が起こると駆けつけずには入られないのが親というものらしい。
「先生…、先生!うちの子は…!?」
相当苦労していたのだろう、母親の顔はやつれきっている。
良く見ればあちこちに薄いあざが出来ていた。
明らかに暴力によって出来たものであろう。
だが、医師はそれに気付かない振りをした。
お金を取れることは望むべきことだが、面倒ごとに巻き込まれることを考えると二の足を踏む。
傍に立つ父親は何も言うことこそないが、顔色は蒼白だ。矢張り心配はしているのだろう。
しわのできたスーツ姿であるということは仕事先から飛んできたに違いない。
両親が来る前にあらかたこの家族のことは調べてあるのだ。
そのためにこの二人が一体どんな生活を送っていたのかもある程度察しがつく。
起きた段階ではあの青年が、それほど悪人であるという印象は受けなかったのだが…、それはまあ如何でもいいことだ。
だが、なるほど。情報だけを見るならば稼ぐことはできそうだ。
二人を前にして、医師は少し眉根を寄せた。
内面の思いを全く出さず、悲痛な面持ちでこう告げる。
「…ご存知かとは思いますが、彼は唯一の生存者なんです。そして、だからといって無事だったとは言いがたい。それほどまでにあの事故は悲惨でした…」
まず、始め印象をより悪く教えることが重要だ。
それによってこのタイプの両親ならばぎりぎりの額まで払うだろう。
事実あの地すべりの事故は酷かった。本来ならば危険のため登山コースに指定されていないはずの道をゆき、前日の雨の所為で起こった土砂崩れに山岳部のメンバー全員が巻き込まれたのだ。
告げたとおり、青年以外のメンバーは皆即死していた。
「ああ…!」
医師の思惑通り、母親が悲痛な声を上げる。
不安感をあおった後、此処で安心させるのである。
「ですが大丈夫です、お母様。彼は無事、持ち直しそうです。我々のところへ運ばれてきたのは不幸中の幸いでした」
命に金額など付けられない、とはよく言う。
だがもし、仮につけるとしたならば?
彼らの腕は確かに超一流であり、医療ミスもほとんどない。
だが彼らは善人ではないのだ。
非常に高い医療技術の見返りとして、法外ぎりぎりのお金を報酬として受け取る。
まさに金で命を売っているのだ。
現代医学で治せぬものなど、ほとんど存在しないのだから。
事故から数時間、生存者発見の情報と共に彼が運ばれてきたのがこの病院。
お金のことなど考える余裕もない、それほどまでに患者の容態は悪化していた。
だがそれでも、絶命していたほかの山岳部メンバーに比べれば商売道具としての価値は残ったのだ。
そして此処の医師達は前述の通り、不幸を元に富を享受する。
言い回しの順番も、相手を納得させ円滑に利益を得るための交渉術。
「命が助かったことは良かったのですが…それまでにかかった費用を考えますとですね」
(死ねば良かったのに)
突然憎悪に満ちた声が聞こえたような気がして、医師は慌てて父親のほうへと視線を向けた。
その声は、聞き流すにしては余りにも明確にかつ恐ろしく寒気を感じさせるものであったのだ。
「…お父様?」
近くにいる男性は、医師を除いて彼しかいない。
廊下を歩くほかの人物は女性の看護士がほとんどだからだ。
「どうかなさいましたか、先生?それで、息子のために…いくらほど出せばよいのでしょうか」
だが対して返事をした青白い顔の父親は、聞こえてきた声とは似ても似つかぬ細い声であった。
それに、声の雰囲気も全然違う。
聞こえた気がしただけだ。医師はそう思うことにした。
「ああ、はい。そうですね…」
ごほん、と医者は咳をした後軽く首をさすった。
そうだ、あんな子供のために此処まで駆けつけてくる親が金を出さないはずがない。
「まず急患として入られたところから考慮にいれますと……」
金額を挙げていくにつれて二人の顔が引きつってくる。
これくらいで止めるべきだろう、何とか払える金額、それが重要なのだ。
「こほん、まあ一部は学生保険が利きますので、実際にはもう少し安くなるはずです」
「…あなた…」
「大丈夫だ、何とか…何とか払えます。ですから、息子を…お願いします」
「勿論です、しっかり息子さんを元気にしてお返しさせてもらいますよ」
(……余計なことを。これでは折角……て向かわせたのに)
また声が聞こえた。今度は女性の声だ。
怨嗟に狂った声、と表現するのが最も相応しいその声の主を、医師は知らない。
「……お母様?」
だが、強いて言うのならば先ほどから話をしている母親の声に似ていたような気がする。
「え?あ…はい、よろしく、お願いします…」
また、空耳が聞こえたらしい。ごほん、と咳をして場を誤魔化す。
軽く喉をさすった仕草を見咎めてか、父親が口を挟んできた。
「ところで、先生も先ほどから何度も咳をしてらっしゃるようですが…医者の不養生という言葉もあります、気をつけてください」
「おっと、これは失礼…、息子さんには、間違ってもうつしませんよ」
営業用の笑みを浮かべた医師。
彼は少しばかり浮かんでいた、喉への引っ掛かりはただの風邪気味だからだ、と誤診した。




