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五月十一日・2

 目的地最寄のバス停から歩くこと十五分。耀は、辺りに広がる空き地を縫うように敷かれている道を歩いていた。

 玖珠葉との会話後、彼女の顔を声と言葉が脳裏から振り払えずにいた。

 普段自分が意識することもない心の片隅を直に指摘されることが、ここまで心をざわつかせるものだとは思っていなかった。

 今までは指摘されることもなかった分――指摘してくる程誰かと親しくなったことが無かったのかもしれないが――余計にそう感じるのかもしれない。

 何に対してか分からない気持ちの悪さを抱えたまま、とぼとぼと歩いていく。

 耀は大学の講義を終えた後、秋穂から借りていた服を返すために例の家へと向かっていた。

 辺りの空き地は整備されている気配もなく、草が伸び放題になっていて、外灯すら殆ど設置されていない。今はまだ日が沈み始めてはいないが、沈み始めれば暗くなるのはあっという間だ。歩いて帰るのならその辺りのことを考えておかないと、暗闇の中を歩く羽目になってしまいそうだった。

 さらに五分ほど歩いたところで、やっと見覚えのある建物にたどり着く。

 インターホンを鳴らし、しばらく待っていると中から秋慈が顔を出した。

「何だ……お前か。何か用か?」

「借りてた服を、返しに来ました。ありがとうございました」

「あぁ、そういえばそうだったな」

 秋慈はそう言って玄関を降りてくる。紙袋を受け取りながら耀の顔を眺めると、何故か呆れた様子でため息をついた。

「しかしお前は……会う度に辛気臭い顔になっていくな」

「え……?」

「自分で判ってない辺り、非常に鬱陶しいことこの上ない」

 耀は辛辣な言葉に面食らったが、その言葉とは裏腹に、秋慈の声と表情はどこか暖か味を感じさせるものだった。

「……昔、お前みたいな奴がいたよ」

 秋慈が髪をかき上げる。

「意識せず肝心なことから目を逸らして、心のどこかでそのことを疎ましく思ってる。そのくせ自ら動こうともせずに、気がつけばそんな顔をしてたな……まぁ、俺の知ったことじゃないが」

 秋慈はそう言うと耀に口を挟む間を与えずに、

「なんにしても服は受け取ったよ。また会うことがあるかは知らないが、用が済んだら暗くなる前に帰ることを勧めるね」

 軽く手を振り家の中へと戻って行った。

 一人立ち尽くす耀の心に、秋慈の言葉がゆっくりと渦を巻いて沈み込んでいく。

 彼が誰のことを言っていたのかは分からなかったが、まるで自分のことを言われている気分になった。そんな人物が他にも居たというのだろうか。

 尋ねたい気持ちに駆られるが、あの様子では恐らく尋ねても無駄に違いない。

 玖珠葉の事といい秋慈の事といい、今日はやけに望みもしない部分を刺激される。

 気がつけば日が沈み始めようとしていた。言われた通り暗くなってからでは歩きにくそうな場所なのだから、陽の光があるうちに帰ろうと踵を返す。

 しばらくぼんやりと歩いていると不意に違和感に襲われ、耀は辺りを見回した。

 来た時にこんな所を通っただろうか。微妙に道の続く方向が違っている気がした。

 行きと帰りでは向いてる方向が異なるため、同じ道でも違う印象を受けることは何度かあったが、どうやら今回に限ってはそうではなさそうだ。勘違いではなく、本当に道を間違ったらしい。

 とは言え、何処も似たような景色でわかり難くても、太陽の傾きで大方の方向は分かる。大まかな方向さえ間違っていなければ、そのうちバス通りにでるだろう。

 特に戻ることはせずにそのまま歩いていると、ふと人影を捕らえて物珍しさに目を凝らした。

 土が露出している少し広めの空き地の中央に、一人の少女の姿があった。

 陽の光を受けて頭上で何かが煌いている。

 見覚えのあるその少女に、耀はおもむろに近づいていったが、相手は気付く気配を見せなかった。

 夕日に照らされた恵那の横顔が見える。

 自然体のまま両目を閉じて、静かに呼吸を繰り返しているようだった。

 緩やかな風が、時折髪を撫ぜ揺らす。

 その静黙な佇まいに、耀は声を掛けるのを躊躇った。

 不意に、強く風が吹いた気がした。気のせいだったのかもしれない。しかし耀は、その瞬間恵那が手にしたものを見て、自分の目を疑った。

 少女の両手には、沈み行く陽の光を受けて紅く染まった、二本の歪な剣が握られていた。

「あ……れ……羽柴さん?」

 恵那はそこでようやく耀の存在に気付いたらしく、振り向くと目を瞬かせて見せた。

「それって……」

 何でこんな所に居るのかと言う疑問より、今恵那が手にしている物への関心が先んじる。

 恵那は、耀が自分の両手に視線を落としていることに気付いたようで、片手を上げながら、その切っ先を眺めた。

「あー……昨日ちょっと言いましたけど……私が霊子を利用しようとした時の形が、これです」

 夕日に染まった剣は本来銀色のようで、少女が片手で持つには多少大きいように見えた。鍔の柄には簡素な装飾が施されているだけで、変わったところは見受けられなかったが、耀の目を一番引いたのはその刀身だった。

 不規則に歪み、曲がっているその刀身は、下手に力を受けたら容易く折れてしまいそうなほどに歪な造形をしていた。

「歪な形ですよね……まぁ、しょうがないんですけど」

「なんで、こんな形に……?」

 耀の率直な疑問に、

「……私が心の奥で抱えてるものが、こんな形らしいです。桜花さんに言わせると、覚悟の残礎、らしいですけど。……そうなのかも知れませんね」

 恵那はどこか他人事のようにそう言うと、微かに笑ったように見えた。

「人が霊子を利用しようとすると、その人の内面が色濃く反映されるみたいで。……実際に見たことは、ないかもしれませんけど、人に害を為す悪霊って、大抵不気味な容貌で描かれてませんか?」

 言われた通り、見たことはなかった。しかし、考えてみれば怪談に出てくるような霊の姿は、基本的に死者が死んだときの姿であったり、おどろおどろしいことが多い気がした。

「自分の死因と同様の死に方を強いる悪霊は、そう言った姿で現れますし、もっと漠然とした悪意が霊子に干渉していたら、おぼろげな姿の悪霊になるような、そんな感じです」

 こうして話している分には、恵那が抱えている想いが歪んでいると言われても、正直なところいまいち理解出来なかった。ただ、それは恐らく相手の内面に深く関わることで、それを今ここで無遠慮に尋ねることは躊躇われる。

 しかし、と言うことは玖珠葉の力も内面に依存していることになる。

 耀は遼平が言っていたことを思い出した。確か黒い狼だと言っていたはずだ。

「それって、箕柳さんも……そうなの?」

「そのはずです。ただ……結局のところ、あくまで霊子に干渉するのがその本人なので、何の姿であっても本人のイメージ次第になっちゃいますけど……」

「……つまり、箕柳さんが狼の足は六本あると信じていたら、箕柳さんが生む狼は足が六本の姿になるってこと?」

「えっと……たぶん、そう、なりますね。はい」

 恵那がこくりと頷いた。

 実際耀は、玖珠葉がそんな思い違いをしているとは思ってもいなかったが、結局のところ、その生み落とされた姿だけを見てもどんなものなのかはわかる訳ではないようだ。

「あの……」

 恵那が真剣な表情でこちらを見つめる。

「今日、箕柳さんは大学に来てました?」

 その質問に、耀は一瞬怯んだ。

「……来てたけど……」

「そうですか……」

 しかし恵那がその動揺に気付いた気配はなく、彼女はそれだけ呟くと静かに目を伏せた。

 耀は、何故恵那がそんなことを気にしたのか気にはなったが、それを尋ねると自分自身の墓穴を掘ってしまう予感が拭えないため訊けずにいた。

 その代わり、半ば話を逸らす趣きで最初の疑問を口にする。

「ところで、椚さんはこんな所で何をしてたの?」

 恵那がぴくりと反応を見せた。上げた顔に浮かぶ表情は静謐で、その瞳には決意の光が宿っている。

 吹きさらしの空き地に、夕日が長い影を作る。

「剣を創れるかどうかの確認のためと、少し一人になりたくて」

 恵那の声は凛としたものだった。

 そしてその全てが、玖珠葉に会いに行く時が近いことを告げていた。

「……ごめん、それじゃ邪魔しちゃったね」

「あ、い、いえ! も、もう帰る所でしたから。日もそろそろ沈んじゃいますし」

 恵那が慌てて首を振る。

 耀は自分も日が沈む前にバス通りに出なければと思っていたことを思い出した。

「そうだね。そろそろ俺も帰らないと」

 同意して道路へと歩き出す。

「上手く、行くといいね」

 耀は別れ際に呟いた。

 恵那の具体的な目的は聞いていないが、何となくそんな言葉が漏れていた。

 恵那は耀を見つめ目を瞬かせると、少しの間を開けてから微かな憂色を浮かべ、口元を綻ばせる。

「……はい」

 彼女の決意とは裏腹に、紅く染まったその姿はその決意が無駄であると思っているようにも映った。

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