・6-10 第61話:「コレドールの惨劇:1」
・6-10 第61話:「コレドールの惨劇:1」
後に[コレドールの惨劇]と呼ばれることになるソラーナ王国軍の大敗は、戦線の中央部分から始まった。
ここに配置されていたのは、火の民の[大噴火]を受けて急遽雇い入れられた傭兵たち。
攻勢の主軸を左右の両翼に設定した王国軍は、中央部には敵を拘束しておけるだけの兵力しか配置しておらず、大小の傭兵団の混成部隊がここに投入されていた。
傭兵と言えば、戦闘の専門家というイメージが強い。
たとえば、リンセ伯爵家で筆頭騎士長を務めているニコラスなどは元傭兵で、その豊富な戦闘経験を評価されて伯爵家に招かれた人物だ。
しかし、実際にはピンキリで、質がまちまちだった。
平時から傭兵団を結成し、傭兵隊長の下で戦闘訓練を受けて来た傭兵は、戦いを生業とするイメージにふさわしい戦闘力を発揮する。
雇用主との契約が誠実に守られている限り、彼らは忠実で勇敢だ。
五千の傭兵たちの中には、そういった職業的な兵士ではない者が多く混ざっていた。
これは、火の民があまりにも大軍であったため、その兵力差を少しでも埋めようと王国がなりふり構わず兵を募ったからだ。
数は集まったが、必ずしも戦闘に長けている者ばかりではない。
中には故郷では食っていけることができず流民となり、仕方なく傭兵になった者や、なにか罪を犯して放浪の身となった元犯罪者が食い扶持を得るために加わっている例が相当数混ざっている。
こういった者たちは、当然だが戦力としての価値は低い。
傭兵になってから日が浅い場合が多いから軍隊行動に不慣れだし、規律も乱れがちで、命令を受けても反応が鈍く、個人の武芸の腕前も未熟。
そしてなにより、[食うため]、つまり[生きるため]に傭兵になったのだから、不利な状況になってまで捨て身になって戦おうとする者は少なかった。
真っ先に逃げ出したのは、彼ら、経験が浅く、戦意にも乏しい傭兵たちだった。
元々定住地を持たない放浪の身、ここで敵前逃亡して罪に問われることになったとしても、また別の地に流れて行けばいいだけのこと。
なにより、命あっての物種と、昔から言うではないか。
第一、真っ先に逃げ出したのは国王・フェルナンド三世自身なのだから———。
そういった兵たちが逃げ出すと、戦いを専門として金を稼いで生きて来た職業的な傭兵たちも、浮き足立つ。
彼らは経験豊富だった。
これまでに何度も従軍し、勝ち戦も、負け戦も経験している。
だから、一部の部隊が後ろ崩れを起こし、敗走に転じた状況を見てすぐに、(ああ、これはもうダメだな)という見切りをつけることができる。
特に傭兵隊長を務めている者たちは、目先の効く者が多かった。
傭兵の中で頭角をあらわして来た人物たちだからみな他よりも能力があり、頭の回転も速い。
一度崩れ出した軍というのは、滅多に再起できないものだった。
なにしろ敗走を始めた兵士たちは少しでも素早く走るために手持ちの武器を捨ててしまうから、途中で気が変わって引き返そうと思ってももはや戦えない者が多い。
逃げる、と決めたら、一目散だ。
こういった状況から軍の統制を回復し逆転するためには、よほど強力なカリスマと統率力を持った指揮官がいて、また、十分な予備兵力が残っていなければならない。
だが、今のソラーナ王国軍には、そのどちらもなかった。
国王・フェルナンド三世はすでに逃亡してしまったか戦死してしまっており、背後には六千の国王の親衛軍が控えているものの、勢いに乗って攻勢を仕掛けてきている火の民を跳ね返せるだけの力はなさそうだ。
傭兵隊長たちにはそのことが分かった。
だから、ここで死ぬまで戦い続けて勝ち得ることのできる信用と、生き延びて再起を図ることを天秤にかけ、———結局は引き上げることを選んでいた。
契約には忠実であれ、というのが彼らのモットーではあったが、そもそも、その契約先のフェルナンド三世の安否が不明なのだ。
ここで義理立てをしてみたところで報酬が得られるという確約もないし、踏みとどまって戦って戦死することと比べたら、さっさと引き上げて生き延び、別の雇用主を探す方が理に適っている。
そもそも、配下にいる傭兵たちにも、すすんで命を捨てたいと思っている者はほとんどいないのだ。
———そうして、ソラーナ王国軍の中央部で始まった壊走は、あっという間に波及していった。
傭兵たちは火の民に完全に包囲される前に戦場から脱出しようと早々に後退を開始し、火の民の軍勢はますます勢いを得て前進を加速する。
こうなると、王国軍の左翼と右翼は、濁流の中に取り残された小島のようなものだった。
このまま戦い続けても、数で勝る敵に削り取られ、沈没してしまう。
「閣下! もはや考慮している時間はございません!
直ちに、撤退するべきです! 」
いよいよ切迫した状況に、筆頭騎士長のニコラスが焦った口調でエリアスの決断を促す。
今までは、フェルナンド三世からの命令を待っている、という状況だった。
ベルトラン伯爵が負傷し、その手勢が痛撃を受け、ソラーナ王国軍右翼での攻撃が失敗したことを報告し、次善の策を受けるまでは現在地点で防衛を行っていたのに過ぎない。
ニコラスの指摘する通り、そういった、待っている余裕は無くなってしまった。
このまま命令を待ち続けたら、崩壊した中央部の戦線を突破した敵と、後方に出現した迂回軍によって完全に退路を寸断され、包囲・殲滅されてしまう。
(けれど、それでは……)
それでも、エリアスにはまだ躊躇があった。
逃げるべき状況だというのは十分に理解している。
しかし、そうなった時、歩兵たちはどうなってしまうのか。
騎乗している者はいくらでも逃げようがある。
馬が走る速度は人間よりもずっと早く、そして、火の民の軍勢の中には騎兵の姿が無かった。
徒歩が相手なら余裕で振り切れる。
だが、歩兵は別だ。
逃げに転じても、追いつかれ、———討ち取られてしまう。
エリアスは、彼らの名前も把握してはいない。
しかしみな一人の人間で、故郷に家族や友人が待っていることを知っている。
そのことを思うと、どうしても迷いが生じてしまって、即決することができなかった。




