・6-8 第59話:「伯爵がいない! 」
・6-8 第59話:「伯爵がいない! 」
眼前の敵を無視するわけにもいかず、ベルトラン伯爵の手勢を見捨てるわけにもいかず。
国王・フェルナンド三世に事態を知らせ、新たな命令を待たなければいけないこともあり、リンセ伯爵家の二千の軍勢は、陣地を出て反撃に転じて来た火の民をその場で迎えうった。
敵に、勢いがある。
ソラーナ王国軍からの度重なる挑発にも一切応じず、決して柵の内側から出てこようとしなかったのが、嘘のように。
彼らは我先にと前進すると、槍先をそろえ幾重にも連ね、喚声をあげながら突っ込んで来た。
弓兵、弩兵が射撃を浴びせるが、速度が衰えない。
あっという間に距離が詰まっていく。
「盾の先端を地面に打ち込めっ!!! 」
迫る圧迫感に耐えつつ、前線で敵と接触した各中隊の指揮官は、旗下の歩兵たちにそう指示を飛ばしていた。
ソラーナ王国軍の盾持ち槍兵が装備している盾は、アーモンドの種子のような形状をしている。
凧の形状に見えることからカイトシールドなどと呼ばれているもので、その形になったのは、元々は騎士が馬上で自身の上半身と脚部を同時に保護できるように縦長に作られたのがきっかけだったとされている。
この、上半身から脚の先まで守ることができる防御範囲の広さから、歩兵にも普及して行ったものだ。
指揮官に命じられた歩兵たちは、その、尖っている方の先端を一斉に勢いよく地面に打ち込んだ。
恒常的にこういったやり方をしているわけではないが、しっかりと足元に食い込ませて支えにすることにより、強烈な敵の突撃を防ごう、という狙いがある。
耳慣れない異国の怒声に、怒涛となって迫り来る足音。
盾で即席の城壁を作り出した兵士たちはそれらから否応もなく感じる圧力に耐え、猛烈な敵の勢いを辛うじて受け止めることに成功した。
途端、激しい白兵戦が展開される。
(他の戦線は、どうなっているのだろう……)
戦闘の熱気を前に気を高ぶらせているのか、首を激しく振ったヴェンダヴァルを軽く手でなでて落ち着かせながら、エリアスは左側、ソラーナ王国軍の中央と、左翼の戦線がある方向を見つめていた。
撤退するのにしろ、このまま戦うのにしろ、他の味方連携ができなければ、全軍がなし崩しになって敗走に転じ、火の民からの追撃を受けて大損害を生じさせかねない。
だからその様子がどうしても気になってしまう。
すでに、フェルナンド三世へ使者を送るのと同時に他の戦線で戦っている友軍にも右翼の状況を知らせる伝令を送っているから、その返事を待つだけという段階になっている。
しかし、あまりにも待ち遠しい。
「見る限り、戦況は五分、といったところでございます」
エリアスの不安そうな様子を察したのか、筆頭騎士長のニコラスがそう教えてくれた。
「我が手勢は、ジルベール式兜のおかげをもちまして十分に持ちこたえることができている様子。
このまま采配を誤らねば、火の民を撃退できましょう。
しかしながら、ボルカン伯爵家の手勢が、いささか心配でございます」
「確かに……。
うまく、戦えていないようだ」
ボルカン伯爵家の軍勢はソラーナ王国軍の前軍としてこのコレドールの会戦の初期から攻撃に投入されていた部隊だ。
そして、指揮官であるベルトランは負傷しているだけでなく、どうやら、敵陣に攻め入った際に甚大な損害を受けているらしい。
まだ敵陣の深くにまで進入していなかった中隊は統制が取れており有効な反撃ができているが、それ以外のものは、すでに壊滅したか、敗走したか。
踏みとどまって戦っている中隊も指揮官の負傷で浮き足立っており、突破されるのは時間の問題であるように思われた。
「支援できないだろうか? 」
「我が手勢の第二陣を投入いたしますれば、当面は。
しかしながら、そういたしますと撤退に移った際に困ることになります」
エリアスは悔しそうに黙り込む。
ベルトラン伯爵とその手勢をなんとか助けたかったが、そのために兵力を割くと、退却する際に前方で戦っている配下の中隊を援護する兵力がいなくなってしまう。
友軍を助けたいが、自分たちのことを考えるとうかつに動くことはできない。
そのことがなんとももどかしかった。
「失礼いたしますっ!
急ぎ、お知らせせねばならないことがございます! 」
悩んでいる所に、そう叫びながら駆け込んで来る者がいる。
リアーヌに仕える女中、ミシェルだった。
「あら、ミシェル。
いったい何事なのかしら? 」
「それが、伯爵の軍勢がいらっしゃらないのです! 」
眼前まで自らの脚で駆けて来て跪いた彼女に獅子令嬢がたずねると、よほど慌てているのか、ミシェルは主語を省いた分かりにくい報告を、聞き取りにくい早口で述べる。
「落ち着きなさいな、ミシェル。
あなたらしくもない。
どちらの伯爵がいらっしゃらないのか、はっきりとおっしゃりなさい」
「インスレクト伯爵の手勢が、いないのでございます! 」
珍しい慌てぶりに眉をひそめつつリアーヌが再確認すると、やや息を整えたミシェルは、今度は明瞭な口調で言った。
「ラモン・インスレクト伯爵の軍勢、三千が、この戦場のどこにもおられぬのです!
我が手の者によりますと、伯爵は今朝がた、山中を迂回して来る敵を迎えうつと見せかけ、北へ、ハルディン・デル・トレイ城へと向かったとのこと!
同様の目撃証言が多くあるだけでなく、私自身、確かめて参りましたが、伯爵は山中にはおりませぬ! 」
その報告の意味を理解して、エリアスも、リアーヌも、ニコラスも、愕然としていた。
今回の戦闘は、火の民の迂回軍一万が迫る中で実施されたものだ。
そしてその軍勢は、ラモン伯爵が自ら志願し、山中で抑え込むことにいなっている。
それなのに、———伯爵が、いない。
今朝がた、任務のために敵に向かって行ったと見せかけ、実際には北に向かって行ったのだという。
つまりは、敵の迂回軍は完全にノーマーク。
何の妨害も受けずに進撃してきている、ということだった。
「ミシェル殿!
敵は、どこまで近づいてきているのか!? 」
このままではソラーナ王国軍はここ、コレドールの地で包囲・殲滅される……。
そのことを察したニコラスが血相を変えて問いかけると、ミシェルは西の山を指さしながら答えた。
「すでに、山中を突破し、目前に! 」




