・6-7 第58話:「混乱:2」
・6-7 第58話:「混乱:2」
火の民の魔法を見た。
そして、我々は決して、それに打ち勝つことはできない……。
ベルトラン伯爵のその言葉は、負傷しているために発した、うわごとのようにも感じられた。
見るからに酷い怪我を負っている。
出血の量が多く、白銀の鎧は赤い絵の具で殴り書きがされたように彩られ、身に着けている衣服は黒く濡れている。
多くの血を失ったためか、顔面は蒼白だ。
苦痛に耐えているために滲み出て来た脂汗が、その凄惨な様相を一層、際立たせていた。
特異なのは、その傷口。
板金の鎧の表面に、円形の、親指よりも少し大きいくらいの風穴が開いている。
シアリーズ大陸の誰もが、そのような形態の負傷を見たことがなかった。
実戦に出て日が浅いエリアスやリアーヌはまだしも、豊富な従軍経験を持つニコラスでさえ、思い当たることがないのか不思議そうな顔をしている。
剣でもない、斧でもない、戦棍でもない。
矢でも、槍でもない。
いったい、なにがあの怪我を生み出したのか。
騎士が身に着けている頑強な鎧を貫通するなど、よほどの威力が無ければあり得ないことだ。
———火の魔法。
ベルトラン伯爵が目の当たりにしたそれが、彼をこの有様にしてしまったのだろう。
火の民が使うとされる、異質な術。
それがなんであるのか、具体的に知っているシアリーズ大陸の人々はいなかった。
その名はよく知られていても、あくまでそれは、伝説の中のこと。
赤い髪と金色の瞳、褐色の肌を持つ異民族の脅威を伝えるために語り継がれて来たことに過ぎなかった。
たとえるなら、そう。
子供が不用意に危険に近づいたりしないよう、「森の中には怖いモンスターがいて、あなたをバリバリ、と頭から食べてしまいますからね」と、警告するような意味合いで使われていた。
一千年前からある言い伝えには、こうある。
火の民は火の魔法を使い、筒の先端から炎を噴出させる。
そしてそれを目の当たりにした者は、この世のものとは思えないような形の傷を負っている。
どうやらそれは、実在したらしい。
その魔法がベルトラン伯爵に重傷を負わせ、彼の精強な騎士たちを壊滅し、このままでは絶対に敗北すると確信させた。
「伯爵様!
とにかく、傷の手当てをなさいませんと! 」
「ええい、リアーヌ殿、ご心配めされるな!
今は、リンセ伯爵ともども、生きて帰ることをお考えなさいませ!
手当ては、不要!
それがしのことにはかまわず、早く、早く……っ! 」
止血だけでもしようと白馬のネージュから飛び降りて駆け寄る獅子令嬢を振り払ったべルトランは、自身をここまで連れて来てくれた騎士に、「そなたの剣を、わしにくれっ! 」と頼み込み、返事を聞かないまま半ば強引に奪い取っていた。
「それがしには、わかっており申す……!
この怪我では、長くは持ちますまい、と」
驚いて呆気に取られているエリアス達に向かって、伯爵は脂汗を浮かべたまま、しかし、さっぱりとした爽やかな笑みを浮かべてみせていた。
「何卒、ここはそれがしにお任せになり、貴殿らは退却なされるように!
そして、火の民が使う火の魔法を解き明かし、策を練り、———国を、民を、守ってくだされ!
どうか、国王陛下と、リオン殿下を、よろしくお頼み申す! 」
そう言うと、ベルトラン伯爵は踵を返し、背中を向けていた。
彼の視線の先には、敵陣がある。
先ほどまで聞こえていた戦いの音は、ほとんど聞こえて来なくなっていた。
おそらくは、柵の向こうに攻め込んでいたソラーナ王国軍の大半は脱出するか討ち取られてしまい、戦闘は下火になっているのだろう。
「我が騎士たちよ!
我も、汝らとと共に! 」
そのことを理解したベルトランは絞り出すようにそう言うと、残された力を振り絞り、周囲に残っていた自らの手勢に向かって叫んだ。
「ボルカン伯爵家の勇士たちよっ!!!
これより、我らは全軍の殿となり、この地で敵を食い止めることとするっ!
皆の者、恐れずに戦うのだ!
そして故郷を、民を、守れぃっ!!! 」
死力を尽くして。
文字通りその生命力の最後の一滴まで絞り出して戦うと宣言した伯爵の眼前に、自陣に乗り込んで来たソラーナ王国軍を駆逐し、反転攻勢に転じた火の民の軍勢が姿をあらわす。
「盾をかまえよっ!
敵を、一歩も通してはならぬぞっ!!! 」
隊列を組み、長槍を並べて迫り来る敵の姿を睨みつけ、この地を己の死に場所と認めたベルトランは、豪壮な雄叫びをあげていた。
────────────────────────────────────────
ここは任せて、速やかに撤退せよ。
ベルトラン伯爵からはそう言われたものの、エリアスたちは容易には動くことができなかった。
戦場において指揮官には独自の判断を行い旗下の兵を進退させる裁量が認められているが、とはいえ、多くの部隊と共に連携して戦っている以上は完全に自由行動ができるわけではない。
勝手なことをして他の部隊との協調を乱せばそれが敗北につながるという恐れもあるし、あまりにも自由なことを行っては、命令違反として後々で責めを受けることとなる。
加えて。
このままベルトラン伯爵たちを見捨てて行くことも忍びなかったし、なにより、すでに敵との交戦状態に陥っている。
前列に並べられた中隊は射程に入った火の民に向かって矢を射かけ始めているし、剣や槍を使った白兵戦に突入するのも、もう間もなくだろう。
一度交戦状態に突入してしまった兵を後退させるというのは、至難の業だった。
なにしろ敵が近くにいるから、背中を向けて逃げるわけにもいかない。
戦いながら、じり、じり、とすこしずつ下がるしかないのだが、それだけだと敵が追いついて来るからずっと交戦が続くことになってしまい、消耗してしまう。
タイミングが重要だった。
どこかですぱっと敵と距離を取り、素早く後退に転じるためのきっかけ作りが、難しい。
「エリアス様、いかがなさいますか? 」
「この戦況は異様だ。
だから、撤退を優先する。
ただし、まずは国王陛下や他の部隊にこの事態を知らせ、共有し、指示を待つ。
それまではベルトラン伯爵の部隊をできる限り支援しよう」
「御意」
筆頭騎士長のニコラスの問いかけにそう答えたエリアスの表情は、険しい。
苦しく、悩ましい戦いになりそうだった。




