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ウンポコ・ポルファボールの再興 【 完結済 】   作者: 内田 食(うちだ はむ)
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ごみ捨て場、合鍵屋、スポーツドリンク

 着いた先は住宅地で路上駐車をするようなゆとりある道幅は存在せず、あたしが一人で先に車を降りる。暮根雅人は駐車場を探しに車を走らせる。

 暮根雅人の携帯アプリが指し示す点に保護施設らしきものは見当たらない。保護施設どころか、そこには建物らしきものすらもない。ただのゴミ捨て場である。カラスに荒らされないための網があり、収集日を記した看板が立っている。

 ゴミ捨て場とは言うものの、ゴミ収集はすでに終わっていてそこにゴミの山は存在しない。ただ、片隅に一つ、ぱんぱんに膨らんだスーパーのレジ袋が捨てられている。もしやと思い、近寄って中を検めるとアロアの毛布が丸めて突っ込んであった。アロアが片時も手放さない大事な毛布を捨てるだなんて。これでろくでもない毒親なのが証明された。許さない。

 汚らしいレジ袋に入れたままにはしていられないと思い、毛布を取り出して畳んで腕にかける。毛布が日差し遮るので、思いのほか暑苦しさはない。砂漠に住む人々が頭から布をかけている姿を思い出し、腕にかけるよりもいっそ毛布を頭から被ってしまった方がしのぎやすいのかもしれないと思う。やらないけど。レジ袋はその場に放置していきたかったのだが、それも憚られたので畳んでポケットに入れる。もちろん、路面に触れていた不潔な面を中に織り込んでおくという一工夫は欠かさない。

 腕にかけた毛布を見やりつつ、これが捨てられた局面を想像する。家の近所まできてこれを捨てたのか、あるいは道すがら走る車の中から毛布をゴミ捨て場に投げ捨てたのか。どちらなのかわからない。わからないけど今できるのは近隣の家の表札をチェックすることだ。

「えーと、峯平、みねだいら、ミネダイラ……」変わった苗字だ。こんな苗字の表札がこの狭い範囲で見つかるようなことがあるならば、そこがビンゴと思って間違いないだろう。

 一軒家は比較的ちゃんと表札がかかっているので助かる。しかし、集合住宅に住む人はポストに名前を書いたりしないし、建物によってはオートロックで中に入れない。チェックするのに人手があった方がいいのだが、暮根雅人は車を駐めるためにいったいどこまで行っているのだろうか。携帯電話を取り出して、電話をかける。とたんに手に持っていたGPS探知機がブブブブと震えだしてびっくりする。そうだった。あたしが持つこの機械はGPS探知機というよりは、暮根雅人の携帯電話だったのだ。つまり今、暮根雅人とは連絡がつかないということである。黙々と一人でチェックを続けるしかない。


 ふと立ち止まって、どのくらい確認したものかと振り返って見てみるものの、どこからどこまで確認したのか見当が付かない。アリババと四十人の盗賊みたいに、チェックしたドアに大きな赤い印をつけて回ればよかった。でも、絵の具もペンキもチョークも、なんにも持ってない。

おぼろげな記憶を辿る。えーと、この通りの家はたぶん全部見て回った。あっちの路地も確認した。そっちの角も見て回った。あと見てないのは、その十字路から先のブロックか。

 

「探したよ」と声をかけられて振り返ると、スーツを着た暮根雅人が疲れた顔をして立っていた。この暑い中で、なんでスーツなんかを着ているのか。いつものアロハシャツはどうしたの、と言いかけて思い出した。葬儀だったのだ、永島さんの。そうだ、そうだった。あたしも喪服だ。暑い中をうろうろして、意識が飛びかけているのかもしれない。

「顔色が悪いよ」と暮根雅人が言う。いや、でも、アロアを探さないと。あたしの持つ毛布に目を止めた暮根雅人が「それは、どこに?」と訊いてくる。ゴミ捨て場にあった旨を話すと「いったん、帰ろう」と言い出す。アロアを見つけるまで帰れるものか。虐待の家に戻されてしまったのだ。一刻を争う事態であることを暮根雅人はどう考えているのか。

「君の体調も一刻を争うように見えるけどね」と言って腕を引かれて駐車場に連れていかれる。抵抗する気力がない。

 ワンコインパーキングに着くと、キャデラックは肩身が狭そうな様子で駐まっている。やっぱり大きすぎる。助手席のドアも隣接する車との隙間が狭すぎて開けられない。

「ちょっと待っていて。いま、車を前に出すから」暮根雅人が滑り込むように乗り込んで、少し前に進める。車の列からキャデラックの車体が半身抜け出したところで、ドアを開ける余地ができる。車の中に乗り込む。車内にはまだいくらかの冷気が残っていた。あたしが乗ると入れ替わりに暮根雅人が車から出て、自販機に向かう。水とスポーツドリンクのペットボトルを持って戻ってきて、運転席に乗り込み、二つともあたしに渡す。受け取ったものの、飲む気が起きない。

「飲んでおいた方がいいよ」と暮根雅人に促されて、スポーツドリンクの蓋を開けて、一口飲む。水分が身体の隅々に行きわたる。糖分が吸収されて活力が蘇る。そのまま一気に飲み干して、一息つく。いくらか頭が冴えてくる。もしかするとさっきの状態は熱中症というやつだったのかな。無気力で自動的に動いていた。水を飲むという発想も湧かなければ、日陰で休むという意識も働かなった。あのまま暑い中をふらふらと歩いていたら、あるいは危なかったのかもしれない。

 暮根雅人が車を出そうとするのを制して、携帯電話を暮根雅人に渡す。すでに毛布が手元にある以上、GPSとにらめっこしていてもしかたない。暮根雅人は携帯電話を懐に仕舞うと、静かに車を出した。スポーツドリンクで生き返ったと思ったけれど、やはりもうひとつ体調が悪い。車の揺れが身体に響く。

「横になるといいんじゃないかな」という暮根雅人の提案に素直に従う。運転席と助手席の間にある背もたれを倒して、その隙間から後ろの席に移って横になる。脚を伸ばして横になってもまだ余裕がある。大きすぎるだの邪魔くさいだのと文句を言ってすまなかった、フリードウッド。いまはその余りある車幅がありがたい。


 ほどなくして暮根雅人のマンションに到着する。この辺の地理に明るくないあたしはさっきの場所とこの場所とがどうつながるのかまるでわからない。

「鍵、持っているよね」と暮根雅人が運転席の窓を開けて言う。先に一人で降りたあたしは暮根雅人の言うことに頷いてマンションの部屋に向かう。暮根雅人は車に乗って駐車場に向かう。車を駐めにどこまで行くのか知らないが、最初から駐車場付きの物件に住めばいいものを。いや、大きなトイレが気に入ってここに住んでいると言っていなかったか。それならば暮根雅人の付けた優先順位にあたしが文句を言うこともないだろう。

 エレベーターで上がって、部屋のドアに鍵を差す。ドアを開けるとボーちゃんの出迎えを受けて気持ちが和む。ほんとに気のいい犬ね。吠えたり唸ったりしないのかな。いや、注意喚起の意味で吠えることはあるわね。

 ボーちゃんに招き入れてもらって、居間に行く。涼しい。エアコンが付けっぱなしなのか。電気代や地球環境のことがちらりと頭を掠めるが、無人の室内でエアコンを入れていたわけではなく、ボーちゃんのための空調だろう。

 ソファーに座って、開けていない水のペットボトルを額に当てる。冷たい感触が心地いい。首筋や頬にもペットボトルを当てる。そして、蓋を開けて一口飲んで、ソファーに横たわる。横になるなら、いっそ寝室のベッドを借りてしまおうかとも思うが、人のベッドに入るのは抵抗感がある。嫌悪感、とまでは言わない。それにいまさらの移動は面倒くさい。

 そんなことを逡巡していると、ボーちゃんが玄関の方を向きながら唸る。

「どうしたの、ボーちゃん」と声をかける。ボーちゃんは唸りながら歯をむき出して姿勢を低く保つ。こんな険しい表情のボーちゃんは初めて見る。玄関から鍵音が聞こえる。暮根雅人が戻ってきただけなのではないかとあたしには思えるのだけれど、ボーちゃんは寝ているあたしを鼻先で突いてソファーから立ち上がらせる。すると、今度はボーちゃんが後ろから押してくるので、押されるがままに歩く。そして、トイレの扉を鼻面で指し示す。扉といってもボーちゃん用のトイレの出入り口だ。

「ここに入れと言っているの?」とボーちゃんに聞いてみると、こくりと頷いた。頷く? 犬って頷くものなの? やっぱりこの子、言葉わかっているよね、と思わずにはいられない。

 四つん這いになって、ボーちゃん用の入り口からトイレに入ろうとするが、中が暗くて躊躇する。トイレの照明のスイッチは廊下側にあったように思う。ということは、トイレの中からでは明かりを付けられないということになる。暗いトイレに入るのをためらっていると、ボーちゃんが後ろから額でお尻を押してくる。わかったよ、入るから押さないでよ、と思う。意を決して中に入るとなにかを自動で感知するらしく、照明が灯る。あら、そしたらこの間、トイレの明かりだと思って入れたスイッチはなんだったのだろう。いや、いまはそんなことはどうでもいい。とにかく、明るいのはありがたい。

立ち上がって音を立たないように金属のレバーを回してトイレの鍵をかける。ボーちゃんがあれほど警戒するからには、やはり侵入者なのよね。空き巣だろうか。住人の有無を確認もせずに入ってこようとするあたり、居直り強盗にもなり得る素養を感じる。まあ、ボーちゃんと一緒だから心強い。と思って振り返るがそこにボーちゃんの姿はない。あれ、ボーちゃんは? 二人でトイレの中に籠城するものだと思っていたのだけれども、ボーちゃんは一人で侵入者と対峙するつもりなのかしら。あたしはどうすればいいんだろう。ここに立てこもっていればいいのだろうか。それとも機を見て逃げ出した方がいいのか。どうにかボーちゃんを手伝えないか。そうだ、スタンガン。いや、バッグは居間に置いてきてしまった。いやいや、スタンガンは学校用の鞄に入れっぱなしだ。そして、今日持ってきているバッグはフォーマルなやつで、それにスタンガンは入っていない。肝心なときに手元になくて、なにが護身だろうか。常にもっておけと暮根雅人も言っていたではないか。

 そこにボーちゃんの吠える声が耳に届く。ボーちゃんが侵入者を部屋の奥に足止めして吠えたてている、という構図を想像する。逃げるなら今だ、と感じてトイレの鍵を開けて出る。トイレから出た瞬間に居間のドアも開く。

 一瞬、互いに虚を突かれる。侵入者は昔のプロレスラーのような覆面にジャージの上下、そして靴下。全身、黒尽くめである。夜ならいざ知らず、昼日中に、それもこんな暑い日の黒まみれはやたらと目立つと思うのだけれども、この侵入者はその辺をどう考えているのか。

 そんなことを考えていると、侵入者が右手を伸ばしながらあたしの方に突進してくる。侵入者が伸ばした手の先にはスタンガンが握られている。スタンガン。

 慌ててトイレに戻って鍵をかける。これでしばらく立てこもれる。ボーちゃん用の出入り口という逃げ道もある。初見であの扉に気付けるやつはそうそういないだろう。

「トイレの鍵は外側から簡単に開けられるんだよ」と入口の向こう側で侵入者が言う。この声、聞いたことがある。

「おとなしく出てくれば痛いことはしないよ。さあ、出ておいで」と続ける。こいつは、侵入者というよりも変質者か。

 トイレの引き戸のドアハンドルに両手をかけて押さえる。内側からドアを押さていると、ボーちゃんがトイレの中に援軍にやってきた。ボーちゃんと二人なら、まだ抵抗できるだろうか。でも、あのスタンガンをどうにかしないと。悩んでいるとかちゃかちゃという音が聞こえて、鍵が外れる。あたしは必死に引き戸を押さえつけるが、変質者の力がそれを上回って、戸がいくらか開く。変質者がトイレに首を突っ込んできて、中を見回す。あたしと視線が合って、いやらしく笑う。覆面のせいで目しか見えないにも関わらず、表情は顕著に伝わってきた。あたしはそれを見て、体重を乗せて渾身の力を込めて戸を閉めにかかるが押し戻せない。変質者の正面に移動したボーちゃんが吠えかかる。

「おい、あれ、なんで犬がここにいるんだよ。何匹いるんだよ、犬!」と変質者が叫ぶ。一頭だけよ、と思うが教えてやる義理はない。ボーちゃんが変質者を威嚇している、その後ろから蓋を開けたペットボトルを振り回す。

「なんだ、これ……水? ただの水を撒いてどうすんだよ」と変質者が言う。

「スタンガンのスイッチを入れると感電するわよ」とあたしが言う。

「騙されないぞ、そんなこと」と変質者は言うが、その声には多少の動揺が滲む。実のところ、あたし自身も自分の言ったことを信じていない。本当に感電してくれたらラッキーだけど、それよりは変質者がそれを気にしてスタンガンのボタンを押すことを躊躇してくれれば上出来だ。この隙にボーちゃんが噛みついてくれればと思うけど、唸るばかりで飛び掛かったりする様子はない。ボーちゃんの品の良さがいささか恨めしい。ボーちゃんに目をやった隙に、顔を挟まれている変質者が隙間からスタンガンを持ってない方の手を伸ばしてきた。戸を握る手を離して逃げなくちゃ、という判断が一瞬遅れて、その手はあたしの手首を掴む。変質者に触れられて、頭に血が上る。気持ち悪い、死ね、誰か、助けて、等々、叫びたい言葉が渋滞して声が出ない。

「とりあえず、ドアを開けてくれよ、な、いいことしようよ」と変質者が言う。なにがいいことだ、気色悪い。その刹那、ボーちゃんが音もなく変質者の手首に噛みついた。変質者は悲鳴を上げて手を放す。あたしは自由になった手を引っ込める。痛みで怒った変質者がスタンガンをボーちゃんに当てにいく。あたしはまだドアに全体重をかけて閉めることに集中しているために、ボーちゃんの助けに入れない。自分のスタンガンで感電しろ、変質者め、という祈りが通じたのか変質者の体が崩れ落ちて床に倒れる。いや、祈りが通じるなんてことが起こるはずかない。なぜ倒れた。演技だろうか、と思いつつも押さえていたドアから少しずつ力を抜く。

「これ、誰」とトイレの戸の向こうから暮根雅人が言う。

「変質者の侵入者よ」とあたしが叫ぶ。遅い! 遅い、遅い、遅い!! 遅いぞ、暮根雅人。

「もう、出てきても大丈夫だよ」と暮根雅人が言う。なにをしたのかわからないけど、白目をむいて倒れている変質者に用心しつつ、気を付けてまたぐ。変質者を踏まないようにという気遣いではない。触れたくないのだ。トイレの外に出てから改めて変質者に目をやると、なんだか小刻みに震えている。

「けいれんしているみたいだけど、なにをやったの」いちおう尋ねてみる。こんなやつ、どうなってもいいんだけど。

「もしかしたら、心臓震盪かな。胸に一発、肘打ちを入れただけなんだけどね。君、悪いけど一階に行ってAED持ってきてくれない」えー、なんであたしがこんなやつのために……


 しぶしぶAEDを持って戻る。倒れていた変質者は両手と両足首をそれぞれ重ねてガムテープでぐるぐる巻きにされている。意識が戻ったときに、逃げ出ださせないためだろう。暮根雅人はAEDを受け取るとすぐに電源ボタンを押す。

「成人モードです。ただちに救急に連絡して下さい。衣服をどかして胸をはだけてください」とAEDがしゃべりだす。

 暮根雅人はAEDの指示に耳を傾けつつ、変質者に処置を施していく。なかなか献身的だ。いや、しかし、もしこいつが死んだりしたら、暮根雅人は殺人罪ということになるのだろうか。よくわからない。よくわからないが、あたしにはできることもないので、居間に行く。

 ボーちゃんはいつの間にか自分のベッドで寝ていた。暮根雅人が帰ってきたことで、自分の役目が終わったことを悟っているようだった。ほんとに賢い。

 あたしはソファーに腰を下ろして、なにげなくまわりを見渡す。この部屋には荒れた様子はないが、見慣れぬスポーツバッグが一つ、床に転がっていた。おそらく変質者のものだろう。中身を確認しようかと思うが、触るのは躊躇われる。変質者の歩いた後を殺菌消毒して回りたいくらいなのに、そいつの持ち物に触れるというがどうにも気が重い。

意を決してバッグを引き寄せて、ファスナーを開けて中を覗く。いろいろな種類のたくさんのカメラ。それに、よくわからない機械。そのとき、廊下から、ばすん、という大きな音が聞こえる。

バッグを持って廊下に出ると、暮根雅人が変質者に対して心臓マッサージをしている。手に巻いていたガムテープが切られているのは、前に留めていた腕が邪魔になったためだろう。しかし、AEDの電気ショックって止まった心臓を動かすためのものかと思っていたのだけれど。わざわざ人が心臓マッサージをしないといけないのなら、なんのためのAEDなんだろう。

 あたしは心臓マッサージを続ける暮根雅人の横に口を広げたバッグを置く。暮根雅人がその中身をちらりと見る。

そろそろ肋骨が粉々になっているんじゃないかしらと思い始めたころに、変質者が息を吹き返した。

「お前は誰で、なんでうちを狙ったのかな」と暮根雅人が意識の戻った変質者に問う。

「こいつ、知ってる」とあたしが言うと、暮根雅人が驚いた様子で問い返す。「知り合いなの?」

「合鍵屋」何度も失敗する悪名高い合鍵屋の方だ。もう作らなくていいと言ったら、拗ねて帰って行った毛むくじゃらのデブ。覆面なんかしていても、ばればれだわ。

「なるほど」と暮根雅人が訳知り顔になる。

「なにを一人で納得しているのよ」とあたしは暮根雅人に言う。

「意図的に不良品の合鍵を作って、なんだかんだ言い訳並べて部屋まで付いてきて後日犯行に及ぶ、というパターンなんだろう」

「空き巣の常習犯ってこと?」とあたしが暮根雅人に訊く。

「鞄の中を見ただろう。盗撮だよ、こいつの目的は」と言って暮根雅人は床に転がる不法侵入者を見る。合鍵屋は助けてもらった礼も言わないし、釈明もない。

「助けてもらったんじゃなくて、殺されかけたんだよ!」と変質者が突然吠える。それを見下ろす暮根雅人の視線があたしの心胆を寒からしめる。余計な事言わない方がいいぞ、デブ。こう見えてこの男、容赦ないんだからと思いつつ「う~ん、盗撮。盗撮ねえ。男の一人暮らしを盗撮するの?」

「君が狙われたんだよ」

「え、あたしなの? なんで?」

「なんでって、君が合鍵を作りに行ったからだろう。ここに住んでいるもんだと思われたんだよ」

「なるほど」と今度はあたしが言う。

「しかし、君は自分の綺麗さに自覚がないのかな。おとといだって、金髪に絡まれてたじゃないか」

「あたしが綺麗……」

「そのセリフはなんだか昔の都市伝説を思い出すよ」

「あたしが綺麗なんだとしたら、どうして学校で……」とあたしが言い淀むと「いじめられるのか、かな?」と暮根雅人が引き取って言う。

「いじめられてはいない」とあたしはそれを否定する。

「じゃあ、無視されているのかな。異質なものは排除される。群れの論理だよ」群れ。群れか。そうか、人の集まりだと思うと釈然としないことだらけだったけど、あれは人ではなく群れなのか。そう考えると腑に落ちる点も多い。

「極端に容姿の悪いやつとか、極端に頭の悪いやつとか、あるいは身体的特徴とは別に、極端に貧乏なやつとかね」

「でも、あたしは綺麗なんでしょう。だったらそれらには入らないんじゃないの」

「異質なもの、だからね。逆の人たちも排除される。綺麗な子、頭のいいやつ、すごい金持ちとかね。ただし、こういう人たちが排除される場合は、それだけが理由じゃないことが多いね。だいたいはコミュニケーション力の欠如だね。君はもの言いが少しきつい。それに加えてその容姿だ。避けられるのも当然かな」

「そしたら、あたしも当たりを柔らかくすれば……」

「そんなやつらに迎合までして学校に行く必要なんてない」

えっ? そんなこと言うか、大人が。「でも、中学までは義務なんでしょう。義務教育」

「それは君に対する義務じゃなくて親に対する義務だよ」と暮根雅人があたしの発言を訂正する。

「それはともかくとして、こいつ窓から捨ててもいいかな?」と暮根雅人が言う。「うまくいけば首の骨を折って死ぬよ」

「自分で手を下さなくても、警察に突き出して死刑にしてもらえばいいんじゃないの」とあたしが言う。

「残念だけど、たぶんこいつは死刑にはならない」

「じゃあ、無期懲役?」とあたしが言い直すと暮根雅人は「今だとこいつの犯した罪は不法侵入くらいしかない気がする。捨てるのが一番手っ取り早いよ」と暮根雅人が事も無げに言う。合鍵屋の脇にしゃがんで足首を掴んで引きずって居間の窓を目指すも変質者は床に爪を立てて必死に抵抗する。手首のガムテープを切ってやったのが災いして、暮根雅人は思うように変質者を引っ張れない。変質者はなにかを叫んでいるが言葉になっていない。暮根雅人の中のある種の狂気と本気を感じ取ったのかもしれない。

 あたしは携帯電話を取り出して電話する。警察です、という相手に状況を説明すると、住所を求められる。その旨を暮根雅人に伝えると、気乗りしない様子で住所を言う。それを聞きながら、そのまま警察に伝える。電話を切ると「警察を呼んでしまったら、こいつを窓から捨てられないじゃないか」と暮根雅人は言って、掴んでいた足首をその場に投げ捨てる。そして、しゃがみこんで、横たわる合鍵屋に向かって言う。

「もしも今後、この子になにかあったら、お前を見つけ出して殺す。その原因がお前にあるかどうかは関係ない。とりあえず、お前を、見つけて、殺す。」噛んで含めるように、ひとつひとつ言葉を切って暮根雅人が言う。雑巾小僧の言っていたやつはこれか。

「それって、金髪の雑巾小僧にも言った?」とあたしは訊いてみる。雑巾小僧がアロアの病室に入院している旨を話す。その偶然に驚きはするものの「でも、もうその病室に行くことはないんだよね?」と問い返してくる。たしかに、アロアのいなくなった病室に行く必要はない。

「えーと、あたしになんかあったら、この合鍵屋と雑巾小僧を殺すの?」殺すのか、ほんとに?

「まあ、俺にとってこいつは執行猶予中の身だからね。君になんかあった際に、まずこいつを始末する。警察に捕まった後では手出しするのが難しいからね。もし別に真犯人がいるのなら、それも探し出して殺す」

「いやいや、それはちょっとやりすぎなんじゃないかなって思うんだけど」とあたしが穏便なことを言う。だいたい、この間まで付きまとうあたしを邪険にしていたのは誰でしたっけ。

 暮根雅人は合鍵屋の財布の中から保険証を出して名前やら保険証番号やらをメモに書き写しながら言う。

「さっき、俺が間に合わなかったとしたら、君は自分がどういう目に合っていたかわかっているのかな?」あんまり考えたくないけど、まあ、ちょっとわかる。いやらしいことをされていたんだと思う。

「そう、もしかしたら手籠めにされていたかもしれない」手籠めって……

「そして君は一生引きずるトラウマになっていたかもしれない」あたしは合鍵屋の顔を見る。マスク越しでもその暑苦しい顔がありありとわかる。頭は剛毛、顎は無精ひげ、脂ぎった肌、濃い眉に垂れ目、肉厚なくちびる、小鼻が膨らんでいるのは興奮しているからだろうか。たしかに悪夢に出てきそうな顔である。トラウマか。トラウマね。うん、なるかもしれない。

「でも、こいつは何年かしたら刑務所から出てくる。君は一生トラウマを抱えて苦しんでいるというのに、不公平だと思わないか?」と暮根雅人が言って、こっちを見る。不公平っていうか、こっちはなんの落ち度もなく生きているのに、勝手に狙われて蹂躙されて一生台無しにされて、でもこいつは数年したらのうのうとその辺を歩いているのか。

「ついでに言うと、こういうやつは犯罪を繰り返す」いまちょっと死んでもらってもいいような気がしてきた。

「だろ?」と暮根雅人が嬉しそうに同意を求める。「おれは、いいよ。君が無事に生きていけるためにこいつを殺してその罪で収監されもかまわない」でも、殺人なんて、それこそ死刑なのでは?

「初犯で一人殺したくらいじゃ、死刑にはならないよ」あ、そうなの?

「でも、なんでそこまで…」とあたしが言いかけたところでドアの呼び鈴が鳴る。暮根雅人がドアの方を向くものの動こうとしないので、かわりにあたしが玄関に行く。ドアスコープを覗くとドアの前に二人の警官がいる。それを確認してドアを開ける。ボーちゃんがスリッパを警官の前に揃える。暮根雅人とは違ってどんな客にも行儀がいい。と思ったけど、出されたスリッパを見ると一番粗末なものをあえて選んで出した節を感じる。さすが、暮根雅人の飼い犬。

 先に入ってきた警官の顔にいやでも目が向く。この顔の大きさはいったい何事だろう。たとえるなら、そうね……窓、かしら。大きな窓に黒いペンで小さく顔を描く。小さい目を二つ打ち、その下に描く曲線が鼻、真横に一本の線を引いてそれが口。輪郭は必要ない。そこから二三歩ほど引いて窓全体を眺める。その窓こそがこの警官の顔である。よくもまあ、玄関から普通に入ってこられたものだ。

 もう片方の警官は貧相なねずみのような顔をしていて、髭を生やしている。もみあげから顎を通って逆のもみあげに繋がっていて、いわば髭の環礁である。顎の先だけ髭が少し長い。髭面の警官なんて初めて見た。もっとも、知り合いに警官なんか一人もいないので、あるいは髭を生やしている警官の方が実は多数派だと言われても否定はできない。

「それで、今度は不法侵入か。今度こそ留置所で寝起きしてもらうか」と廊下途中にいる暮根雅人を見つけた窓が言う。顔見知りのようだが、暮根雅人の顔は怪訝に歪み、あからさまに不快そうである。

「僕が不法侵入したわけじゃないですよ。だいたい、ここは僕の部屋です」

「わかってる、わかってるよ。冗談だ」

 廊下に横たわる黒尽くめの合鍵屋をみんなで取り囲む。

「これは?」と窓が指さしたのは合鍵屋ではなく、AEDだった。暮根雅人がそれを使うに至った経緯を話す。

「殺人未遂か」と窓は言って、片側の口角だけを上げる。いやな笑い方だ。警察を呼んだのはあたしだけど、なんだかその判断が間違っていたような気分になってくる。

「スタンガンを持っていたんですよ。だから、まあ、正当防衛かな、と」と暮根雅人が言う。申し訳なさそう、という感じではない。ふてぶてしい、とも違う。泰然としている。あるいは、超然としていると言った方が近いのかな。

「スタンガン? どこ?」と警官が言う。合鍵屋の手首にまとわるスタンガンを指す。

「触った?」と窓が言い、暮根雅人は首を横に振る。窓はしゃがんでスタンガンをチェックし、合鍵屋の服装や持ち物をチェックし、最後についでに覆面を剥がして顔をチェックする。

「知り合い?」という窓の問いに「先日、合鍵を作ってもらった合鍵屋です」とあたしが答える。想像した方向と違うところから返ってきた返答に窓が眉をしかめつつ、次の質問を探す。

「この手首の傷は?」と窓が言う。

「うちの犬が噛みました」と暮根雅人が答える。

「人に噛みつく犬は殺処分だ」と窓が嬉しそうに言う。

「あたしを守るために噛んだんです!」とたまらずあたしが言う。こんなやつを噛んで、なんでボーちゃんが殺処分にされなくていけないのか。何度も口を出すので無視しきれなくなったのか、窓があたしに質問する。

「お嬢ちゃん、いくつ?」なんであたしの年齢が関係あるのだろう。よくわからない。よくわからないけど警察の問いだったので「十四」と実年齢を答えてしまう。

 すると窓がいやらしく、にたりと笑って「未成年だ」と言う。

「知ってるか、暮根雅人。五歳以上の年の差の未成年との性行為は同意の上でも犯罪だ。残念だったな、これは見逃せない」とまったく残念ではなさそうに言う。というか、性行為? なんで、そうなる?

「妹です」と暮根雅人が答える。

「あれ、だってお前、三十だろ? 十四の妹がいるって、ちょっと無理があるんじゃないのか? まあ、嘘ならすぐわかるから、この場しのぎの嘘ならやめた方がいいぞ」と警官が脅して続ける。「たとえば、指先に付いた繊維片を採取すれば、お前がこの子をべたべた撫でまわしていたりしているのがすぐわかる」

「触っていません」と暮根雅人が否定する。

「ほんとかね」と警官が言う。その声音、その言い方、その表情、その所作。すべてが不快だ。「いちおうちゃんと聞いておこうか。暮根雅人、お前の名前は?」名前は、とか言って、フルネームで知っているじゃないの。

「暮根雅人」と暮根雅人が言うと、ねずみ顔の髭面警官がメモを取る。生年月日とか住所とか電話番号とか本籍とか、そういうことも答える。答えた上で免許証の提示を求めて、聞き取り内容を確認している。

「それじゃ、妹さんの名前は?」あたしの名前。偽名しか教えてない。どうする。あたしが間に入って全部答えた方がいいのかしら。と、逡巡している暇もなく、暮根雅人が「暮根香都」と答える。

 えっ! ええええええっ! なんで!

「こと、の漢字は?」との問いに「香る都」と暮根雅人が言う。なんで知っているの。ばれていたのか。いつから? どうやって? あたし、なにかぼろ出したっけ? 鞄の中を見られたのだろうか? いや、見られたとしても、教科書に名前を書いているわけでもない。生徒手帳とかは入れていたっけ? それを見られた? 頭の中で疑問がぐるぐる回るが、答えには辿り着かない。

「そしたら、妹さん。なにか身分を証明できるものを出してもらえるかな」と窓があたしに言う。中学生がそんなもの持っているものか。なんか名前の書いてあるものでも出しておこう。名前、名前、名前……。ない。なにもない。そう伝えると「電話番号を教えてくれたら、こちらで調べられるけど」と窓が言う。この警官に電話番号を知られるのはいやだ。控えめに言っても絶対にいやだ。そうだ、カード。銀行のカードに名前が入っている。それと、定期か。それらを取り出して、窓に示す。

「これだけでは信用できないな」という窓に、中学生が免許証を持っているとでも思っているのか、と激高して叫びそうになる。

「ま、あとで調べればわかることだから、今はいいか」と言い出した。なるほど。暮根雅人が警察と話をするのをいやがっていたのがわかる。この警官がおかしいのか、警察全体がこうなのかはわからない。わかるのは、自分の腹の底が煮えくり返っていることだけだ。たしかに、こんな合鍵屋は窓から投げ捨てて、警察なんか呼ばない方がよかった。

 ねずみ顔がスポーツバッグを指さして「このバッグは誰のだ」と訊く。侵入者のものであることを暮根雅人が伝える。

「カメラ、カメラ、カメラ……、カメラばっかだな。ん、通信機器も入ってるな。WiFiか」とねずみ顔は言いながらバッグを持って室外に消える。

 窓が合鍵屋の足に巻いていたガムテープを手で引き裂く。合鍵屋を立たせて手錠をかけ、腰に紐を巻く。合鍵屋は神妙な態度で警察に従う。黙っているのは黙秘権かなにかのつもりなのだろう。警察で爪を剥がされたり鞭打ちされたりして苦痛に苛まれながらすべての悪事を白状すればいい。

「お嬢ちゃん」と窓が言う。「警察はそんな取り調べはしないよ」

警官は合鍵屋を連行しつつ、調書を取るという理由で暮根雅人も連れて行った。

 連れ去られる間際に暮根雅人が「今日はもう自分の家に帰りなよ」とあたしに言う。

 合鍵屋と警官と暮根雅人がいなくなり、部屋にはあたしとボーちゃんだけが残される。警官が履いていたスリッパを捨ててやろうと玄関に行くと、それらのスリッパは見当たらず、いろいろ探すとトイレのゴミ箱の中に、ボーちゃんのトイレシートと一緒に処分されていた。ボーちゃん、グッジョブ。

 となると、次に気になるのは合鍵屋が倒れていた場所である。床を念入りに拭きたいと思うものの、雑巾がどこにあるのかわからない。試しにボーちゃんに向かって「雑巾を持ってきて」と言い付けてみるものの、小首をかしげるばかりでなにも持って来てくれない。雑巾という単語を知らないのかもしれない。

 雑巾を諦めて、トイレからトイレットペーパーを巻き取ってきて、それを水道で濡らして床を吹く。そういえば、さっき水のペットボトルを振り回して汚したトイレの掃除もしておこう。

 使ったトイレットペーパーはすべてトイレに流す。台所を漁っていたら、消毒用のアルコールを見つけたので、さきほど拭き上げた廊下の床にスプレーするとフローリングの床が微妙に白っぽく変色する。手でこすってみるものの、色は元に戻らない。良かれと思ってやったけど裏目ってしまった。でも、まあ、しかたない。

 そして、その横に転がるAED。これはどうしたらいいんだろう。一階に戻すにしても、一度使ったAEDを元の状態に戻すのはあたしには不可能だ。これは暮根雅人に任せよう。

 わりと大立ち回りだった気がするのだけれど、暴れた場所が廊下だったことで部屋に被害が及んでいないのは不幸中の幸いである。

 帰りしなに玄関で靴を履いて、横にいるボーちゃんに声をかける。

「今日はありがとうね。ボーちゃん。居てくれて心強かったよ」

 そして、わしゃわしゃと揉みしだく。玄関を出て鍵をかけたところで、本日のアロアの捜索がうやむやに終わってしまったことに気が付いた。


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