・7-5 第73話:「火の民の拠点」
・7-5 第73話:「火の民の拠点」
これから向かわなければならないソラーナ王国西部の海岸線にいる、敵の軍勢。
ミシェルの見立てでは一千程度であろうとは言うものの、現在のエリアス達から見れば侮れない敵だった。
こちらは、数こそ一万はいる。
しかしコレドールの会戦に敗北して逃走している最中であり、将兵は疲労の極致に至りつつある。
十分の一しかいない相手とはいえ、仮にも陣地を構築して守っている敵に対して、どれほど戦えるというのか。
より状況を困難なものとしているのは、背後からも火の民が追跡してきている、ということだった。
敵には騎兵がおらず、歩兵しかいないからあまり急速に迫って来ることはない。
それに、殿を務めていたリオン王子の軍勢によって何度か待ち伏せ攻撃を受けて撃退されているから、警戒心を強め、慎重になっているから余計に速度が落ちている。
とはいえ、彼らはあきらめたわけではなかった。
戦場を離脱したソラーナ王国軍にトドメを刺すべく、虎視眈々(こしたんたん)と狙い続けている。
もし、前方の海岸部の火の民の軍勢を倒すのに手間取り、背後から追ってきていた敵に追いつかれるとしたら。
こちらは前後から挟撃を受けるという、コレドールの地で起こったのと同じ状況に陥ってしまう。
疲れているとはいえ、数がいるから一千程度、なんとでもできはするだろう。
問題はそれに要する時間がどの程度かかるかということで、手間取れば待っているのは破滅だ。
そう考え、エリアスは表情を険しくしていたのだが。
「それは、良い兆候かもしれない」「殿下のおっしゃる通りですわ」
リオン王子と獅子令嬢はニヤリ、と不敵な笑みを浮かべていた。
「あの……、どういうお考えなのでしょうか? 」
自分とは真逆の考え方をしているらしい二人の様子を不審に思いつつエリアスがたずねると、「こういうことですわ」とリアーヌが微笑みながら教えてくれる。
「前方には敵の拠点があります。
そこには一千の軍勢が残っておりますが、元々は一万の迂回軍が、三か月もの間駐屯していた場所です。
つまりは、そこには物資がある。
長く軍勢が活動するためには、相応のものが無ければ絶対に立ちゆきませんから」
「なるほど……」
言われてみると、確かに、これは危機的な状況ではあったが、同時に、起死回生のチャンスかもしれなかった。
元々は一万以上の火の民の軍勢が駐屯していた陣地ならば、当然、彼らが日々を生きて行くための物資、たとえば食料などが蓄えられていたはずだ。
その多くは持ち出されてしまっているかもしれないが、———運び出されずに保管されたままになっているものも残っているかもしれない。
食料。
今、まさに、エリアスたちがもっとも欲しいものだ。
交渉の結果こうして村人たちから食事を提供してもらっているが、この、たった一食程度ではどうにもならない。
将兵は見張りをのぞいて多くが眠りこけているが、それは満腹できたからではなく、疲労があまりにも強すぎるためだ。
目覚めればきっと、猛烈な空腹感に襲われるだろう。
ここからハルディン・デル・トレイ城に向かうのにしろ、イスラ・エン・エル・リオ城に向かうのにしろ、それらがあるのは遥か彼方。
故郷は遠くにある。
そこに生きてたどり着くためには、とにかく、十分な食料が必要だった。
このまま食事もなしに歩き続けたのでは途中で体力が尽き、倒れる者が続出するのに違いない。
火の民の陣地には、その、なによりも欲している食べ物が蓄えられている。
絶対に、とは断言できないものの、その可能性は大きかった。
しかも、元々は一万の敵軍が駐屯していた場所なのだから、ソラーナ王国軍の敗残兵たちが当面食いつなげるだけの備蓄があるという期待を持つこともできた。
「ここでこのまま、村人たちの好意に甘えていることはできない。
敵の陣地を襲撃しよう。
そしてそこで物資を奪い、退却の糧としたい」
リオン王子はそう決めていた。
悩むまでも無いことだからだ。
実現性の有無を議論しているような場合ではなかった。
自分たちは今、飢えと戦わねばならない窮地にあり、背後からは敵の追撃もあるから、悠長に悩んでいる時間などないのだ。
「しかし、殿下。
背後からの敵は、どうなさるのです?
敵陣を陥落させる間に追いつかれては、対処に困ってしまうと思うのですが」
「リンセ伯爵のおっしゃる通りです。
ですから、我が手勢を割いてまた待ち伏せし、足止めをさせたいと考えています」
エリアスが示した懸念を肯定すると、リオン王子は作戦を説明する。
「敗走している一万余りのソラーナ王国軍の内、組織的な戦闘能力を残しているのは、私の軍と伯爵の手勢だけです。
ですから、この二つを主力として攻撃を仕掛けます。
ただ、背後の敵にも対処しなければなりませんから、私の軍を半分、一千数百ほどを割いて防がせます。
これまで殿を務める中で何度か敵を待ち伏せして撃退していますから、要領は心得ています。
これは、私が直接指揮します。
リンセ伯爵には、残りの我が兵力をお預けいたします。
それとご自身の兵力を合わせて統率し、前方の陣地を打ち破っていただきたい」
「殿下の軍勢を、全部ではないとは言え、私に?
よろしいのでしょうか」
「よろしいもなにも、他に取れる手立ても考えつきません。
それに、私は貴方がたを信頼するしかない立場にいるのです」
そこで言葉を区切ったリオン王子は、皿に残っていた粥の最後の一口を名残惜しそうにスプーンでかき込むと、一呼吸を入れてから真剣な眼差しでエリアスとリアーヌのことを見つめる。
「コレドールの地で、ソラーナ王国軍から離反者が出たために、こんなことになってしまいました。
裏切りとはこれほど恐ろしいものなのだと、私は身をもって知りました。
そして、———現状で、貴方たちにまで反旗を翻されたら、今度こそ覚悟を決めなければならないでしょう。
望む、望まないに関わらず、私は、貴方に我が運命を委ねる以外にはないのです。
ですから、———信じています」
それは、自身の生殺与奪の権利を与える、と宣言しているのに等しい言葉だった。
その重大さに、エリアスは思わずゴクリと固唾を飲み、リアーヌも息を飲んで表情を険しくする。
「承りました」
それからすぐ、リンセ伯爵は居住まいを正すと、その場で王子に向かって跪く。
「必ず、殿下のご期待にお答えいたしましょう」




