第8話 ベル
カツ。
暗闇の向こうから、また音がした。
俺はすぐに灯具の火を絞り、壁際へ寄る。ベルとクロも同じ方向へ顔を向けていた。
カツ。
今度は少し近い。
「1つじゃないな」
『ああ』
ベルの声も、さっきまでより低い。
俺は息を潜めて耳を澄ます。
足音。
少なくとも2つ。
間隔は短い。
速くはない。
こっちへ向かってきているのか、それとも近くを通っているだけなのかはまだ分からない。
『俺様が前へ出る』
「いや、勝手に行くな」
『行けん! お前が持て!』
「……そうだったな」
思わずベルを見る。
半透明の大男が、堂々と胸を張っていた。
その横。
本体の大盾は、さっき置いた場所から1歩も動いていない。
「お前、そこまで自信満々なのに自分じゃ動けないのか」
『盾が勝手に走り回ってどうする!』
「それはそうだけど」
『いいから持て! 前に出すぞ!』
「出さない」
『なにぃ?』
「まだ相手も分かってない」
俺は灯りをさらに隠し、通路の先を見る。
音が近づく。
やがて暗闇の向こうに、小さな影が見えた。
背は低い。
もう1つ。
少し遅れて後ろから来る。
「……ゴブリン?」
断定はできない。
距離もあるし、灯りもほとんど消している。
ただ、人型に近い小さな影が2つ。
幸い。
こっちには気づいていない。
「避ける」
『倒せるだろ』
「倒す必要がない」
『俺様が受ける』
「だから、戦う必要がないって言ってる」
ベルが何か言い返そうとした。
でも。
俺はもう動いていた。
足音の来る方向とは逆。
部屋の壁沿いに見つけていた細い通路へ入る。
クロが無言でついてくる。
ベルも。
人型だけは。
『おい! 本体!』
止まる。
「あ」
振り返る。
大盾だけが部屋の中央に残っていた。
『だから俺様は動けねえんだよ!』
「分かったから声抑えろ!」
俺は戻り、大盾の取っ手を握る。
持ち上げる。
やっぱり重い。
でも。
持てる。
普通なら、この大きさの盾を片手で動かすなんて無理だと思う。
なのに。
どこへ力をかければ傾くのか。
どこを支えれば重さが逃げるのか。
何となく分かる。
自分で練習した覚えはない。
それが少し気持ち悪かった。
「……行くぞ」
『おう!』
大盾を抱えるようにして、狭い通路へ入る。
すぐに問題が出た。
「……邪魔だな」
『なんだと!?』
「幅が」
大盾が壁へ当たる。
ゴン。
角度を変える。
今度は反対側がぶつかった。
「でかすぎる」
『頼もしいと言え!』
「今は邪魔」
『小僧ぉ!』
「声!」
後ろを確認する。
幸い、足音は近づいてこない。
どうやら気づかれずにやり過ごせたらしい。
俺は少しだけ息を吐いた。
◇
通路を抜けたところで、大盾を下ろした。
「腕、きついな……」
持てる。
でも、軽いわけじゃない。
肩にも腕にも負荷はかかるし、角度を変えるたびに身体ごと引っ張られる。
俺は手を開いたり閉じたりしながら、ベルを見る。
「これ、ずっと持って歩くのは無理だぞ」
『慣れろ』
「簡単に言うな」
『俺様を扱うなら必要だ』
「お前がもう少し小さくなるとか」
『断る』
「即答かよ」
ベルは腕を組む。
大盾の横に立つ半透明の姿だけを見れば、本当に普通の人間みたいだった。
でも。
今のやり取りで改めて分かった。
こいつは人じゃない。
人の姿をしていても。
物には触れられない。
歩いているように見えても、本体は動かせない。
実際に盾を構えるのは俺だ。
「お前、向きも変えられないんだよな」
『当たり前だ』
「当たり前なのか?」
『盾だぞ』
「それでどうやって守るんだ」
『お前が動かせ』
「結局俺じゃないか」
『俺様が受けてやる』
「そこだけは自信あるんだな」
『当然だ』
迷いがない。
本当に。
守ることだけは。
ベルにとって、疑う必要すらないらしい。
◇
少し休んでから、また歩き始める。
俺は大盾を正面ではなく、少し斜めに構えていた。
『なんで横向きなんだ』
「前が見えないから」
『正面に出せ』
「嫌だ」
『攻撃が来たらどうする!』
「来てから動かす」
『遅い!』
「前が見えない方が危ない」
ベルが不満そうに眉を寄せた。
大盾を真正面へ出せば、確かに身体はかなり隠れる。
その代わり。
視界も隠れる。
足元も見えない。
この知らない場所で、それは怖い。
「全部受ければいいって話じゃないだろ」
『受けりゃ済む』
「避けられるなら避ける」
『俺様がいるのにか?』
「お前が壊れなくても、俺が吹っ飛ぶかもしれない」
ベルが一瞬黙った。
たぶん。
そこまで考えていなかった。
「盾が止まっても、持ってる俺に衝撃は来るだろ」
『……まあな』
「じゃあ全部受けるのはなし」
『気合いで耐えろ』
「無茶言うな」
クロが俺たちの横を歩いている。
静かだ。
さっきから会話にはほとんど入ってこない。
ベルがそちらを見る。
『お前も後ろにいろ』
クロが顔を上げる。
『嫌』
『なんでだ!』
『嫌だから』
『後ろの方が安全だろうが!』
『嫌』
「ベル」
『なんだ』
「本人が嫌って言ってる」
『危ねえだろ』
「だからって勝手に決めるな」
ベルが俺を見る。
納得していない顔。
クロはもう前を見ていた。
この2人。
思ったより面倒かもしれない。
◇
しばらく進むと、通路の一部が崩れていた。
天井から石片が落ちている。
完全には塞がれていない。
人1人なら通れる。
大盾は。
「……無理じゃないか?」
『いける』
「幅見ろ」
『斜めにしろ』
「それで引っかかったら?」
『押せ』
「崩れるだろ」
『なら俺様で受けろ』
「何でも盾で解決しようとするな」
『盾だからな!』
妙に説得力があるようで、ない。
俺は崩れた部分へ近づき、上を見る。
天井の石が何か所か浮いている。
大盾を無理に当てれば、落ちてくるかもしれない。
「先に俺だけ通る」
『待て』
「何」
『落ちてきたらどうする』
「避ける」
『受けろ』
「避ける」
『受けろ』
「嫌だ」
『なぜだ!』
「わざわざ当たりに行く必要ないだろ!」
俺は壁際へ寄り、天井の状態を見ながら進む。
最初の石。
問題なし。
次。
小さな破片が落ちた。
頭を引く。
避ける。
『ほら来た!』
「避けた!」
その瞬間。
上から少し大きな石が落ちてきた。
「っ!」
避けるには遅い。
俺は反射的にベルを引き寄せた。
大盾を上へ傾ける。
ガンッ!
強い衝撃。
盾はびくともしない。
でも。
「ぐっ……!」
俺の腕が下へ持っていかれた。
肩が痛む。
膝も沈む。
危うく盾ごと倒れそうになった。
『おい!』
「……大丈夫」
『大丈夫じゃねえだろ』
「盾は?」
『俺様は平気だ』
「なら分かった」
『何がだ』
「お前は平気でも、俺は平気じゃない」
ベルが黙る。
俺は腕を振り、痛みを確かめる。
怪我が悪化した感じはない。
でも。
今ので十分分かった。
盾は強い。
たぶん、かなり。
だからって。
俺まで強くなったわけじゃない。
「受けるのは最後だ」
『……』
「避けられるなら避ける」
『……勝手にしろ』
不満そうだった。
でも。
今度は反論しなかった。
◇
崩れた通路を抜けた先で、道が2つに分かれていた。
左。
右。
どちらも同じような黒い壁。
地図には当然ない。
風もほとんど感じない。
「どっちだ」
『俺様に聞くな』
「さっきまであんなに自信満々だったのに」
『戦いなら任せろ』
「帰り道は?」
『知らん』
「だろうな」
クロを見る。
少女は右の通路を見ていた。
じっと。
「クロ?」
返事がない。
「何かある?」
クロの眉が、ほんの少しだけ寄った。
『……嫌な感じ』
「右が?」
『うん』
ベルが右を見る。
『敵か?』
『分からない』
『強いのか?』
『分からない』
「でも嫌なんだな」
『……うん』
理由は分からない。
敵がいるとも限らない。
ただ。
クロは、右へ行きたくない。
それだけは分かった。
俺は左を見る。
安全な保証はない。
でも。
今は、何も分からない中で進むしかない。
「左へ行こう」
『右を調べなくていいのか?』
「今は帰る道を探してる」
ベルを見る。
「危ない方へ行く理由はない」
『……慎重な小僧だな』
「生きて帰りたいからな」
大盾を持ち直す。
クロも左へ向いた。
少し歩き出してから。
『ルカ』
「ん?」
ベルが俺を見る。
『お前、思ったより頭使うな』
「褒めてる?」
『俺様ほどじゃない』
「じゃあ取り消せ」
『何をだ!』
クロが小さく息を吐いた気がした。
笑ったわけじゃない。
たぶん。
それでも。
さっきまで1人だったはずの暗闇が。
少しだけ。
違う場所に見えた。




