・5-4 第39話:「故郷から」
・5-4 第39話:「故郷から」
早晩、火の民は防御陣地を捨てて、攻勢に転じるか、撤退するだろう。
ソラーナ王国軍ではそう予想をしていたのだが、———対峙を始めてからなんと、三か月以上も経過したというのに、彼らは動きを見せなかった。
いつの間にか太陽暦千百九十七年は過ぎ去り、九十八年となり、一月も終わって二月になってしまっている。
ソラーナ王国軍の兵力を上回る大軍を維持しているというのに、なぜ、これほどの長期間、なにもせずに静観を決め込んでいるのか。
そこにいるだけで大量の物資をどんどん消費していくというのに、火の民はいったい、どうして時間を浪費しているのか。
判然としないまま、王国側の人々は軍を解散することもできず、コレドールの地に駐留し続けていた。
リオン王子が懸念していた、[火の民の民族移動]の真偽についてははっきりとはしていない。
より詳細な調査を行うためにフェルナンド三世の命令によって何人もの密偵が放たれ、敵の占領下に陥った王国南部地域の調査へと出向いているのだが、誰一人として帰って来ることがなく、追加の情報を得られなかったためだ。
よほど厳重な警戒網を敷いているだけなのか。
あるいは、こちら側の情報が敵に漏れてしまって、密偵を阻止されてしまっているのか……。
情報の更新がなされない以上は従来の方針を変更する理由を得られず、ソラーナ王国軍はひたすら、敵軍の補給切れを待ちわびていた。
こうなると、軍の規律を保つのが難しくなってくる。
戦争という異常事態にあっても、人は長くその状態にいると段々と慣れて来て、弛緩してしまうものだ。
まして大きな戦いもなく、ただ睨み合っているだけとなれば、なおさらにそうなる。
昨日もそうだった。
今日も同じ。
なら、明日も敵襲はないだろう……。
そう思い始めると、段々と手を抜くようになってくる。
兵士たちは暇な時は鎧を脱いでのんきに昼寝したり仲間内で賭け事に興じたりし始めているし、見張りに立っても集中せず、居眠りをしていることさえある。
長い時間陣中にいると、まともな娯楽が得られないというのも、こういった弛緩の原因となった。
軍務があるとはいえ、毎日毎日、同じことの繰り返しでは、どうしても退屈するし、ストレスが溜まる。
それらがうまく解消されなければ、目の前の任務に集中しづらくなってしまう。
こういった兵たちの士気の低下に対し、王や伯爵たちはそれぞれ工夫を凝らして対応していた。
敵が攻撃に転じるか、退却を開始するのを待っている以上、いつ、なにが起こっても即応できる状態を保てなければ困るのだ。
軍務をサボる兵士ばかりでは、まともな戦いなどできるはずがない。
自軍の部隊どうしで実戦形式の演習をしてみたり、それぞれの家で武芸達者な者を推薦し、互いにその技を競わせ、優秀な成績を収めた者は称揚し褒美を与えたり。
フェルナンド三世が旅の芸人たちを呼び寄せ、兵士の前で興行させることもあった。
また、軍が長く駐留していると、自然に集まって来る人々もいる。
兵士たちは常に食事を必要としているし、装備も使っていると段々と消耗していくから、それらを流通させ販売してくれる商人や、修理したり製作してくれたりする職人たちを始め、諸々。
兵士が必要とする各種のサービスを提供する者たちだ。
ソラーナ王国の陣地の後方にはいつの間にか、ちょっとした街ができあがりつつあった。
戦争を危機としてだけではなく、商機ととらえる、商魂たくましい大勢が集まって、常に人の姿が絶えない賑やかな場所が生まれている。
ましてここには戦闘人員だけで二万人以上、労働者も含めれば三万人近くにもなる人間の集団がいるのだ。
これほどの大人口を誇る都市は、シアリーズ大陸でも有数のもの。
需要はたっぷりとある。
最初は仮のテントばかりだったが、最近では、簡単な掘っ立て小屋まで建ち始めているほどだ。
エリアスも、自身の配下たちの士気を保つのに苦慮していた。
ボルカン伯爵の部隊との模擬戦も行ったし、国王が主催した競技会に腕自慢を送り込んだりもしたし、これまでの報酬として金銭を支払い、後方に出来上がった歓楽街でぱーっと浪費することを黙認したりもした。
それだけではなく、独自の工夫を凝らしてもいる。
それは、兵士たちの故郷に対し、手紙を送る、ということだ。
この時代、識字率は非常に低いものだった。
多くの者が生きるために精一杯で、専門の学校に通ったり良い家庭教師をつけてもらったりして勉強できるのは、ほんの一握りに過ぎない。
自身の姓名や、出身の村の名称が書けるのは、まだ良い方だ。
一文字も読めない者も珍しくはない。
かといって、彼らに、故郷に残して来た人々に伝えたいことがなにもない、というわけではなかった。
エリアスはそういった思いを聞き集め、自らの手で羊皮紙に書き記し、手紙にして送ってやったのだ。
個人の家族に直接、というのはなかなかできないことだった。
羊皮紙は高価で貴重なもので、あまり何枚も手紙は書けなかったし、兵士の身内を一人一人探し出して届けるというのは、手間がかかり過ぎる。
兵士たちからは一言か二言、出身の村ごとに一枚か二枚の羊皮紙にまとめて、という形で送るのが精いっぱいだ。
それでも、この行為は大変に喜ばれた。
遠い戦地にあっても故郷の人々とのつながりがあるというのは、兵士たちにとってはこちらが想像していた以上に嬉しいことであるらしい。
村から返事があるのは、いつになるだろうか。
兵士たちは指折り数えて待ち焦がれながら、同時に、軍務に対するやりがいも取り戻している様子だ。
———そうしてとうとう、返事が届く日がやって来た。
待ちに待ったその時がやって来たわけだったが、エリアスはそれをもたらした者たちの姿を見て、驚きを隠すことができなかった。
「え!?
リアーヌ!? 」
なんと。
手紙だけでなく、リンセ伯爵家の手勢が必要としている補給物資を運搬する駄馬の隊列の先頭にいたのは、獅子令嬢こと、リンセ伯爵夫人・リアーヌであったのだ。




