・5-6 第41話:「挨拶:2」
・5-6 第41話:「挨拶:2」
コレドールの地で火の民の軍勢と対峙している諸侯は、それぞれの手勢の士気の低下に苦慮していた。
兵士たちは戦争という非日常にいつしか慣れてしまい、戦闘が起きないことですっかり緊張感を失っている。
現状に退屈をしていたのは、伯爵たちも同様であった。
軍を戦闘可能な状態に維持するためにあれやこれやとやるべきことが多く、彼らはみなそれぞれで忙しかったが、そういった状況が続くと息が詰まる。
予期せずあらわれた獅子令嬢の存在は、彼らにとって格好の息抜きの材料であった。
「それにしても、リアーヌ殿。
なんとも見事な馬をお持ちだ!
いったい、いくらで買われたものなのですかな? 」
夫と共に戦うつもりだと言い切ったリアーヌに感心しきりのベルトランに続いて、マンサナ伯爵・シモンが、隻眼を興味深そうに輝かせている。
ソラーナ王国の人々にとって、馬、というのは特別な存在だった。
もっとも身近なところで荷役や素早い移動、農耕に大活躍しているなじみ深い家畜だ。
すなわち必要不可欠な存在であり、優秀な馬の価値は誰もが共通して認めている。
素晴らしい馬というのはみなが欲しがるものであり、人々に羨まれるような馬に乗っている、ということは、それだけで重大な関心事だった。
まして、騎士の力が高く評価されている時代なのだ。
シアリーズ大陸において、騎士、という存在は、貴族という特権階級の末端に位置するものであるのと同時に、軍事力の中核と見なされている。
戦士として仕える専門家であるというだけではなく、発揮される高い機動力は戦場で頼りにされ、人馬が一体となって実施する突撃は歩兵の戦列を一撃で粉砕する。
軍の最小単位である中隊を構成する人員のうち多くは歩兵であったが、彼らはあくまで脇役であった。
その編成はすべて、騎士の戦闘力を最大限に発揮できるように考えられている。
たとえばもっとも数の多い槍兵が盾を保有しているのは、敵の攻撃から自身だけでなく、騎士を保護するためであった。
盾と槍を連ねた戦列を形成し、味方の騎士たちが敵の歩兵の集団に捕捉されないよう、物理的に壁を作って守るのだ。
また、騎士はその戦闘力を最大限に維持するため、時に武器を交換し、替え馬がある場合は馬を乗り換えることもあった。
その際には、当然、無防備となる。
盾持ち槍兵の戦列は、そうした隙のある瞬間に騎士が攻撃を受けないようにするという役割も果たす。
このために、資金の問題などで十分に武具を調達できない場合、諸侯は歩兵たちの武装を省略し、盾だけを持たせて従軍させる場合さえあった。
盾さえあれば敵は倒せずとも戦列を構成して文字通り[肉壁]を作ることができるから、騎士を援護する、という最低限の目的を果たすことができるためだ。
それほど重視されている騎士の力量は、優秀な軍馬があってのこと、とされている。
重い武具を身に着けた主人を乗せ、敵の存在を恐れず、命じられるままに突撃を敢行する勇敢で忠実な馬は、誰もが欲しがった。
「ネージュは、買ったものではございませんの。
ゴロワ王国の王家より賜りました血統の軍馬を、私の実家であるジルベール伯爵家で繁殖させたものの一頭なのです。
それを、私が仔馬の時から育てました」
「ほう! なんと!
リアーヌ殿ご自身がお世話をされたのですか? 」
「ええ。
もちろん、専門の厩務員に多くの手助けをしていただきはいたしましけれども、共に暮らし、共に成長して来たのです。
私にとっては、妹か、子どものような存在です」
自分の手で仔馬の時から育てた。
その言葉には、エリアスは親近感を覚えずにはいられない。
自身も、ヴェンダヴァルを育てたのだ。
やはり戦場で運命を共にするかもしれない家族、できるだけ大切にしたい。
とはいえ、育った馬はずいぶんと違っている。
どちらも人から羨まれるほどの名馬になったが、ヴェンダヴァルは気に入らない相手がいると蹴りつけようとするような危険な暴れ馬であるのに対し、ネージュは大人しく従順で、乗りやすい。
(育てた人間の、反対の性格に育ったのだろうか……)
ふと、エリアスはそんな感想を抱いたが、これは黙っていようと心に決めた。
言ってしまえば、「私がじゃじゃ馬だとおっしゃりたいのですか? 」と、リアーヌを怒らせてしまうのに違いないからだ。
「ぐふふ。子供のように、といえば、やはり、ご両人は今夜、熱く燃え盛るのですかな?
いやはや、なんとも羨ましい! 」
その時、そうはやし立てるように発言したのは、インスレクト伯爵・ラモンだった。
———一瞬にして、その場の空気が凍りついたのを感じる。
これまでは賑やかな雰囲気であったのに、たった一言ですべてが消し飛び、時間が停止してしまったかのような印象がある。
(抑えて、リアーヌ! )
エリアスは内心で必死にそう祈らずにはいられなかった。
なぜなら、———獅子令嬢の背中から、目に見えると錯覚してしまいそうな勢いで、怒りのオーラが吹き上がって来ているように感じられたからだ。
(なんて……っ、下劣なっ!!! )
エリアスだって、そう思う部分があったのだ。
気の強いリアーヌであれば、その感情はもっと巨大で、激烈なものであるのに違いない。
ラモン伯爵には、別に、悪気があるわけではなさそうだった。
静まり返った面々の顔をきょろきょろと眺めて、不思議そうな顔をしている。
彼としてはちょっとした冗談に過ぎなかったのだろう。
しかし、あまりにも配慮や遠慮がなかった。
自分は夫と共に戦うつもりでここにいる。
そう宣言したリアーヌの言葉は、間違いなく本心であっただろう。
そんな彼女に対し、こんな物言い。
獅子令嬢は、自身の覚悟を貶されたと思っているのに違いない。
今にもその怒りが爆発するのではないか。
爆発したところで、果たして、自分にそれを止めることができるのか。
珍しいことに。
エリアス自身も、ラモン伯爵の言動に怒りを覚えているのだ。
止める側に回ったとして、本気で止めることはできないかもしれない。
———その剣呑な空気を打ち払ったのは、フェルナンド三世の横で黙ってことの成り行きを観察していたリオン王子だった。
「みな、この辺りにされたらいかがでしょうか?
リアーヌ殿は、長旅でお疲れのはず。
あまりお引止めするのも、いかがなものかと存じます。
それに、領地のことなど、エリアス殿との間で積もる話もあるでしょう」
「……う、うむ!
そうだな、王子の言う通りだ!
リアーヌ殿、エリアス殿、今日はもう、下がって休むがよい!
まこと、大儀であった! 」
その言葉に、国王は慌てた様子で賛同する。
(助かった……)
正直なところ、ありがたい配慮だ。
エリアスは大事にならなかったこと、リアーヌが忍耐を発揮してくれたことに感謝しつつ、王の言う通りにすることにした。




