・7-1 第69話:「一万の敗残兵」
・7-1 第69話:「一万の敗残兵」
国王・フェルナンド三世に率いられたソラーナ王国軍は、コレドールの会戦において決定的な敗北を受けた。
二万五千が存在した兵力は、インスレクト伯爵・ラモンの背信行為と、火の民が使用した「火の魔法」を原因として敗走し、敵の迂回軍によって主要な退路を寸断されたため、追撃をもろに受けて大損害を被ったのだ。
王国の五本指とうたわれた主要な王侯貴族の内、実に、四人までが失われている。
[王国の人差し指]ことベルトラン・ボルカン伯爵は、戦死。
[王国の薬指]と呼ばれたシモン・マンサナ伯爵は、戦場で行方不明。
[王国の親指]、国王・フェルナンド三世も同様だ。
そして、———[王国の中指]、ラモン・インスレクト伯爵は裏切った。
彼は自ら志願したのにも関わらず、山中を迂回して来る火の民の別動隊を阻止せず、北に向かったのだという。
その意図するところは、未だに不明だ。
明確に敵に寝返り、決戦に及んだ際にそうした動きをせよと事前に申し合わせていたのか、あるいは、単純に臆病風に吹かれたのか。
ただ、前者である可能性は濃厚だった。
エリアスもリアーヌも、元々王国には内通者がおり、もっとも怪しいのはラモン伯爵だとは思っていたが、明確な証拠はつかんでいない。
しかし、彼が裏切りをずっと以前から画策していたのだと仮定すると、いろいろと納得がいくものが多い。
ソラーナ王国軍が火の民の動向を探るべく、盛んに放っていた斥候がほとんど成功せず、多くが未帰還となってしまったこと。
彼が軍議の場において盛んに敵の能力を楽観視し、王国軍をコレドールの地に留まるように誘導していたこと。
そして、決戦に際しては「民草はどうなるのです!? 」と泣きわめいてみせ、味方を戦いに引きずり出したこと。
極めつけは、火の民の迂回軍を阻止するという任務を放棄し、北に向かって真っ先に戦場から離脱していったという点だ。
これはもう、意図的であったと思わざるを得ない。
居並ぶ重臣、さらには国王の前であれだけ「我にお任せを! 」と請け負っていたのに、あんな行動をとるなど。
最初からこちらを罠に陥れようとしていたのでもなければ、説明がつけられない。
いったい、彼はいつから裏切っていたのだろうか。
火の民の[大噴火]が始まり、対陣を始めてからなのか。
それとも、もっと以前から……?
考えても分からない。
ただひとつ確かなのは、もっと早くからラモン伯爵のことを疑っておけば、こんな事態は防げたのかもしれないという、強い後悔だけだった。
もし叶うのならば。
すぐにでもあの裏切り者を捕え、すべてを白状させ、罪を告白させたのちに、然るべき処罰を与えてやりたい。
そんな怒りの気持ちはもちろん存在していたのだが、エリアスたちには当面、無理な話だった。
絶体絶命の戦場、いわゆる[死地]からやっとの思いで離脱し、山中を敗走しているのだから。
これでは、ラモン伯爵を捉え、糾弾するどころか、自分たちが生き残れるのかどうかも怪しい。
敵の追撃は辛うじて振り切ることができたが、王城・ハルディン・デル・トレイ城も、故郷であるイスラ・エン・エル・リオ城も、遥か彼方に存在している。
帰り着くまでの道のりは遠く、険しく、困難であった。
(けれども……。
僕たちは、生き残った)
馬車がやっと通過できるような、山の斜面を削って作った狭く曲がりくねった峠道をヴェンダヴァルと共に進みながら、エリアスはその事実を噛みしめていた。
コレドールの戦場では、多くの戦士が倒れた。
伯爵も男爵も騎士も、一般の兵卒も。
二万五千人もいた軍は瓦解して雲散霧消し、もはや見る影もない。
それでも。
この敗走には、一万を超えるソラーナ王国軍がつき従っていた。
すべて、リオン王子が見せた勇戦のおかげだ。
もし彼が敵中に戻り、逃げ惑う味方に西に退路があることを教え、そして突破口を切り開いてやらなかったら、もっと多くの将兵が戦死していただろう。
それこそ、文字通りに[全滅]もあり得たかもしれない。
命を賭けた甲斐があった。
共に落ちのびて行く人数の多さを見ると、そんな実感が微かに湧いて来る。
敗残兵の群れは、惨めな姿だった。
早朝から昼過ぎまで戦い続け、その後は必死に逃げ惑い、一晩中休む暇もなく歩き続けているのだ。
武具は痛み衣服は汚れ、疲労は限界まで蓄積し、そして猛烈な睡魔と空腹にさいなまれている。
中には歩き続けることができず倒れたりしゃがみこんだりしてしまう者や、脚を踏み外して斜面を滑落してしまう者まで出ている。
落伍者は、これからどんどん増えて行くはずだった。
エリアスが率いているリンセ伯爵家はこの苦難に満ちた道のりの先頭を、懸命に進み続けている。
組織的な戦闘力を保持し続けていたことから、全軍の安全を確保するための露払いをリオン王子から依頼されているからだ。
そして王子は最後尾で、敵の追撃を阻止しながら後退してきている。
彼らは戦死・負傷を合わせて、全体の二割、四百程度の損失を受けていた。
死者は戦場に置き去りにせざるを得なかったが、負傷兵はなるべく救出し、全員は不可能だったが百名以上も連れてきている。
リンセ伯爵がそう命じたからだ。
彼らは応急手当だけで歩ける者は歩き、そうできない者は騎士の馬に便乗させている。
一兵卒に至るまで、できるだけ見捨てない。
主君が示したその方針に対して、「こんな時にそんな余裕はない」と反発する者もいたが、多くは好意的に受け止め、感激し、そのことが歩き続ける気力を生み出してくれているようだ。
俺たちの領主様なら、みんなを故郷に導いて下さるかもしれない———。
そんな風に考えてくれているらしい。
無論、エリアスはそうするつもりだった。
とは言え、口でそう言うのは簡単だが、実行するのは難しい。
戦場から救出した将兵と共に、どうやってこの窮地を乗り越えるのか。
若きリンセ伯爵は自身の未熟さを自覚しつつも、必死にそのことを考えている。
エリアスとリアーヌ、そして一万の敗残兵。
生き残りをかけた長い戦いが始まろうとしていた。




