・7-3 第71話:「交渉」
・7-3 第71話:「交渉」
山中にある名も知れぬ村は、荒らされた形跡がなかった。
先に通過していった火の民の迂回軍によって略奪されていたら、と危惧していたが、その心配はなさそうだ。
もう三か月以上も前のことになる。
敵の先鋒軍を撃破した際にリオン王子がした指摘が思い出された。
火の民がシアリーズ大陸を襲うのは、略奪のため。
それが常識であったし、実際、これまでずっとそうだった。
それなのに、今回の大噴火ではそういった暴虐が働かれていない。
違和感のあることで、そこには得体の知れない意図が隠されているようであり、恐ろしい。
とはいえ、目の前の村が襲われていないというのは、エリアスにとって朗報だった。
そこには村人たちのための食料が蓄えられたままであるのに違いなく、交渉の内容によっては穏便に休息と食事を得られるかもしれないからだ。
問題は、村人たちを納得させるために、何を差し出すのか。
通常ならば代金を支払う。
軍隊が行軍する際には普通、多くの金銭も持ち歩くものだ。
大勢の人間の集団が活動するにはなにかと入用であり、後方の策源地から運び込めないものは、対価を支払って現地調達しなければならないからだ。
しかし、敗残の身となったエリアス達には手持ちがなかった。
すべてコレドールの地に置いて来てしまっている。
リンセ伯爵家の手勢は元々二千名を数えたが、本来、これに加えて四百名の労務者と多くの駄馬を有した補給部隊が追従しているはずだった。
ここにはいない。
決戦に際し、非戦闘員である彼らは野営地に待機させていたからだ。
敵軍に包囲されてしまった状況では合流している余裕もなく、別になって撤退せざるを得なかった。
補給部隊が、どうなったのか。
大きな気がかりではあったが、今はとにかく、目前の交渉をうまく成立させなければならない。
「エリアス、よろしいですか? 」
その時、悩ましそうにしていた夫を見かねたのか、獅子令嬢が声をかけて来る。
「ああ、リアーヌ。
もしかして、なにかいい考えでも? 」
「いえ、そんな、いい考えというほどのものではございませんけれど……。
この際ですから、馬鎧を村人たちに与えてしまってはいかがでしょうか? 」
「馬の、鎧を? 」
「そうです。
馬たちも疲労しておりますし、少しでも身軽にしてあげた方がいいかと思いまして。
それに、質の良い馬鎧ならば、村人たちにとっても十分な財産なるはずです」
馬鎧、というのは、その名の通り、馬に身につけさせる鎧のことだった。
騎士の最大の特徴は馬に乗っているということであり、人馬が一体となった突撃が彼らの最強の武器となっていた。
しかし同時に、彼らに歩兵の戦列を粉砕する力を与えている馬こそが、もっとも攻撃されたくない弱点でもある。
馬は大型の動物だ。
だから的が大きく、矢によって攻撃がしやすい。
対策をしなければ簡単に馬を傷つけられ、騎士はその威力を発揮できなくなってしまうだろう。
そういった事態を防ぐために、騎士だけでなく、馬にも重装備をさせる。
可動部としなければならない脚部は難しくとも、体積の大きな胴体や突撃時には敵に露出される頭部・胸部などを守るために専用の防具を身に着けさせるのだ。
そしてこういった馬鎧は、高価なものだった。
というよりも、鎧全般にかなりの価値があるというべきか。
鎧を作成するには、多くの鉄を使う。
そして鉄を得るためには、その元となる鉱石を採掘して来て、大量の燃料を使用して炉で精錬し、材質を強固にするために鍛え、使用目的に合わせて加工しなければならない。
この過程で多くの労力、そして資金が必要だ。
そういった鉄を大量に使用した加工品である鎧の一式は、往々にして剣よりもずっと高価になるものだった。
それが、リンセ伯爵家の生き残りの騎士のものだけでも、百着以上。
村人たちにとっては食料と引き換えるのにも十分な交渉材料になるのに違いない。
「それは……、良い考えかもしれない。
村人たちも納得するだろうし、馬の負担も減らせる」
うなずきつつも、エリアスは騎士たちの方が受け入れてくれるだろうかと心配する。
ソラーナ王国の軍制では、騎士は封建される代わりに従軍する責務を負っている。
そしてそのために必要なものは基本的に彼らの自弁だ。
つまり、馬鎧は彼ら個人の所有物、財産なのだ。
それを手放せ、と言われて、あっさりと渡してくれるのかどうか。
「とにかく、みなに聞いてみましょう。
良い、とうなずいてくれた者からだけいただく形でも、それなりの数が集まるはず。
もちろん、言い出したのは私ですから、……ネージュの馬鎧は、お好きに使っていただいて結構ですわ」
「わかった。
とにかく、やってみよう」
みなで生きて帰りたい。
そして、村を略奪するのは避けたい。
それらを両立させる手段として他には良い案もなく、エリアスはとにかく、配下の騎士たちに聞いてみることにした。
意外なことに、ほとんどの者たちが協力的だった。
それは、リンセ伯爵であるエリアス自身が自らの愛馬、ヴェンダヴァルの馬鎧を差し出し、伯爵夫人であるリアーヌも同様にする、という話に心を動かされただけではない。
愛馬の体調を心配してのことだ。
人間も疲れていたが、馬たちも疲労していた。
戦場で走り回った後の、まともな休息もない敗走だ。
いくら頑健な種類の軍用馬といってもタダでは済まない。
体力が尽き、落伍していった将兵と同様に倒れてしまったものもいる。
騎士たちにとって、馬鎧などよりもこの相棒たちの方が遥かに重要な存在だった。
鎧は所詮、金属の塊、無機物に過ぎない。
それに対して馬は生きているし、なにより、名馬というのは簡単には得られないものだ。
良質な武具は優れた職人に然るべき対価を支払って依頼すれば確実に得ることができるが、馬は生物だから個体差が生じるのを完全には制御できない。
血統によってある程度は方向性をつけることができるし、そうやって品種改良をくり返して現在の軍用馬が誕生したわけだが、それでもどうしても馬によって能力のばらつきがあった。
今乗っているものを失って、また同程度のものを得られるとは限らない。
そして戦場で使えるようにするのは、訓練しなければならない。
多くの時間を共に過ごす内に、愛着が湧いてくるのは自然なことだろう。
金さえ払えば確実に手に入るものより、一期一会の、欠くことのできない家族の方が大事。
そして大切な馬と共に生還するには、錘となる馬鎧を脱ぐことは合理的な判断だった。
「これで、村人たちが納得して下さると良いのですが」
「もし足りなければ、その時は、僕たちの鎧も脱ぐさ」
「まぁ!
……でも、そうするべきなのでしょうね」
馬たちから取り外された馬鎧の山を眺めながらリアーヌとそんな会話を交わしたエリアスは、村長との交渉に向かった。




