・5-7 第42話:「それはそれ」
・5-7 第42話:「それはそれ」
ソラーナ王国軍の本営に設けられた天幕を後にしたエリアスとリアーヌは、二人でリンセ伯爵家の陣地へと戻って行った。
帰り着くと、兵士たちの間にいつもよりも活気がある。
酒食が振る舞われて宴会になったわけでもないというのに、どういうことなのか。
「きっと、故郷の村からの返事を受け取って、喜んでいるのでしょう」
なんだか嬉しそうな兵士たちの顔をネージュの上から見渡した獅子令嬢が、なんとも優しい顔で呟いた。
彼らが喜んでいるのは、以前に送った手紙の返事が届いたおかげだった。
手紙にすることができる羊皮紙の数が限られているため、兵士たちから送れたのはせいぜい一言、名前を添えるのがやっと、という程度ではあったが、それでも自分たちの無事を家族に知らせることができたのだ。
遠い戦地にあっても、故郷との繋がりがある。
それは、時に孤独に陥りがちな彼らにとって、大きな心の支えになることだった。
「ごめん、リアーヌ」
自身も嬉しそうにしている妻に、夫は軽く頭を下げて謝罪をする。
「なるべく同じ村の出身者でまとめて送ったけれど、全部を届けるのは大変だったでしょう?
思いついたからやってみたのだけれど、苦労をかけてしまったと思う」
「そんな、とんでもない」
そんなエリアスに、リアーヌはぶんぶんと首を左右に振って見せる。
「一言だけしか伝えられないなんて、あなたは些細なことだとお考えなのでしょう?
ですが、私は、これはシアリーズ大陸で始まって以来の、素晴らしい行いであると思いますわ! 」
「そんな、大げさだよ、リア―ヌ」
「いいえ、いいえ。
こんなに素敵なことは、滅多に思いつけることではありません。
事実として、兵士たちはこんなにも喜んでいるのです。
それは、手紙を送っていただいた村々の方でも、同じです。
みな、エリアス、あなたの配慮を、「なんて暖かいんだ」と、感激しておりましたのよ? 」
手紙のやり取りをさせる、という行為は、思った以上に大きな反響があったらしい。
最初はエリアスを盛り立てるために大げさに誇張しているのかとも思ったが、リアーヌの熱心な語り口調は、それが真実であることを証明していた。
戦地に送られた兵士たちから連絡があった。
そのことに村人たち、家族たちはみな喜び、そして、取るに足らない民草でしかないと思っていた自身たちのことをこうも気にかけてくれる伯爵がいることに心から感謝した。
「なら、良かった」
自身の行為が間違っていなかったと、そう信じることができたリンセ伯爵は笑顔になってうなずきながら、この試みはできるだけ続けようと決めていた。
ネックとなるのは、やはり、羊皮紙の調達だろう。
兵士たちの中には文字が書けない者が多くいたが、日常的な会話は問題がないため、文字の分かる者に頼んでその言葉を聞き取って書き記して行けば、内容自体は準備できる。
しかし、それを文字として記録するための土台となる紙は、非常に貴重で高価な品だった。
羊皮紙は、その名の通り羊の皮から作られる。
皮、といっても、全身のすべてを使えるわけではなかった。
表面が平らで滑らかな紙にするためには、保存処理を施した材料を均一な厚みになるように削り出す必要がある。
つまり、この削って平らにする分を考慮した厚みのある、上質な部分しか羊皮紙づくりには適していない。
当然だが、穴が空いてしまっていては、論外だ。
羊以外の動物の皮が用いられることも多かったが、事情は、どの場合も同じ。
一頭の犠牲から採取できる紙は限られた枚数でしかなく、加工に要する手間も加味すると高価にならざるを得ず、数は用意できなかった。
一回だけならまだしも、頻繁に手紙を出す、となると、それは不可能だと言わざるを得ない。
遥か東の地には、植物原料を用いて紙を作る技術があるのだというが、シアリーズ大陸にはまだその製法は入って来ておらず、また、適した植物の調達も困難であった。
このためにもっぱら動物由来の紙が重宝されている。
「いっそのこと、手紙を使いまわしてしまってはいかがです? 」
エリアスのために準備された天幕までたどり着き、馬から降りてそれぞれの愛馬を柵に繋いでいると、夫から「羊皮紙をどうしようか? 」と聞かれたリアーヌがそう言った。
「使い回す? 」
「ええ。
もちろん、同じ内容をそのまま送る、というわけではございませんわ。
紙に書いたインクを消して、もう一度まっさらにして、使うんですの」
「紙を、まっさらに? そんなことができるのかい? 」
「その、私の家では、よく、そういうことをしておりましたの。
羊皮紙は、表面を削ればまた、白くなりますから。
その分薄くなりますのであまり何度も使い回しはできませんが、一回で終わり、よりは使える回数は増えますわ」
そんな方法があるとは、思いもしなかった。
前の手紙の内容を削り取ってしまう、というのはなんだかいけないことのような気もしたが、兵士やその家族にとっては互いの気持ちを伝えあうことができた方が嬉しいだろう。
「なるほど。そうしてみるよ」
うなずきながらエリアスは天幕の出入り口に目隠しとして垂らしてある布を避けてやり、リアーヌを中に導き入れる。
「あら。思っていたよりも、しっかりしているんですのね」
入って中を見回した獅子令嬢は、感心したのかそんな感想を漏らしていた。
「うん。……ここにも、長くいるからね」
思わず苦笑いをする。
陣地の後方に商人たちが集まり、ちょっとした街ができあがってしまったように。
同じ場所にずっといる間に、エリアスの天幕の内装も段々と充実してきている。
「ベッドがあるんですのね」
目ざとく気がついたリアーヌが、シーツの敷かれたそれをポンポンと手で叩く。
それは、商人たちから買ったものだ。
「安いよ、お買い得だよ! 」と熱心に売り込みに来た者がいて、あって困るものでもないし、ついつい買ってしまった。
「寝心地は、まぁまぁ悪くないよ」
「ふぅん……」
ベッドに腰かけながらそう答えると、リアーヌはなんだか意味深にうなずき、それから、自身の鎧を脱ぎ始める。
いくら戦うつもりでやって来ているとはいえ、休む時まで武具を身に着けたままでは、リラックスできない。
だからそうするのは当然だろうと思っていると、———なんだか雰囲気がおかしいことに気がつく。
鎧を脱いだリアーヌが向けて来た視線が、熱っぽいというか。
「……えっと、リアーヌ? 」
「大丈夫ですわよ。
事前にミシェルにお願いして、人払いは済ませておりますから」
なんだか身の危険を感じ、愛想笑いをしながらたずねると、そんな返答が。
そして、獲物を前にした肉食獣のようにぺろりと舌なめずりをしたリアーヌは、じり、じり、と距離を詰めて来る。
エリアスの背中に冷や汗がにじんだ。
「リアーヌ?
えっと、さっきはラモン伯爵の物言いに、凄く怒っていなかったかい? 」
「それはそれ、これはこれ、ですわ。
私には妻として、戦場に出た夫の身体が無事かどうか、子細に確かめる権利と義務がありますの」
どうやら、そういうことらしい———。




