・6-9 第60話:「轟雷」
・6-9 第60話:「轟雷」
全面攻勢から、敗走に転じる、その瀬戸際。
そういった状態で辛うじてソラーナ王国軍が持ちこたえていた戦場に、突如として轟雷が鳴り響いていた。
まるで、エリアスたちが受けているショックの大きさを体現したかのような、巨大な音。
空気の壁で全身を殴りつけられたかのような感覚があり、風が無いために静かに垂れ下がっていた旗が一瞬浮かび上がるほどの衝撃波が突き抜けて行く。
それは、先に火の民が使用した[火の魔法]によく似ていた。
凝縮されていた巨大な力が解放され、一気に放出されたような感触がある。
だが、その強烈さは、一段上回っていた。
あまりの音の大きさに馬たちが激しく暴れ出し、兵士たちは身をすくめ、呆然となりながら思わず音の下方向を振り返ってしまうほど。
「また、火の魔法……? 」
いち早く愛馬のネージュを落ち着かせることに成功したリアーヌが背後を、火の民の迂回軍が迫ってきている山の方を振り返ると、そこには、先に火の魔法が使用された時と同じで濃い白い霧が立ち込めていた。
それが、以前よりもさらに色がはっきりとしていて大きく広がって見えているのは、使われた魔法がやはり巨大なものであったからに違いない。
異民族が用いる、恐ろしい魔法の正体。
それはまだリアーヌたちには少しも分からないことだったが、ひとつ、はっきりとしたことがある。
それは、このコレドールの会戦に、ソラーナ王国軍が完全に敗北した、ということであった。
インスレクト伯爵が山中で敵の迂回軍を抑えている間に、正面の敵陣を討ち破り、火の民の主力軍を撃滅する。
そういう作戦であったはずだ。
その作戦は今や、根本から破綻していた。
ラモン伯爵は自ら志願したのにも関わらず山中に向かわず北へ去り、敵の迂回軍はなんの妨害も受けずに到着してしまったのだ。
それだけではない。
ソラーナ王国軍は、正面の敵軍を打ち破ることもできず、逆に反撃を受け、なんとか押しとどめているという有様だ。
ここから巻き返せる手段など、用意されてはいない。
こちらが新たに投入できる軍はフェルナンド三世の親衛軍六千しか残っておらず、いくら精強と言っても、たったそれだけの戦力ではもはや戦況をひっくり返すことは不可能だった。
それなのに。
火の民の迂回軍が襲来したことで、その後詰も頼れなくなった。
前線の状況を改善できる手段はすべて失われ、今や、包囲されて殲滅される危機に直面している。
撤退しなければ、危ない。
それも、今、すぐに!
国王からの命令を待つことも、他の部隊との連携を図ることもせずに。
とにかく、なりふり構わず、ひたすら馬を走らせる。
それくらいしか、生き残る手段がない。
そう思えるくらいに切迫した状況に陥っていた。
(けれど、それでは、兵士たちが! )
そう認識しつつも、しかし、エリアスはそれを実行に移す決断をすることができなかった。
自分やリアーヌだけであれば、いくらでも逃げられる。
ヴェンダヴァルもネージュも当代で有数の名馬だから、追いつかれることはないだろう。
だがそれでは、兵士たちは……。
騎士を戦力の主力と位置づけているソラーナ王国軍であっても、数の上で多数を占めているのは歩兵たちであった。
彼らは、当然徒歩だ。
すでに敵の迂回軍が到着して側面・後背を脅かしている状態では、せいぜい走っていくしかできない兵士たちは逃げられない。
捕捉されてしまう。
(切り抜ける、方法は……! )
エリアスにとって、兵士たちは捨て駒などではなかった。
みな、生きた存在なのだ。
できるだけ多く、可能ならば、全員。
彼らを生かして故郷へ、家族の下へ帰還させるには、どうすればよいのか。
必死に思考を巡らしていたところに、ざわざわと将兵が動揺する声が聞こえて来る。
「お、おい、見てみろっ!
お、王様の旗が、なくなっているぞ!? 」
「な、なんだって!? ……ほ、本当だ!?
本陣の旗が、倒れている!? 」
「ま、まさか、陛下が、お倒れに……!? 」
その言葉は、真実だった。
エリアスたちの後方、ソラーナ王国軍が野営していた陣地の辺り。
その小高い丘の上に、国王・フェルナンド三世の所在を示す王旗が翻っていたはずだ。
それなのに、どこにも見えない。
再びかかげられる様子もない。
その事実は、すべての将兵にある事実を示唆していた。
国王・フェルナンド三世が、逃亡した。
あるいは、———戦死した。
あの頑迷な王の性格からして、我先にと逃げ出すことは考えづらいことだ。
おそらくは先ほどの轟雷、火の民が使用した二度目の[火の魔法]によってなにかが起こってああなっているのに違いないと、エリアスたち、王の人柄を知っている者には類推できる。
だが、国王の顔を知っているかどうかさえ怪しい、平民出身の兵士たちにとっては、そんなことは分からない。
まだ、前線で自分たちが戦っているというのに。
王が、真っ先に逃げ出した。
あるいは、討ち死にした。
こんな状況で、戦ってなどいられるものか。
命あっての物種と、よく言うではないか。
そもそも、末端の自分たちの命運など知ったことではないと、我先に逃げ出したのは国王自身ではないか———。
「冗談じゃねぇやっ! 」
王旗が消えていることに気がついた兵士たちの幾人かが、戦闘を放棄する。
絶対的に不利な状況に陥った戦況の中で、これ以上戦って、無駄に命を散らすことをよしとしなかった者は、錘になる武器を捨て、北に向かって走った。
その動きがまず起こったのは、ソラーナ王国軍の中央。
主に傭兵たちが戦っていた戦線だ。
隊列を組んで戦っていた彼らだったが、その内で後ろ側にいた者たちがまず逃げ出した。
前列で戦っていた兵は、正面に敵兵がいるだけでなく、背後には味方がいるので相手に背中を向けて逃げ出すことはできない。
しかし、後列にいる者は周囲を見渡して状況を把握する余裕があるし、後ろに向かって走り出すこともできる。
だから、兵士たちが形成している戦列が崩壊するのは前列からではなく、後列の側からであることが多い。
こういった現象を[後ろ崩れ]などと呼んだりするが、———今まさに、それが起こってしまった。
一人、二人、三人と、ボロボロと脱走兵が増えて行くと、崩壊は後列だけでなく前列にも波及する。
背後を守ってくれていた戦友が逃げ出したことで、自分自身も自由に後ろに走ることができるようになったからだ。
こうして、ソラーナ王国軍の中央部を構成していた傭兵軍は瓦解し、全面的な敗走が始まる。
その動きは当然、左翼と右翼にも波及していくこととなった。
———かくして。
コレドールの会戦は、決着がついた。
火の民の迂回軍の出現と、国王・フェルナンド三世の安否不明により兵士たちは戦意を失い、破滅的な壊走が始まったのだ。




