・5-15 第50話:「伯爵の涙」
・5-15 第50話:「伯爵の涙」
軍議の流れは、リオン王子の側に傾いている様子だった。
なにしろ、単純に軍事的な見地で戦況を分析した場合、このままでは確実に、しかも致命的な敗北を受けてしまうのだ。
戦わないことで一時的に民衆からの信頼を失うこととなったとしても、決定的な敗戦で大損害を受け、再起不能にされるよりは遥かにマシというものだろう。
ソラーナ王国の未来という観点でも、撤退するべきだった。
この国にはゴロワ王国という心強い盟友がいるが、彼らが[誠実な友]であるのは、単純に長年培ってきた信頼関係、そしていくつもの姻戚関係のおかげ、というわけではなかった。
それもないわけではなかったが、こちらが相応の力量を持った国家で、同盟相手として頼りになるのと同時に、[敵に回したくない]という心理が相手に働くだけの力量を有しているからだ。
シアリーズ大陸は、群雄割拠。
様々な国家が勃興しては互いに食い合い、繁栄したり、滅んだりして来た。
そういった世界で生き延びるためには、頼りになる盟友が必要だ。
そして頼りになるということはイコールで、自身にとって、敵対すれば深刻な脅威となりかねない、ということを意味している。
そういう相手はなおさら、味方でいて欲しい。
戦っても得ることはなにもなく、失うばかりとなってしまうからだ。
もし、両国の間に明確な力関係の優劣が存在したら。
対等な[友人]ではいられないだろう。
弱肉強食と言うのは、野生の世界においてだけではなく、国家間でも当てはまることがある法則だった。
自身よりも遥かに弱い相手に、いったい、なにを配慮するべきだというのだろう……。
力で脅して欲しいものを差し出させるか、奪ってしまえば良いだけだ、というのに。
躊躇う必要を感じる者は少なかったし、聖王マニュスによる統一が失われて以来、そういう倫理の中で歴史がくり返されて来た。
ゴロワ王国が誠実な同盟者であるのは、ソラーナ王国が相応に強国であるからに他ならない。
生き延びるためには、強くあらなければならなかった。
それなのに。
もし、ここで無理に決戦に及び、大損害を受けてしまったとしたら。
ゴロワ王国の救援を受けられれば、それでも、滅亡は回避できるかもしれない。
しかしその場合、相手はこちらが弱っているのにつけ入り、莫大な謝礼を要求して来るか、———最悪、[友人]が[捕食者]と化すこともあり得る。
そういった事態を確実に避けるためにも、リオン王子の主張する通りにするべきであった。
(ここ、かな……)
軍議の流れが撤退に向き、国王の心理もその方向に大きく傾いていることを感じ取ったエリアスは、今こそ、自身の意見を述べるべきタイミングだと感じていた。
彼も、リオン王子と同様、撤退に賛成だ。
その方が確実だったし、なにより、味方に犠牲が少なくて済む。
あの兵士たちを失わず、その家族を悲しませなくてよい。
ここで、リオン王子、シモン伯爵に続き、エリアスも撤退を主張すれば、多数決という点から言っても撤退派が優勢となる。
そうなれば、ベルトランもこれ以上の異議は差し挟まないだろう。
彼は国王への民からの信望を損なわないために交戦を主張したものの、当然、戦況がいかに不利であるのかは承知しているからだ。
それは、表情を見ていれば分かる。
険しい顔で緊張して汗を禿頭に浮かべ、悔しそうに唇をかみしめている。
彼の性格から言って戦いたいというのはあるのに違いなかったが、理性では手を引かなければ危ないと、十分に分かっていて、それを内心ではすでに認めているのに違いない。
私も、撤退するのが上策であると考えます。
———エリアスがそう言葉にしようと、口を開きかけた時のことだった。
突然、軍議の席に、嗚咽する声が響く。
大の大人が外聞もはばからずに子供のように泣きわめく、みっともない慟哭。
「みな様のおっしゃることは、まこと、ごもっともなれど……っ!
ごもっともなれどっ!!!
それは……っ!!!
それでは、あまりにも民草が不憫でございまするっ!!! 」
発言しようとしていた機先を制されてしまったエリアスも、軍議に参加していたその他の諸侯たちも、呆気に取られて、一人の男を見つめていた。
ラモン・インスレクト伯爵。
浅黒く日焼けした肌を持つアラフォーの大人が、大粒の涙をこぼし、鼻水を垂れ流しながら、泣いている。
「ここで、一戦もせずに退けば!
確かに、勝てましょう!
確かに、敗北はないでしょう!
しかしながら!
し、しかしながたらっ!
我が軍の後方におります、商人、職人、芸人どもは、いかがなりまするっ!
火の民の魔の手にさらされる、村人たちはどうなりますっ!?
我らはいかようにでも動き、堅牢なる王城にて、嵐のような侵略をやり過ごすことができまする!
さりながら、民草はそうではございませぬ!
後方におり、これまで我々を支えてくれた者たちは、着の身着のまま、逃げ惑うこととなりましょう!
この地に運び込んだ財産を持ち出す暇などございますまい!
そして、村人たち!
あの者らはみな、土地に張りつくように生きておりまする!
先祖代々かけて築き上げた土地が、彼らの命なのです!
火の民が押しよせて参りましても、どこにも行くことなどできますまい!
衰えた老人、幼い子供もいるのですぞっ!!!
ここで我らが引き上げましたら、彼ら、弱き民草はどうなるというのですか!?
それではっ! あまりにっ!
あまりにもっ、不憫でございまするぅっ!!! 」
それはそれは、見事な泣きっぷり。
誰から見ても、心の底から嘆いているとしか思えない。
———実際に、ラモンは本心から悲しんでいるのかもしれなかった。
彼が領民に優しい領主であることはよく知られていることなのだ。
山地が多く、貧しいインスレクト伯爵領では、誰もが勤勉に働く。
そうしなければ十分な収穫を得られず、飢え死にしてしまうからだ。
この事情は、伯爵であっても変わらない。
ラモンの浅黒く日焼けした肌は、彼自身が領民と一緒になって労働していることの証であり、そのことは王国では有名だ。
そんな彼であればこそ。
王国軍が撤退した後で民衆が被る害に心を痛めてもおかしくはない。
その真に迫った訴えは、否応なしに諸侯の心に響いた。




