・6-11 第62話:「コレドールの惨劇:2」
・6-11 第62話:「コレドールの惨劇:2」
すでにコレドールの会戦の勝敗は明らかとなり、戦うことよりも逃げること、生き残ることを考えなければならない段階に入っていた。
それでもエリアスは、徒歩であるがゆえに敵の追撃を振り切ることが難しい歩兵たちのことが気がかりで、撤退を開始するという判断を下すことができずにいる。
彼の未熟さ、経験の浅さが、露呈している。
優しく誠実な君主であるが故に、優柔不断に陥ってしまっているのだ。
「エリアス!
西へ向かいましょう! 」
決断を下せずにいるリンセ伯爵に、獅子令嬢がそう呼びかける。
「西へ? 」
「そう、西へ!
北に退いても火の民の迂回軍に阻まれ、包囲されるだけですから! 」
振り返ってたずねると、そんな答えが返って来る。
「お、お待ちください、伯爵夫人! 」
それには、筆頭騎士長のニコラスが反対した。
「西、と言えば、山中ではございませんか!
そんなところに逃げてしまえば、いよいよ進退を失い、敵に捕捉されてしまいます!
それに、そちらの方向は、火の民の迂回軍が向かって来た場所。
敵の中に逃げ込むようなものではございませんか!? 」
「ミシェル! 」
リアーヌは自身では答えず、代わりにミシェルに説明させる。
「筆頭騎士長様、西へ向かえ、と申し上げましたのは、私でございます。
というのは、そちらには、山中と申しましても西の海岸線まで行くことのできる抜け道があり、海岸まで出てから北上すれば、ハルディン・デル・トレイ城にも、イスラ・エン・エル・リオ城にも向かうことができるのです!
まさに、火の民が通って来た道。
一万の軍勢が通った道ですから、二千のリンセ伯爵軍が通過することは容易であるはずです」
「それは、わかったが……。
しかし、敵がいるのではないのか? 」
「いえ、すでに西に敵はおりませぬ」
「なんだと? 」
「北を、背後をご覧ください」
ミシェルが指し示すのに従って視線を移すと、そこには、新たに形成された戦場が広がっていた。
コレドールの西側の山中の抜け道を通り抜けた迂回軍は、特大の[火の魔法]を使った後、そのまま国王の親衛軍へと襲いかかったらしい。
ソラーナ王国軍の旗が掲げられた丘に向かって、火の民が携えた無数の長槍が向かっていく様を見ることができた。
敵はすでに西の山から駆け下り、峡谷の中央部に進出してきている。
つまりは、———すでに、西側にはいないのだ。
「なるほど!
奴らと入れ違いになるわけか! 」
ニコラス筆頭騎士長は納得してうなずき、険しかった表情を和らげる。
リンセ伯爵家の軍勢を安全に撤退させられるかもしれないと、そう希望を抱いたからだろう。
このまま北に、ハルディン・デル・トレイ城に向かって真っすぐ撤退すれば、火の民の軍勢と衝突して足止めを受けることとなってしまう。
だが、彼らがいなくなった西側へ向かえば。
そこは山中だったが、海岸まで到達する抜け道がある。
一万の迂回軍が通過できたものだから、二千のリンセ伯爵家の軍勢ならば余裕だろう。
そして海まで抜けたら、そこで北へ針路を変え、王城にもリンセ伯爵領にも向かうことができる。
———そうと分かれば。
「全軍、撤退とする!
西の抜け道を使い、この戦場より離脱する! 」
エリアスもその決断を下すことができた。
火の民の脅威は眼前に迫っている。
筆頭騎士長のニコラスは伯爵家に従っている各中隊に撤退の指示とその段取りを伝える伝令を走らせ、二千の手勢は撤退を開始することとなった。
「ニコラス殿! 」
「……はっ!?
なんでございましょうか? 」
そんな壮年の騎士のことを、エリアスは呼び止める。
「このこと、ベルトラン伯爵にも伝えてもらえないだろうか?
可能ならば、王国軍の左翼にも」
自分たちが退却する目途はついたから、他の友軍のことが気がかりになって来たのだ。
「ハッ! 直ちに!
ですが、左翼側との連絡は、難しいかもしれませぬ」
「そうかもしれないが、リオン王子を見捨てることはできない。
なんとかして、西に退路があることをお伝えして欲しい」
「承知いたしました。
でしたら、伯爵夫人! 」
「……は? えっ?
私が、なにか? 」
ここで名を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。
ミシェルに「抜け道の道案内をお願いいたしますわ」と新たな指示を与えていたリアーヌは、やや素っ頓狂な声で驚きながら振り返った。
「もしよろしければ、それがしにもミシェル殿のお力をお貸し願いたい!
この戦場を駆け抜け、我らに貴重な情報をお伝えいただいたその技、リオン王子に抜け道のことをお伝えするのにも役立たせていただきたいのです! 」
リンセ伯爵家の軍勢は、王国軍の右翼。
対して、リオン王子は左翼に展開している。
戦場の端から端。
火の民の軍勢が進出している中央部を横切っていかなければならない。
馬に乗った騎士を向かわせても連絡を取ることは難しいだろう。
それに対して、ミシェルは徒歩で、しかも軽装なのに無事にここまでやって来ている。
諜報を得意とする、特異な技能を持った者たちの一人だ。
ニコラスは、彼女ならばうまくやり遂げてくれるのではないかと期待しているらしい。
ミシェルはと言うと、———どうにも、迷惑そうな様子だ。
表情にはなにも出していないが、即答しないところや、雰囲気からなんとなくそういう気配が感じられる。
(なんでもできる便利屋、みたいに思わないで欲しい……)
きっと、内心でそううんざりしているのだろう。
「ミシェル。
どう考えても危ない任務ですが、お願いできますか? 」
「……かしこまりました。
なんとか、やってみましょう」
しかし、リアーヌからも頼み込まれると、観念したようにうなずき、素早い身のこなしで東側へ向かって行った。
(ミシェルには、申し訳ないけれど。
これで、いい)
その背中を見送ったエリアスは、視線を西側へと向ける。
彼女が王国軍の左翼への連絡に成功すれば、リオン王子たちもなんとか脱出できるかもしれない。
そして、助かる将兵もずいぶん増えるだろう。
自分にできることは、ひとまずはすべてやった。
そう納得したエリアスは、ようやく、自分たちの脱出に集中することができていた。




