・6-1 第52話:「コレドールの戦い:1」
・6-1 第52話:「コレドールの戦い:1」
太陽暦(マニュス暦)千百九十八年、一月三十日———。
火の民との決戦に及ぶ、と決心したソラーナ王国軍は、急速に戦闘準備を整えつつあった。
側面から、敵の迂回部隊が迫っている。
このままでは包囲・殲滅される恐れさえある危険極まりない状況にあって、彼らが戦闘を決断したのは、ラモン伯爵の人目をはばからない涙のためであった。
ここは退却し、ハルディン・デル・トレイ城の堅牢な城壁を頼りに防御を固め、盟友であるゴロワ王国からの援軍を待って、反撃に転じる。
軍事的な観点からはそれがもっとも合理的な選択であったが、しかし、それではいったい、弱き民草はどうなるというのか。
シアリーズ大陸で人々は千年以上もの間群雄割拠し、互いに争い合って来た。
その目的は、多くの場合、領土であった。
なぜ、そこまでして土地を欲するのか。
それは、生きるためには欠かせないものであるのと同時に、人々にとって命を賭けて求める価値のあるものであったからだ。
豊穣の地とされる、誰もが夢に見るような大地。
しかしそれは、元々の気象条件や土壌などにも影響はされるが、初めからそうであったわけではない。
何十年、いや、何百年もかけて、人々がそこに手を加え、整備し、育てて来たからこそ、素晴らしい実りをもたらしてくれるようになったのだ。
たとえ血を流すこととなったとしても。
そこを奪うことができれば、数百年分の苦労をせずに富を手に入れることができる。
そこを奪われてしまえば、先祖代々、地に張りつくようにして行って来た地道な努力の成果を、失ってしまう。
だからこそ、人々は土地を巡って絶えず争い合って来たのだ。
貴族は、農民の苦労はあまり知らない。
彼らの使命はより良い統治をすることで、耕作することではなく、鍬や鋤を振るう重さも、かがんで草をむしり続ける辛さもわからない。
だが、善良な領主であるソラーナ王国の諸侯は、そのことを聞いてはいた。
そして、無視することはできなかった。
艱難辛苦の果てにようやく得た作物を領民たちが泣く泣く売り払い、税として国庫に納めているのは、いったい、何のためであるのか。
このような外敵からの侵略を受けた際に、領主や騎士たちに守ってもらうためだったのではないのか。
自分たち諸侯が良いものを食べ、上質な衣服を身につけ、名馬を集めて武具を鍛えて来たのは、そのためではなかったのか。
今、戦わずにして、いつ戦うというのか!
そんな義憤に駆られた諸侯は、一戦もしないうちに後退する、という選択をできなかった。
勝算がないわけではない———。
火の民の迂回部隊が到着するより前に、眼前の敵を打ち破ってしまえばよいだけなのだ。
勝利できる見込みは、十分にあるはずだった。
ソラーナ王国軍はこれまでの戦いでほとんど損耗を受けておらず、二万の正規軍の精鋭と五千の傭兵軍が無傷で残っている。
しかも、激烈な突撃力によって簡単に歩兵の戦列を粉砕する、騎士の集団を持っている。
対して、火の民と来たら。
彼らが装備しているのはこれまでの略奪で集めた武具ばかりで、剣も鎧も錆び、弓の数も少ない。
メインの武器は六アルティトゥードー(おおよそ六メートル弱)という異様に長い槍だったが、材料が足りていないのか真っ直ぐではなく曲がりくねった粗悪な材木まで用いており、しかも穂先がなく、せいぜい焼き固めただけのものが大半。
服装もぼろ布をまとっているようでみすぼらしく、常に飢えているためか身体もやせこけ、貧相だ。
小川を天然の堀と見立て、柵を築いて固く防御しているが、このような寄せ集めの軍隊にその数ほどの実力があるはずがないと思われた。
それに、ソラーナ王国軍は先鋒同士の戦いで、ほとんど一方的な勝利を得ている。
最初は、苦戦するだろう。
一定の犠牲を覚悟しなければならない。
川を越え、柵を崩すまでは。
だが、ひとたび火の民の防衛線を突き崩してしまえば、蹂躙できる。
たくましい軍馬にまたがった勇壮な騎士の集団が馬蹄の音を踏み鳴らしながら敵陣を縦横に暴れまわり、その息の根を止めてしまうに違いない。
火の民には、騎士に対抗する手段などないはずだった。
彼らの故郷は火山活動が活発なために生産力に乏しく、馬のような大型の家畜はほとんど飼育できない。
だから、その軍隊はほぼすべてが歩兵によって構成されている。
そしてこうした機動力の無い軍隊は、戦場においては騎士の集団によって一方的に蹴散らされる運命にある。
それが、シアリーズ大陸での[常識]であった。
とはいえ、兵士たちにとって、突然の出撃命令は寝耳に水のことであった。
なぜなら迂回部隊が接近しているという状況を知っているのは王を始めとする諸侯たちだけであり、末端の兵卒はそんな危機が迫っていることなどまったく知らないからだ。
敵は大軍だから、ここでこうしてにらみ合いをしているだけで、物資不足になって勝手に引き上げるだろう。
その程度に考え、もう戦争は終わったようなつもりになっていたのだ。
それなのに、突然、決戦を挑む、などと。
兵士たちは何事か、と戸惑いながら、慌てて出撃準備を整えなければならなかった。
もし、全軍に諸侯が抱いているのと同様の危機感、義務感が共有されていたのなら。
この戦いの結末も、大きく変わっていたのかもしれない———。
将兵は民衆を守る、つまり自身の家族を守るための戦闘なのだと決死の覚悟を固め、死中に活を求めるように全力で、なりふり構わずに戦っただろう。
しかし、今回の場合、そうではない。
多くの者がどうして急に戦うことになったのか分からぬままだった。
かといって、戦う意義と目的を周知している時間は諸侯にはなかった。
敵の迂回部隊は着々と迫りつつあったし、二万五千にも達する将兵に事情を説明していられるだけの余裕はどこにもありはしない。
こうして。
コレドールの地での決戦は、ソラーナ王国軍の軍中に統一感を欠いたまま始まった。




